2016年1月31日日曜日

日曜日。ミサで、亡きご主人のために祈った

毎朝、6時からミサがあり、祈りを捧げる。
★日曜日には、一般信徒のために、9時からミサが行なわれる。普通は、6時のミサで祈り、9時のミサには参加しないが、今日は特に、9時のミサで、お世話になっている明子さんの亡くなったご主人のための意向で捧げられるミサだったので、ぜひとも、お祈りを捧げたいと、修道服を着て、ご主人のために祈った。
★明子さんには、もう長い期間、週2度は、自室に来てくださり、話し相手になってくれる。慰めのチカラになっている。亡くなったご主人とは、椿原の学校でいっしょに働いた。お世話になった。忘れることが出来ない先生である。60代半ばで亡くなられたのは惜しまれる。
★午後、長崎の女性から電話があった。「聖コルベ館へ寄ったら、2人の見学者がいた。トマさんの本を買っていたよ」と、懐かしい聖コルベ館の話を聞かせてくれた。「ありがたいね」。電話で、「100歳になる男性が、お元気で、教会の坂を登ってミサに来られています」と言う。そういわれると、自分を省みて、「お手本として立派だが、誰でも、そう成れと、比べるわけにはいかないと思うよ」。若いときは全く考えもしないが、歳をとってみて初めて気づく現実が多々ある。長崎の話しが聞けて、慰めになった。

2016年1月30日土曜日

小フナはやられた。でも静かな一日。コンタツの話

昨日は、雨が降っていた。昼食のとき、また庭に、サギが見えた。1月、2月のこの時期に、ここ何年もやってくるそうだ。食べ物がないのだろう。サギは小フナを狙っている。食卓で、小フナが見つからない。居なくなっている、と話が出た。それなのに、また、ジーッと立っている。職員が出て、雨にぬれても、庭に出て、追っ払った。サギは屋根の上に飛び跳ねた。
★今日は、久しぶりに青空と真っ白い雲が見えた。昼食の後、庭へ出てみた。小さなフナは泳いでいない。わりと大きなフナは安泰であった。小さなフナは可愛そうに犠牲になったのか。
★土曜日の午前中は、整骨院へ行く。1人、腰足の痛む女性の希望者が出て、出迎えの車に、5人が乗った。
★午後、ロザリオの後、パソコンを開いた。コメントに、ロザリオのことを、「コンタツ」と言ったとある。長崎では、戦前、戦後の間もなくは、コンタツとよく使っていた。なつかしい言葉です。「喜びのコンタツ」「悲しみのコンタツ」。あるいは「日本26聖人のコンタツ」というのもある。また浦上には、「サバト寄り」といって、サバトは土曜日のことで、毎週、この日の夜に、隣り近所の信者たちが、巡回で、家に集まって、死者のため、家族のため、「どりゃ、コンタツでも、しようか」「スラ事、繰るより、ロザリオ、繰れ」と、祈る習慣があった。最近は、浦上では、毎週は集まらないが、月に1度、9の日(原爆が落ちた日)に、1軒の家に皆さんが集まって祈っている地区があった。参加したこともあったが、いまは、どうなっているのか、気になっている。

2016年1月29日金曜日

ロザリオの後で、シスターを入れて写真に撮った

午後3時過ぎからの祈り、ロザリオの後で写しました。
★足の痛みのため退職したシスターが今日は来て、いっしょにロザリオを唱えた。先唱をしてくれる。
★左側の男性が、入浴のときに、いつも背中を流してくれる親友です。常に黒い帽子を頭に乗せて、ロシア製の温かいジャンパーを着ている。90歳だからね。
★右側の男性は、週に2回、整骨院へ行っています。ジャンパー90歳も一緒に行っている。「肩の痛み、横腹のしこりがなくなった」と効果があると喜んでいる。
★車椅子の女性は、何歳かわからないが、熱心にも毎日、ロザリオに参加して、ご高齢のためか、祈りながら、安らかに心地よく眠むっている。幸せの見本みたような姿です。いつも見ていて、心がなごむので、このように安らかに歳をとりたいと手本になります。
★シスターが自室に「トマさん」とやって来て、「この間、写真に撮った記事を見せてください」と頼んだ。ちょうどパソコンを開いていたので、探すと、1月13日の日記に載せていた。「誕生日が1月14日」ということで、「よかったね」と喜んだ。

2016年1月28日木曜日

書くことがない毎日です。それでも自分に価値はある

昼食のとき、ガラス戸越に、ふと、庭に目を移すと、足が、細く、長いサギが、1羽、ジーッと立っている。しばらく見つめていると、池に近づいていく。池には、小フナがいる。この寒さで、動かず、どこかに隠れているだろう。それでもサギは、広い空の上から舞いながら、ここに小フナがいることを知っている。どうしてだろう?ふしぎにさえ思う。雪や寒さで、エサもないから、サギも必死だろう。いつもエサを与えている女性が、黙ってガラス戸をあけて、庭を小走りして、サギへ近づいた。サギは大きな羽を広げて、屋根へと逃れた。しばらく様子をみて、また降りてきた。
★最近は思う。毎日、同じような生活なので、刺激もなく、変わった出来事も起こらない。自分では懸命に生きているつもりだが、平凡な生活の連続では、日記を書くことを、ためらうこともある。その時は、書くのは、人のためではなく、自分の老いを超えるためだとも思い直している。「いのちが、あるだけ、かんしゃ、です」。その気持ちが根底にあるのを感じます。
★あと1ヶ月あまり、3月1日は誕生日で、88になる。この日までは書き続けよう、書き続けたい、そう思う今日でした。

2016年1月27日水曜日

庶民のなかに信心は支えられている。信仰のチカラ

写真は、今時の「長崎・ミカン」です。おいしい味に慰められる。
★水曜日は、朝、9時半に、整骨院の車が迎えにくる。いつも一緒に風呂に入り、背中を流してくれる90歳が、「自分も連れて行ってほしい。痛むところがある」という。4人が車に乗った。整骨院へ着くと、待合室で、しばらく待たされる。先に、90歳が名前を呼ばれて、ジャンバーを脱いだとき、ポケットから出した右手に、「ロザリオ」が見えた。ちらっと見たが、「あ、あ」と、心に深く残った。
★午後のロザリオのとき、もちろん90歳も来て祈っている。終わってから、聞いた。すると彼はロザリオを出して見せて、「いつもポケットに入れて、唱えているよ。忘れたことは、なか(ない)」「いつから?」「ホームに来てから、その前も・・・」。ホームでは、常にこの気持ちで生活している。出身は、長崎の五島。県外で働いていたが、奥さんを昨年、亡くしてから、余生は信心の日々で暮らしている。部屋には、奥さんの写真。根っからの信者の雰囲気がする。さすがに長崎・五島の信者だ。目立たないところで、信徒は熱心に神に祈っている。信仰なしでは生きられない。こういう庶民のなかに、信仰は支えられているのを感じる。

2016年1月26日火曜日

遠い宣教師の思いは、いまも忘れない。今を生きる恵み

今週の湯江教会・祭壇の生け花です。
★朝ミサで祈りました。聖福音は、主が、弟子たち、72人を選び、宣教に派遣するところが、読まれました。「この家に平安あれ」と言いなさい。「愛と平和をもたらす宣教者」です。
★遠い北朝鮮の、子どもの頃を思い出した。この町には最初は、教会も司祭も居なくて、カトリックはわたしの家が一軒だけ。それでも宣教師は見捨てなかった。年に1、2回、南の方の修道院から列車に乗って、ドイツ人の神父さんが泊り込みで来られて、カトリックの教えをつないでくれた。神父さんのご苦労が、いま、わかる。宣教師はどの地方にも入っていく。あれから80年近く経っても忘れない。生まれた時もカトリック。いまも、カトリック。人生をつないできた信仰は、自分の背中になっている。しかし人生を振り返れば、破壊された原爆。結核の苦しみ。自由を奪われた強制収容所。愛を貫いたコルベ神父。いろいろあった。
★人間とは、何だろう?。神さまから出て、神さまに帰っていく存在である。いのちの存在を与えられた自分は、弱点があり、汚れもあり、罪もある。神の恵みで聖化されなければ、神へは戻れない。「きょう、あるのは、神の恵みに、よる」(コリント一・15)

2016年1月25日月曜日

きのうの積雪は、過去110年で最高。17cmでした

一夜、明けて、降る雪もおさまった。長崎版の新聞には、デカデカと、「長崎市・積雪17cm・過去110年で最高」と載っていた。北海道や、秋田の皆さんからは、考えられぬ積雪だと思う。
★きょう、午後からの風景です。きのうの写真と比べてみてください。長崎では、生活を揺るがす出来事です。
★夜、7時少し前に、いつも職員が各部屋に声をかけて回ります。昨夜は、職員が言いました。「あしたは、教会へ行かないでください。道が凍って、すべると危険です」。何よりも老人はすべって、転んで、骨折や打ちキズになるのが、怖いです。それでも「行こうか」と心では思いましたが、万一のことを考え、職員さんに従って、休みました。
★雪が、こんなに降ると、寒さを思い、生まれ、育った北朝鮮の、あの厳しい冬の寒さを思い出します。冬になると、手が凍傷(しもやけ)にかかって、ただれるのです。並みの寒さじゃなかった。零下20度ぐらいまで下がった。今の寒さは、北極圏から、シベリアの寒さが、日本列島へ下がってきているとテレビでは解説している。北朝鮮の庶民たちが、どんな寒さの生活を強いられているのか、思うだけでも、心が痛みます。北朝鮮には、カトリック教会も、信者たちも居た。かわいそうで、ならない。