長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年3月10日日曜日
原爆・平和の女の子。9年後、見事、長崎大学合格する
昨夜、めでたい知らせの電話があった。北九州の女の子。「合格しました」「おめでとう」。話は、9年前に、さかのぼる。北九州から、小学6年生、150人が長崎へ修学旅行へ来た。原爆資料館で、被爆者の語り部だった小崎が、原爆と、人の痛みを知る大切さを語った。それを聞いて、感動した女の子がいた。それが晶子さんだった。4年たった、ある日、初めて手紙がきた。「小崎サンのお話、忘れない。自分も平和のために働く人になりたい」。晶子さんとの文通はつづいた。晶子さんは、高校生になり、高校を卒業した。「北九州にも大学はあるが、長崎大学で学んで、地元の被爆者と交流し、2度と、原爆がない、平和な世界のために働きたい」。国立大学の入学は、そう簡単ではない。くじけながらも、あきらめず、時々は、聖コルベ館にも来て、意気を燃やした。そして、昨日、昼間に電話。「いま、休んでいる」。夕方に電話。「いま、祈りの時間です」。夜に電話。食事ちゅうだった。「合格です」「え、ああ、よかった」「歯学部に入りました」「発表は、いつ?」「昨日です」「おめでとう。夢がかなったね」。こんなに嬉しい事があろうか。小学生のとき、話を聞いて、忘れられず、平和のために働きたい、長崎で学びたい、女の子が頑張って、夢を実現させた。まだまだ道は遠いが、希望がある。「また聖コルベ館へいらっしゃい」「ハイ、おじゃまします」。どのように道が開けるか。楽しみイッパイの若者である。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
素晴らしいお話ですね
返信削除感動しました
平和と愛のために長崎で頑張って欲しいですね
晶子さん合格おめでとうございます!
返信削除こうして小崎さんの語りが継がれていくのですね。
子供達への被爆体験の語りが
大事なこと改めて知ることができました。
晶子さんの成長が楽しみです。
こんな出会いがあるから語り部はやめられない。
返信削除小崎様への神様からのご褒美でしょう。
いろいろのことがつながって今が在る。
これはどのように展開していくか・・・・たのしみです。
良い出会いは神様のお恵み。よい雰囲気をつくるとよい出会いがある。でしたよね~~~