2015年11月24日火曜日

タイが釣れたよ。大漁だよ。夕食を食べにお出でよ

ホームの隣の修道院から、夕食を食べに来ないか、と誘いがあった。
★神父さんの1人が、身近な3人と、早朝、サカナ釣りに出かけた。3時頃に帰ってきたが、神父さんの釣り上げた分は、真鯛が殆どで、数にして、35匹ぐらいあった。なかでも大きな真鯛が、これです。メジャーで計ると、50cmです。もう1つの長いサカナは、ブリの子で、長崎では、ヤズといいます。
★わたしが釣ったのではありませんが、こんなサカナを見れば嬉しくなります。「オー、お見事」と感心します。これだけの大物を釣れば釣り人も満足でしょう。わたしは、ただ、ただ夕食が楽しみです。また今夜はお世話になります。修道院で食事が出来るのは楽しい。嬉しい。慰めになる。「神父さんに、カンシャ」

2015年11月23日月曜日

きょうの新聞に釘付け。2度と戦争は起こすまい

今朝、朝日新聞の長崎版に、一つの記事を読んだ。「あの日、11月23日」。そうだ、11月が、カトリックでは「死者の月」になっていて、死者のために特別に祈る習慣がある。浦上で、一番、沢山の信徒が亡くなった日。8月9日、原爆の日。あれから3ヶ月経って、生き残った信徒たちは、祈るどころか、心中に、いろんな痛み、苦しみ、叫びなどを抱えていた。11月がきて、死者の月を思い出して、祈ろう、祈ろうの心が湧いてきた。残された信徒は泣きながら、歌い、叫びながら、祈り、初めて父や母や兄弟姉妹、親戚、周りの知人たちが神に召された事実を自らの胸に受け止めた。それでも戦争への怒りはあったよ。新聞に載っていた一枚の写真、残骸の天主堂の前の広場で、簡単な祭壇が組まれて、信徒たちは集まり、その日は涙の日となった。参加した。17歳であった。
★黒崎教会の金祝のときに語ったが、田川家の墓碑に、父、母の名前は刻まれているが、遺骨は無い。父は北朝鮮の土となり、母は原爆で行方不明となる。結婚式の写真を分けて、遺骨の変わりに収めた。何度、書いても悲しいことだよ。
★教会の司祭に、両親のため、ミサをお願いした。

2015年11月22日日曜日

長ーがい、人生、いろいろ、あるでしょう。これも道

今週の、教会の祭壇の生け花です。
★昨日は、隣の修道院から、夕食を一緒に食べようと、お声がかかりました。夕方、6時にアンゼラスの鐘がなると、教会で、修道者たちが祈りを始めます。その祈りにご一緒しました。教会の祈りです。最後に「サルべ・レジーナ」を歌いました。人数は少ないです。司祭が3人、修道士が3人の共同体です。それでも一緒に声を合わせて祈りを唱えると、又、違った心の喜びがあります。
★祈りの後で、夕食でした。散らし寿司と、イワシの刺身を、ヌタをつけて食べました。ソーメンの味噌汁もあった。ホームで1人、自室で暮らしていると、置き去りにされた気持ちになるのです。これまで修道者の共同体のなかで、人生と信仰を過ごしてきました。今の変わりようは、ツライです。気持ちは、いつも共同体にあります。自室に1人で居ると、寂しいです。「神さまの計らいは、ここにある」。苦しみも、寂しさも、喜びに変わるでしょう。長ーがい人生です。いろいろあるでしょう。

2015年11月21日土曜日

神にめぐり合った日、神を感じたときは、いつでした?

「あなたに問う。①神にめぐり合った日、神を感じたときは、いつでした?②信じると、どんな体験があるか?」
★自分の人生で、即、いえるときは、浦上・原爆の日でした。トンネル工場に入るときは、緑があった。家があった。人が歩いていた。被爆後、1時間あと、トンネルを出て、おどろいた。腰を抜かした。営々と築いたものは、すべて破壊される。青空を仰いで、神を感じた。次いで、修道士になった日、誓願を立てた日、50年前になる。やはり神を感じた。大きな体験は、それだろう。その間も、多々、神を感じた日、事があったに違いない。
★信じると、どんな体験があるのか?日々、何者かに守られている。導かれている。そう感じる日々、事があるだろう。思い出すのは、コルベ神父の生涯である。自らに対する問いかけは易しいが、答えは難しい。それだけ、まだ信仰の確信が足りないのだろう。
★午前中は、整骨院の車が迎えへにきた。「調子は、どうですか?」。毎度、聞かれる。「ハイ、いいようです」。大きな声で返事した。両ヒザに電気をかけて、電気棒で両ヒザをこすって、治療を終わる。車で送ってくれる。原爆手帳があるので、治療費は払わない。おかげで助かります。
★昼前、携帯に、「教えてください」と問いかけがあった。「なに?」「日本26聖人は殉教のあと、遺体はどうなったのですか?」。いきなり、400年前か、そんな時代に引き戻される。おそらく26聖人は神を体験し、神と交わり、神がすべてと、イノチを捧げたのであろう。
★26聖人が殉教するや、信者たちは竹矢来を押しやぶって乱入し、したたる鮮血を衣に受けたり、十字架を削ったり、衣服のすそを切り取ったり、血で染まった土を掘ったりして、一瞬、場内は混乱した。聖人たちの遺体は、40日間、西坂にさらされていた。言い伝えによると、鳥は全く寄り付かず、夜になると聖骸から光が出ていたという。遺体は、信者たちによって大切にされ、国外へ移送された。明治になって、プチジャン神父と信徒のドミンゴ森松次郎がマニラに渡り、半年あまり調査して、遺骨や資料を発見することができた。
★ドミ二コ森松次郎の姉が、カタリナをせさんで、をせさんの息子がイグナシオ森与重さんで、その与重さんの息子さんから、もう昔に聞いた話であった。

2015年11月20日金曜日

外海の黒崎教会。今年は心に強く残る場所になった

外海の黒崎カトリック教会です。地元の信徒から、「金祝のときは、お会いできて嬉しかった。これからはご自分の体力に合わせて、信心業にもと努めくだい」と、ハガキが届いた。その裏に、この教会の姿が載っていたのです。喜びの心で眺めました。金祝のときは、教会全体の写真が撮れなかったので、嬉しい便りでした。外海に行ったことのある人なら、必ず寄って、お祈りしたでしょう。赤レンガの天主堂です。写真を見るだけで、わくわくします。
★11月も、残り三分の一となった。早いですね。きょうは懇談会といって、全員が集まって、来月12月の行事予定が発表された。クリスマス、年末と、もう、今年も終わりですよ。
★ホームという限られた場所に住んでいても、一年が過ぎ去った今、振り返ってみれば、単調、平凡の日常のなかでも、いろいろな出来事が、あったんですね。からだのこと、訪れてくれた人びと、金祝もあった。黒崎教会でも、お祝いをしていただいた。最高の思い出ですよ。新聞記者も来て、新聞にも載った。熱心に日記を読んでくださる人もいる。ホームの職員さんも見てくださる。沢山の人にお世話になったことを感じます。貴重な一年であり、意味がある一年でもあった。生かされているのが、実感です。感謝しながら、ひっそりと受け入れて行こう、そう思っています。

2015年11月19日木曜日

口も達者、手も腕もタッシャ。ただ足が弱いね、なやみ

午後から、グランドゴルフです。久しぶりに参加した。真夏のあいだは、見送った。やはり気になるのは自分の体力です。1年前は、「ポーゥン」と打って、球を転がしていたが、腕力は萎えていないか。それは気になります。試す気持ちもあった。
★けっこう、打つ力はありました。要領がよくないのは、練習が不足です。職員さんといっしょに交わることも効果があります。ケアをする者も、される者も、目線を同じくして、向き合う心が大切でしょう。よいホームとは、閉鎖的でない、開かれた介護施設になれば、いいと思います。最後の場所だから、幸せも、ほしいよ。
★10人ほどが参加して、最初に告げられた。「1番、2番、3番は、賞はもらいません。4番と5番の人が特別のお菓子をもらえます」。よかった、4番でした。プレイの後は、全員が参加のお茶とお菓子で楽しんだ。建物の影が、半分、広い庭を包もうとしていた。

2015年11月18日水曜日

人さまの体験は、なかなか難しくて、書けません

今週の、教会の祭壇の生け花です。
★むかし書いたメモがある。「偶然の出会いによって、一つの記事が書けた。あるんだな、そんなことが。だから人生は、毎日がおもしろい。楽しい日々が過ごせる」(2008.1.11)
★あのメモから、8年の歳月が流れた。いま何を思うか、トマさんは・・・。
★「田川さん」でホームに入ったが、じょじょに「登明サン」とか、「小崎サンですか?あなたの記事を読んで、楽しみにしていました」と言ってくれる人が、3、4人出てきた。嬉しいことだと思っている。長年、騎士誌に毎月、「信仰実話」を書いてきた。ほとんど偶然の出会いによって書けた記事だった。あの頃は生き甲斐もあったよ。出会いによって、その人の生き方や、信心や体験を聞いて、その流れのなかに、お恵みというか、導きというか、つながり、ご縁を感じて、これを、まとめて、書いた信仰実話だった。
★昨日の新聞に、介護職員が、「お年寄りから人生の聞き書きをつづけている。思い出ばなしを、いきいきと、しゃべる人がいる・・・」との記事を見た。「トマさんも、このホームに入って、ここのお年寄りたちに、何か人生体験を聞き出せないか、考えたことは無かったの?」と言われそうにもある。実際、勧める人もいた。
★しかし正直いって、書くどころか、まず自分が、まともにホームで生き抜くことが、先決問題であったのです。環境が変わったから、受ける心理も複雑なものがあった。確かに、ホームの老人たちは、誰もが、様ざまな人生模様に生きてこられた。戦後を生き抜いた人たちばかりで、なかには苦労の思い出ばなしを、チラッ、チラッと、もらすように語る人もいる。
★だが、まとまった話を聞き出すまでには至りません。8年前の「偶然の出会いが・・・」と言うわけには行きません。難しさを感じます。ゆっくり時間はあるのですが、まだ人さまの心に入ることは出来ないのです。環境の変わる難しさを感じる、この頃です。自分のことすら、本音が書けない。老いる難しさが、そこにある。