長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年7月7日月曜日
自分には何もない。常にお恵みで、と意識すること。
★聖コルベ館の玄関、小さな器に咲いた「ダリア」です。入館者が、目をとめてくれるか。通り過ぎても、ダリアは嬉しそうに咲いているだろう。★信仰生活とは、なんだろう。自分が持っている、ではなくて、持てるもの、すべてはお恵みと感謝する、その心が信仰心だと、今朝は思った。★ひさしぶりに町へ出た。歯医者さんへ行って、口のなかを清潔に処置してもらった。自分の歯が揃っている。自慢でも、ある。次に、耳鼻科へ行った。長年、左の耳を患っている。内耳を清潔に処置してもらった。「よろしくお願いします」「ありがとうございました」と、かけ声を忘れない。次に、浜屋へ行き、長袖のシャツを1枚購入した。水色か、灰色か、即決で決めた。「おまえは、シュウ・・・シ」。常に背後に付いて回る意識だ。午後から、介護の入浴がある。夏になったので、週3回になった。ありがたい。こころ安らぐ入浴です。
2014年7月6日日曜日
ライモンドよ、いずこに居る?早く、姿を見せよ。
★3、4日前、長崎には、50年ぶりに大雨が降りました。テレビの全国ニュースにも映りました。今朝も、雨が、シトシトと降っています。日曜日、自室から、傘をさして聖コルベ館へ。玄関に、ネコが雨にぬれて、ジーッとして動かない。「あれ?ライモ・・・」。いや、色がちがう。カラダいっぱい、うすい茶色だ。痩せこけ、毛はぬれ、おびえるように走り去った。★聖コルベ館内の電気をつけ、片付けものをして、パソコンに向かう。コメントが入っていた。Junkoさんから「ずうっと気になっていた、ネコのライモンド君は、帰ってきましたか?」。ライモンドを思い出し、「そうだ、写真が食堂の手洗いの、カガミの横に貼っていたな。あの写真を日記に載せよう」。雨のなか、傘をさして、食堂へ行った。写真をはずして、載せたのが、この写真です。かわいいライモンドよ、いま、どこに居る。心配しているのだぞ。早く、帰っておいでよ。時々、皆さんの話題にも、なる。ライモンドは、なごやかな思い出を残してくれた。サカナ、好物のライモンド。忘れては、いない。誰が書いたか知れないが、「再会を、楽しみに」とあった。無事を、祈っている。
2014年7月5日土曜日
愛は、なぜ、を問わない。先生の一句にショウゲキ。
★大学の先生(教授)が来て、有益な話を、1時間20分、聞きました。ドイツへ留学して、勉強された先生です。ポーランド・クラクフのフランシスコ会修道院へ祈りに行った。トマ修道士も知っている。聖堂に、聖コルベの立派な、大きな絵が掲げられていた。信者ではないので、後方で、静かに黙していると、1人のポーランドご婦人が近づいてきて、「ニホン人ですか」「ハイ」「いっしょに祈ってください」と頼んだそうです。先生は大変感激したと言いました。★そのとき先生は、こう言った。「愛は、なぜ、を問わない」。この一句を聞いたとき、胸に衝撃が走った。愛は、なぜ、を知らないのです。なぜ、愛するのか。理由は、ない。わけを知っているとか、そうではない。人に与えられた使命です。人なら、愛は当然なんだ。暗黙のうちに、そう受け取った。★この言葉は、教皇ヨハネ・パウロ2世の言葉です、と先生は言った。カトリック青年の年に、ケルンで言われた言葉だそうです。「愛は、なぜ、を問わない」。いい言葉では、ないですか。ゼノ修道士、なぜ、わたしが、こんなことを、しなければ、ならないか。問いません。コルベ神父も、そうです。なぜ、いのち、ささげたか。問いません。そこまで愛を追求する、これが真髄です。★これまでトマ修道士は、聖コルベは、なぜ、いのちを、ささげたか。問いつづけた。イノチを助かった男性に出会って、彼から直接聞いて、「ジンクーエン(ありがとう)」とお礼を言わなかったのに、コルベ神父は優しい目で、大丈夫だよ。安心しなさい。言葉なくして、愛を注いで、連行されて行った。そこで、トマ修道士は、これまで「コルベ神父の愛は、お礼を求めない愛」と、力説した。なぜ、を問う位置づけをしようとした。そうではない、「愛は、なぜ、を問わない」「求めない」・・・・神は、愛なり。神から出る、人も愛なり。★大学の先生、一句をくださって、ありがとう。
2014年7月4日金曜日
トークに自信が持てた、夕べの会食。元気が出た。
★長崎から見れば、鳥取は、やはり風土が違いますね。日本海の風は、北朝鮮の記憶から、冷たい感じがします。鳥取、最後の夜に、お別れに、9人が集まった。主任神父さんも居られた。鳥取の皆さんは、長崎に、また長崎の修道士に興味があるんですね。長崎で、普通に知っている知識や経験談でも、鳥取の皆さんは、とにかく、よく反応して、笑いつつ、声をあげつつ、聞いてくれた。話・甲斐がありました。トークにも、ちょっと自信が持てた感じでした。★どんな話がもてたか、って?新築の大浦天主堂を、初めて訪ねた浦上の姉妹に、プチジャン神父が、「名は、なんと申す?」「ゆり、てる、と申します」「イヤ、イヤ、ほかの名があるはず?」「イザベリナと、クララと、申します」。プチジャン神父はたいそう喜んで、「ホウビにあげます」と、イザベリナ・ゆりには、ロザリオを、クララ・てるには、小指ほどの銀のマリア像をくださった。クララ・てるは、その後、迫害にあって津和野へ流され、苦労をしたが、マリア像を髪の中にかくして、祈りつつ、耐えて、迫害は終わった。役人に、「ホレ、ホレ、このマリアさまが守ってくださった。知らん、やった、ろーが」と見せびらかした。残念、クララ・てるの子孫は、銀のマリア像を紛失して、悲しんでいる。★こんな話、あんな話で、会食は、3時間、盛り上がった。鳥取の皆さん、ありがとう。
2014年7月3日木曜日
旅の途中で、ホテルからパソコン借りて日記を書く。
★鳥取といえば、「因幡(いなば)の白ウサギ」です。皮をはがれた白ウサギを、大国主命(おおくに・ぬし・の・みこと)が癒してあげた。白兎海岸に、像が立っている。★この度の小さな旅では、現地の広島、鳥取から、ホテルのファックスで、文章を、長崎の騎士社へ送った。それを、いちはやく日記に載せてもらった。鳥取の後半では、ホテルのフロントから、パソコンを借りて、(1日、1.000円)、部屋で打って、日記を書いた。ただ、写真を挿入できない。写真は帰った後、入れた。★皆さん、応援してくださった。ありがとう。写真を入れて、旅が仕上がった後の、日記・閲覧は、1日で、280人の方が見てくださった。コメントも入っていた。「旅の不安に、恐れるな」(ファチマに書いてあった)、「お元気で戻れますように」「素敵な滞在を祈ります」など、ありがたいです。★1つの旅で、少しは成長しました。こころが、おおらかになった。まわりの人に対して、「こー、したらいい」「あー、したらいい」。いろいろ意見はあるけれど、他人の庭にまで、入らない。見守って、自分は信念をつらぬいていく。それで、いいでしょう。★鳥取で、数人が集まって、会食のとき、「ウサギの肉は、おいしいか」の話題になりました。戦争中、ウサギの肉を食ったことがある。ニワトリに似た肉で、うすいピンク色の肉で、当時は食料不足で、牛肉もなかったから、おいしく食べた。ヤギも、田舎で、食べました。そんな、こんな、話をすると、盛り上がるんですね。
2014年7月2日水曜日
月の砂漠を、はるばると。ラクダに乗って、ああ、らくだ。
★鳥取といえば、ラッキョの産地です。砂漠の近くの砂畑に、ラッキョの畑があった。長イモの産地でもある。それから砂漠です。「オーィ。手ば、上げて、サバクは、いいぞ」「ラクダ君が、こっち向けば、よかったのに。残念や、な。まさか、ラクダに乗るとは思いませんでした」。★人は、「どの土地、どの家族で、生まれるか」「誰と、出会うか」「どのような苦難に遭(あ)うか」によって、生きていく方向が、グンと違います。環境、出会い、苦難、です。サバクのような場所ですよ。うるおいのあるジンセイに、変えていく。愛のつながり、ですよね。鳥取のみどりさんは、ほんとうに良く面倒をみてくれた。★「あなたの、おかげで、いまの、わたしが、あります。そんな、言葉を、いえる人に、出会いなさい。あなたのジンセイは、幸せになる」
2014年7月1日火曜日
7月始まる。年の半分は終わった。今を感謝。
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