「作品を楽しみにしています」と、昨日の記事に、コメントがあった。人に見せる程でもないけれど、少しは絵心があるでしょう。ヘタは、ヘタなりに、人生を生きればいい。好きなことを楽しんで、日々を過ごせばいい。
★NHKから電話があった。原爆の日が近づいている。15年前に収録した番組が出てきた。小崎さんも出ている。放送の許可をもらいたい。番組名も言われたが、「覚えておりませんね」。少しだけ、名前だけでるんでしょう。「いいではないですか」「決まりましたら、また教えますから」「がんばってください」★雨が降りつづいて、屋外には出られない。園内を散歩しております。きょうの昼食の一皿に、野菜に乗った、「さら・うどん(パリパリメン)」に、まわりを小粒のクリームチーズが幾つか取り囲んでいた。プチ・トマト1個(2つに割る)のが出た。食堂を出るとき、メニュー表に、「長崎サラダ」と記されていた。「え?初めて聞く名前だ。ああ、そんな料理もあるんだな」
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年7月14日火曜日
2015年7月13日月曜日
描く楽しみ。子どもの頃の記憶はよみがえる。幸せ
午前中、「絵てがみ」の先生が来られて、絵を描く機会がありました。参加者は、4、5人居りました。この日を楽しみにしている。さあ、何を描こうかな。自室にある「オニ。ゆり」を持って行った。イメージとしては、田んぼのクリによく咲いていた「オニ・ゆり」です。子どもの頃を思い出します。でも、あんまり近づかなかった花だよな。そんな花でも、いまは「飾れば、心もなごむ」と一筆いれた。先生が、キュウイと、プチ・トマトを画材に準備されていた。それも描きました。描くことは楽しみです。きょうの一日も無事に終わりました。あと夕食があります。お年寄りには、食べるのも楽しみです。「食べる人は長生きする」。そんな声も聞こえます。「体調は、どうですか?」「まあ、まあ、ごらんの通りです」
2015年7月12日日曜日
きのう、うれしかったこと、ある?よかったこと、ある?
今朝の日曜日。祭壇に飾られていたお花です。ミサのとき、この祭壇で祈りました。お花も目に入りました。こころを込めて飾られたお花です。夕方、また教会へ行き、共同でロザリオを唱えるときにも、この祭壇のお花を見ました。「よし、これを写真に撮ろう」。自室にもどって、カメラを取って写しました。目に見えないところでも、見ていてくださる御方がおられる。慰めになる。★毎日を変わりのない生活をつづけています。「うれしかった、こと、ある?よかったこと、ある?」。夕食のとき、隣の男性は、車椅子の人です。いつも声を掛け合っている。「きのう、誕生日でしたよね?」と声をかけると、うれしそうに「ハイ」と頷きました。「何歳になったのですか?」と好奇心から聞くと、笑って答えない。へえ。やっぱり、ね。簡単には・・・。でも言った。「80です」「ああ、それなら昭和10年生まれですね。戦後、70年だから」。その辺の計算は直感で出来る。きのうは、この人にとって、うれしかったでしょう。「おやすみなさい」。ほほえみながら、車椅子をまわして、去って行かれた。ちなみに、今夜のメニューは、ご飯に、ひらアジの煮付け。酢の物、冷やっこ・ねぎソース、冬瓜のスープ、バナナ1本、でした。思いますよ。嬉しかったこと、ある?よかったこと、ある?生きているのが喜びです。毎日、変わらなくても、ね。★5月頃から、毎度、黒いベンがつづくのです。おかしいなあ。悩みましたよ。医務室に行って、看護師さんに聞くと、「お薬手帳」を見て、飲んでいるクスリの関係とわかった。はっきり書いてある。「ベンが黒くなります」。悩みが1つ解けて、安心しました。最近、届いた手紙の一節です。「体の不具合を幾つも抱えて生きるご苦労は、察するに余りありましょう。それでも『今日』という日は二度と来ないのだから、幻滅することなく日々を生き抜いていただきたい。憚りながら、そう願っています」
2015年7月11日土曜日
長崎まで車で1時間。往復すると、やはり疲れる
朝食も取らずに、高原修道士の車で、長崎へ出かけた。市内に入ると、浦上天主堂の下の道路を通る。クリニックで診察を受けた。あと1ヶ月で、原爆70周年を迎える。新聞にも関係の記事が目につくようになった。70年といえば、本当に長い。直接・被爆者の平均年齢も、80歳を越えた、とあった。当時のことを思う。永井博士の如己堂あたりから、夜、真っ暗な闇のなかで、炎々と燃える崩壊した天主堂を眺めて、毎夜、毎夜、泣いた事が忘れられない。終戦のとき、誰もが「戦争は、もう絶対にイヤだ」と心から思った。70年、あの思いは未だに消えない。★昼食どきに、ホームへ帰った。すぐ食堂へ急いだ。皆さん、食事の真っ最中であった。ホームへ帰ると、なぜか、ホットする。「きょうの洗濯物は出しましたか」と職員さんが戸をひらいて声をかけてくれた。「ハイ、お願いしてから出かけました」。洗濯物は、きれいに小さな籠に収まって、渡してくださった。平和な1日が、きょうも暮れる。
2015年7月10日金曜日
『ジンクーエン』は、「ありがとう」。忘れないように
2015年7月9日木曜日
コルベ神父さまに出会ったと感動した長崎です
夕食どきに、1通の手紙を渡された。知らない女性からで、「初めて手紙を出させていただきます」とあった。夕ぐれどき、自室で内容を読んで、こんなに感動したのは久しぶりだった。手紙には、「一昨年、初めて長崎へ行きました。今思えば、マリアさまのお導きだったと強く感じます。聖コルベ記念館で、少しの時間ですが、お目にかかり、ブログに載せていただいて、とても嬉しく感激しました。記念館で購入した小崎さんの本で、初めて生きておられたコルベ神父さまを知りました。コルベ神父さまに出会ったと思いました。ご苦労を共にされた聖母の騎士の方々や、関わられた方々の決して褪せることのない記憶や、小崎さんが丹念に調べ、現地へ幾度も足を運ばれて、伝えて下さった真実が胸に迫り、コルベ神父さまの息遣いを感じるほどでした。電車の中で読んでいた時、となりの方から「その本はなんという本ですか」と聞かれ、お見せすると「書店には、ないですね。カトリック教会に行ってみよう・・・」と言われたこともありました。小崎さんが外海へ行くのもいいですよ、と言われ、今年、3月末に再び長崎へ。コルベ神父さまの部屋に入り、神さまとマリアさまに感謝しましてくださって、胸にこみ上げる熱さを感じた。これほど嬉しかった手紙があったろうか。聖コルベ館で、トた。外海・出津へ。温かくお恵みの多い旅でした。先日のブログで、お父さまがのご出身とあり、青い海と、風景の美しさを思い出しています」★そこまで書いて下さった。トマさんに会いました。本も読んで感動した。ホームに入って、不具合だという。心配しています。ブログも読んでいます。わざわざ今、お手紙を下さったからには、そこに何か忘れない今も感じるものがあったのでしょう。人の一生はつづいている。その折々に出会いがあって、火花のように一瞬、光るものがあった。体験した。つながりが出来た。出会いがあって、つながって、生きる恵みになる。
2015年7月8日水曜日
1つの言葉でも元気が出るさ。智恵を求めたい
夕食が終わって、手と顔を洗い、パソコンに向かいました。遅くなった。でも、窓の外からは、すぐ近くの小学校から、子どもの声が聞こえてくる。きょうは夕方のロザリオを祈って、自室に、明子さんが来た。持って来てくれた野花です。やっぱり、いいですね。明子さんとは、1時間ほど話をした。明子さんは、毎朝のミサに出て、教会の祈りを唱えるように努力している。ミサが終わるのが、6時半過ぎ。帰りしなに、必ず、小学校の、3・4年ぐらいの男の子に会うそうだ。「こんなに早くから・・・」。最初は、笑顔で、手を振るだけだったが、最近は、言葉も返すようになった、という。あの男の子は、ひょっとしたら、毎朝、おばさんに会うのを楽しみにしているかも知れない。「きょうも、べんきょう、がんばるんだよ」。出会いが楽しみだ。人には、いろんな事情があるだろう。1つの言葉が元気を与えれば幸せだ。苦しみを、苦しみと思わない智恵を求めたい。
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