2019年5月7日火曜日

居た、居た、あのスズメだ。テレビにも出たんだぞ。がんばれ 

廊下の窓から、見つけた、あのスズメだ。待てよ、待てよ。いま、デジカメ、持ってくるからな。そのまま居るんだよ。
★自室に入り、カメラを急いで取る。少し望遠にして写した。何かを、くわえているぞ。青草のようだ。エサだろう。子供が居るんだな。よし、よし。はげめよ。子供を守れよ。1羽しか居ないな。目がこちらを見ている。
★教えてやろうか。日記に載せたら、テレビにも出たんだぞ。あの時は、2羽だった。もう1羽は居ないな。1羽のスズメでも、ホームに居れば、慰めにもなる。子供を作って、子孫を残す。本能とはいえ、リッパな生活だ。
★青草を、しっかり、くわえて、エライな。どこにネグラがあるのか、見たいよ。子スズメのピイ、ピイ、鳴くのを見たいよ。親スズメ、いいカッコウ、しているな。けな気なモンだ。オレの母親を思い出すよ。子供を沢山、育てるんだぞ。オレは、修道士で、子供は持たなかったが、こう言うのは、少し気がひけるな。だが、イノチは、神さまのことだからな。エライ。エライよ。ピイ、チク、パア、チク、しっかり青草をくわえて、動かない。さあ、早く、子供の口に運ぶんだぞ。待っているぞ。待っている者が居るのは、幸せだよ。

2019年5月6日月曜日

何事もなく、10連休は終わります。職員さんは休めない

10日間の連休も今日が終わりです。別に変わりがないホームの生活でした。食べさせる、介護する、職員さん達は、休めません。それでも頑張っておられます。
★昼食は「五島うどん」でした。普通の「うどん」の麺と違って、ほそ麺です。私は、この「五島うどん」のほそ麺が好きです。「ああ、なつかしいなァ。帰りたいなァ」。そんな声も聞かれます。10人の食卓ですが、4人は五島の出身です。小さなクリーム・パンと、天ぷら、ミカンがついていました。
★食事が終わると、自分の部屋に戻ります。広い廊下は明るい。スズメは居ないね。窓から見えない。皆さんは歩行器や杖を頼りに歩きます。歳、老いてくると、仕方がないね。自分の生活だから、自分で耐えるしかない。それでも明るく、呼吸しています。静かな、平和なホームです。人のために尽くしているだろうか。イヤ、イヤ、もう無いね。そう思えば寂しいよ。これまで誰もが働いてきたからね。
★朝、食事が終わって、自室で、牛乳と、ヨーグルト、イチゴ、クルス1枚、テレビを見ながら食べました。やがて朝の体操がある。カラダを動かす、体操はサボらない。その後、入浴した。午前中は、男性。入る男性が居ないんですね。1人で入りました。以前は、入江さんと一緒だったが、もう今は入れない。1人の入浴は危ないですよ。そう思いつつ、気をつけて、あせらずに、落ち着いて、入りました。
★3時から、「雲仙の間」で、3階に住む5人で、ロザリオを唱えます。それから自室で、「教会の祈り=晩と、寝る前の祈り」を独りで祈ります。神さま、マリアさま、忘れません。神さま、マリアさまも、老いたトマを見て、守って、導いてくださるだろうか。

2019年5月5日日曜日

写真家が言った。「被爆者の苦悩が目に表現」それを撮りたい

見知らぬ写真家から電話があった。「被爆者を撮りたい」「(午睡するので)2時に来て下さい」。約束の日、また電話があった。「1時にダメでしょうか」「いいでしょう。待っています」。午睡を犠牲にした。不安は、あった。写真を撮ると言っても、相手がどんな人物かも分からない。紹介状もない。勝手に写真を撮られて、使われても困る。今の世、用心するしかない。そう思うのが普通でしょう。
★1時前に、玄関で待っていた。その写真家が姿をあらわした。玄関のソファーで一応、話を聞いた。豪華版の「原爆遺構」の写真集を見せ、「差し上げます」。念を入れて、1枚、1枚をめくった。立派な写真集だが、それにも増して彼が言った言葉に、心を動かされた。
★ある時、自分は気がついた。被爆者の目に『チカラ』がある。苦しみ、悲しみ、痛みが浸み込んでいる。それを自分は写したい。被爆者の目の中に、悲しみや苦しみ、痛みが宿っている。そこに魅力を感じる。写真の意義は、記録もあるが、表現もある。自分が理念をもって、ものを撮ると、思いが相手に伝わる。その人の歴史や、苦悩が、目の中に埋まっている。それが表現となって、自分に返ってくる。そういうものを撮りたい、と私は受け取った。
★普通、被爆者を撮る場合、膝(ひざ)上か、腰あたりの上か、胸あたり上を撮る。それが普段の撮り方じゃないですか。この写真家は、目を中心に、顔を撮りたいというのです。彼の考え、視点に、共鳴しました。確かに目の奥には、原爆の廃墟、悲惨さが秘められているはずだ。ひそんでいるはずだ。それに焦点を当てる、初めての見方だった。
★彼を応接間へ招いて、撮影した。実は、写真を撮るならと、既に修道服をバッグに入れて用意していた。目を中心に、顔、首のあたりから撮るというので、修道服の「カプチュン」だけを着て、椅子に座った。
★2台のカメラで撮った。その中の1台は、6✕6のフイルムで、巻いて写す以前の形式のカメラで、ハンドルを回して撮った。懐かしい。私も以前、「まみや・プレス」を使っていた。大型の、横長のフイルムだった。
★撮影の後は、原爆のナマの体験を語った。録音機を置いていた。8月9日、何を見たのか。何を経験したのか。話は熱っぽくなってくる。盛り上がったところで、もう疲れた。この後、予定もあった。既に2時間が経っていた。「きょうは、これで止めましょう。また来てください」と早々に引き上げた。その後、数人で唱えるロザリオの先唱があった。後始末を見届けることなく別れた。あの写真家には申し訳なかったとの思いが残った。

2019年5月4日土曜日

ネコちゃんの名前は「イチゴ=メス」「バナナ=オス」です

ネコちゃん、だよ。ホームの介護の現場で働く松村さん。昨日は、朝食、昼食、夕食の配膳を2階の炊事場から上げて、3階の「雲仙の間」に食卓を整えてくれた。3階では、歩行器や杖を使った入居者が10人、ここで食べている。わたしも、その1人。
★夕食時の話題に、松村さんが言った。「ネコ、つれてきたよ」「ええ、そうなの。見たいな」「2階に、つないでいる」「抱いてきて、見せてよ」「そうよ、そうよ」と女性たちの声も賛同した。「夕食、終わったら、廊下のソファーに連れてきて」「ハイ」
★松村さんは、夫妻で、とも働き。ネコを4匹飼っている。実家から貰ったネコちゃんたちだ。みな、2歳になる。名前を教えようか。「もも」「みかん」「イチゴ」「バナナ」。みな、果物の名前を付けている。
★つれてきたのは「イチゴ」と「バナナ」。右のネコちゃんは、青い首輪で、オスだね。さすがは、リンとしている。少々の物音には、ビクとも、しない。「オレは、マッ(松)ちゃんの、ネコじゃーい。モンク、あるか」と言った威厳あり。「わかったよ、そう、ニラムなよ」。ちゃんと、両足をそろえて、おぎょうぎも、いいね」。それに比べて、「イチゴ」は赤い首輪、メスだな。どうも、落ち着かない。
★キゲンが、よくないのか。場に慣れないのか。そわ、そわ、ジーッとしていない。写真んを撮ろうと、オイ、オイ、コッチ、コッチ、招くが、正面を見てくれない。ああ、こまったな。かお、見せて、くれよ。たのむよ。ダメか。カラダだけ、マル、マル、しやがって。可愛さを見せろよ。
★松村さんの話によると、4匹のネコちゃんの寝床は、それぞれ決まっている。ウンチは同じ場所でする。
★急遽、出現した「イチゴ」「バナナ」のソバには、4、5人の女性が集めって、喜び、はしゃいでいた。暮れゆく夕陽を浴びながら、ホームの一角では、笑いと、和やかさが、湧いているのだった。

2019年5月3日金曜日

傾聴ボランティアの女性が来る。なやみ、ねぇ。心の重荷は~

電話で「この日と、この日、または、この日、どうですか?」と連絡があった。10連休の真っただ中で、申し訳ないが、この日=今日になった。傾聴ボランティアの女性が来る。待っていましたよ。心の動き、重荷を聴いてくださるだけですからね。肩がコリません。自由に話せる。もう3年目。18回目になります。よくぞ根気よく来てくださいます。ありがとう。
★ホームに入ったとき、寂しさ、時間のもてあそび、悩みがあった。最近は、時に慣れて、感じなくなった。日々に流れが出来た。ホームに入ることは、ここで余生を過ごす。無気力の感じ。そうじゃない。ホームに入っても人生は、ある。
★ただ、老いて、これから先、どうなるか。不安はある。老いても変わらぬ生き方でありたい。歳をとって「ヒト」が変わる。暴力や暴言、実例を見て来た。自分は、そう成りたくない。最後まで「マトモなニンゲン」で居たい。幸いか、このホームには、暴力、暴言は居ないのです。
★人生は、長ーがい、思いますよ。幼児の写真を見て、若いころ、壮年の写真を見て、人生、長いですよ。大切な過去の時間を、有意義に生きたか?振り返る。
★やわらかめのご飯、食べています。もう半年になるかな。お腹(なか)の調子がいいのです。朝と、午睡の後、2回、大トイレがある。
★陽の光が温かいですね。ドライブへ出かけたい。この周辺は、大抵、回って知っている。
★県内は平戸とか、県外は、博多や、柳川など、行ってみたいですね。
★誰かが来て、車で連れ出してくれる人は居ないね。
★ああ、やっぱり寂しいモンだ。

2019年5月2日木曜日

魚を食べる。肉を食べる。イノチをつなぐ。感謝を忘れない

『アジの生き造り』を食べた後の姿です。アタマと、骨だけが、きれいに残されている。尾に添った小さな針が伸びているが、小刻みに、まだ、ピク、ピク、動いていた。「おいしかったアジ、イノチある生き物を頂いて、感謝あるのみです」。心で、念じた。
★ヒトは、魚を食べ、肉を食べ、生きている。生き物を食べて生かされている。人も、生物も、めぐり、めぐって、イノチを、つなぐ。イノチの連鎖です。自然の成り行きで、仕方のないことです。あるのは感謝を忘れないことです。
★いま、ホームでは、エレベター拡張工事で、3か所で食事をとっている。山内園長神父さんは、3か所を回って「食前の祈り」を先唱している。山内園長神父さんは、トマが『テレビ』に出たのを喜んでくれた。「園の全景も、リッパに出たよ。食堂も、お聖堂(おみどう)も、高来の町も、雲仙も出たよ。いい宣伝になる」。チラッと、その声を聞いて、トマも喜んだ。
★弱い者も、強い者も、かしこい者も、普通の者も、みんな揃って、手を取り合ってこそ、平和になる。「令和」は、そんな時代になるといい。
★午後から2人の女性が来た。長崎市からです。「濱田神父さまのダイヤモンドお祝いを持って来ました。お会いして、瀧神父さまにもお会いして、ここにも来ました」と、ビニール袋を手渡した。「感心や、ね。わたしのテレビ、見た?」「いいえ、見てないです」。それでは、と録画したテレビを見せた。「よく出来ていますね」と喜んでくれる。短い出会いだったが嬉しい。
★もう、歳も90代に入れば「ゆっくり」やろう。でも確実に。そして「気力を失うな」。がんばれ、がんばれ、と強いるのではなく、良かったですね、いいですね、だいじょうぶだよ、共感してやろうじゃないか。そして生き物を食べることには、感謝する。優しい心を持ちたい。

2019年5月1日水曜日

「令和」の時代が始まる。最初のお客は、若者の2人だった

「令和元年」5月1日。令和の時代が始まる。
★5月は、教会では、聖母月になっている。湯江教会にも、聖母マリア像が飾られた。この月は、特に聖母マリアさまの御助けを願おう。
★マリアの御名を呼べば、心は安らぐ。人生に於いて、どれほどマリアさまの導き、お恵み、お守りを頂いたであろうか。マリアの信心を教えてくれたのは母親だった。
★マリアさまに、何をお願いしようか。将来、わたしの老いは、どうなるのでしょうか。「みむねのままに、我に成れかし」。マリアさまの御言葉を口ずさむ。それしか、ないでしょう。

★「令和」になって、最初に来たのは、哲さん、美樹さんの2人だった。3月に、誕生会で会った。テレビに出たとき、最初にアナウンサーが、「日記を書いて、若者の関心を集めています」と語ったが、それは、この2人のことを示していた。2人に出会った体験は、お恵みだったと言える。おみやげに、わたしの好きな「九十九島センペイ」と「クルス」を持参した。これで、お菓子は、慰めになる。有り難い。
★2人と一緒に、哲さん運転で、近くをドライブした。「おおはし」で食事をする。買い物をする。語り合う。楽しいひと時を過ごした。午後2時頃、別れる。
★ベッドで横になっていると、聖母の騎士の松下修道士さんが来た。「おみやげ、だよ」。長崎名産の「びわ」だった。見たこともない、大玉の「びわ」に、タマガッタ。参ったよ。