★毎朝、ミサの中で、鈴を鳴らします。鳴らす係りが、「1週間ほど居ないので、鈴を鳴らしてください」と頼まれた。(まかせて、おきなさい)。若い頃から、ミサの使いをして、鈴を鳴らしたものです。
★昔(公会議以前)のミサは、各司祭は1人でミサを捧げた。だから3人の司祭が居ると、3つのミサがあり、各ミサにはラテン語で司祭に応答するミサ使い(信徒・男性の子どもか、修道士も)が一緒に居て、鈴を鳴らしたものです。
★今は、3人の司祭が居ても、共同で、1つのミサを捧げています。昔のミサの祭服は、「前、後ろ、被る」ようになっていて、美しい刺繍が施してあった。祭服のデザインがなつかしい。祭服に、あの豪華さがなくなったのが、寂しいです。
★そういうわけで、ここ数日、ミサのとき、鈴を鳴らしています。司祭のミサの行動に合わせて、それに、スズの音の長さや、余韻を考えながら、自慢じゃないが、自信を持って、リッパに操作しております。鳴らす回数は、6回、ある。
★すると今朝、老人の女性から声をかけられた。「スズば、ならすと、うまかけんね」「そりゃ、そうでしょう、年期が入っているからね」
★別件ですが、長崎の原爆被爆者の女性から電話があった。「あした、日曜日に、写真家を連れて来ます」。待って居ますよ。
司祭と心の向きを一緒にしてミサの波に乗って鳴らす人はうまい人だと思う。
返信削除心の向きを一緒にするって一言で言ってもなかなか深い。小崎修道士ならではの鈴、さぞ心地よく鳴っていることでしょう。