秋も深まり、冬が来るのか。騎士誌の読者から、短文の感想が届いた。「今、12月号を手にとって拝読しています。小崎修道士の「この1日、信じて祈る」。レンゾ神父さまとの黙想は、私も共に与っているように感じました。「自分だけの、ものがある。それに気づくこと」「神は愛ですと、生活のなかで実感しているか」「愛は与えてこそ、実感される」「自分に適した祈りを見つける。それも祈り方です」などなど、と書いてあった。修道士は祈る人ですが、十分に祈れない悩みもあります。修道士が祈れないなんて、言うなよ。祈りよりも、愛の行動を、と言われると、悲しくなる。祈りは基本的に大切です。それと共に、愛の行動、奉仕、実践も必要です、と言ってほしい。フランスに1ヶ月、4箇所でホームステイをしてきた女性が聖コルベ館へ来て、語ってくれた。フランスの信仰は厳しいとの印象を受けた。神さま、信じない。お祈り、認めない。複雑な気持ちになる。「教会で祈る。愛の話しを聞く。聖書から良きサマリア人を読む。隣人愛は大切だ。そう思う。教会を出ると、ホームレスが待っていた。衣服をください。お金をください。果たして、この人を助けることが出来るか。先ずは係わり合いを持ちたくないと思うだろう。人間は所詮、自分が可愛い。自分のことしか考えない。しかしある時は、自分がソンをしても、相手に尽くそうという気持ちも有る。助けることにハマル場合もある。人間は2面性があるのを認めた上で、行動しよう」。そんな、同じようなことを考えました。
小崎さんが来年も元気に生きて宣教されることを祈っています。
返信削除