「長崎の鐘」の原爆・医師、パウロ永井隆博士。原爆・終戦の翌年、聖母の騎士の神学校(中学)で、永井先生から、「理科」を教えられた。忘れられぬ先生です。
★横浜の情報文化センターから、白い、大きな封筒の「お願い文」が届いた。2000年8月7日に、NHK長崎で、「長崎の鐘は鳴り続ける、平和を叫び続けた男、永井隆」を放送したらしいのですが、それに「小崎」さんも出演している。それを、今年の8月上旬に、1週間、長崎の原爆資料館で、「テレビが伝えた被爆の記憶fromナガサキ」として上映するので、承諾してほしい、と書かれていた。原爆資料館では、合わせて15本の番組の上映を予定しているそうです。その中の1本でしょう。
★2000年といえば、もう16年前ですから、全く覚えていません。小崎が出ているのか、何を語ったのか、わかりません。もう、むかしのことです。こうして、やはり記憶は無くなっていくのでしょう。
★原爆が、どんなに悲惨な特殊爆弾であったか、体験した者にしか理解し得ないでしょう。どん底に落ちた。そのなかで、信仰者として、浦上の信徒に、生きる希望、早めの復興を与えたのが、永井先生でした。
★永井先生のお宅付近の丘に、毎晩、腰をおろして、無残にも破壊されて、燃え続ける浦上天主堂を眺めながら、泣きました。毎晩、毎晩、泣きました。空には、美しい星が輝いているのに、その下で生きる我らは、ただ、ただ、泣きました。その涙を止めてくれたのが、永井先生だったのです。
永井先生が"長崎の鐘"にお書きになっていらっしゃる遺族代表のお別れのお言葉に 一言も表現出来ないほど 圧倒されました。平和を思う時 私は いつもこのお言葉に戻ります。このご本の英語版を アメリカの友人達に読んで頂きました.
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