むかし、海辺の教会の写真を撮った。向こう側に、教会があって(よく見ないと、わからない)、それに添って、漁船が浮かんでいる。その手前には、女性たちが、捕れたサカナ「イリコ」を干していた。懐かしい写真だ。この風景は、忘れない。いつも、心に残っている。これには「海辺の祈り」と題をつけて、次の話を書いた。「フランスの青年が、フランスでも最もカトリック信仰が熱心なブルターニュ地方を旅した。ホテルの主人から、「海岸へ行って、漁師たちの出漁の様子を見なさい」と勧められる。見慣れた光景と思いつつも、海辺へ出てみた。すると漁師たちの信仰の深さに感動する。彼らは、出船にあたって、海岸にひざまずいて、祈るのであった。「おお、神よ、我が船は小さく、大海は広い。海のさなかにおいて嵐吹かば、わが船は必ず沈没せん。されば全能の神よ、我が小さき舟をまもり給え」。それを見た青年は、自分で祈りをつくって、唱えることにした。「全能の神よ、わが頭脳は小さく、知識は海の如く広い。かの海は、狂乱怒涛の如くして、我にとりて危うきなれば、神よ、我を守りて、安全に、真理の港へ導き給わんことを」。フランス青年は、その日、以来、「真理の港へみちびき給え」と祈りつづけた。それに応えて、神は、導き給うた。やがて、青年は司祭となり、日本へ宣教へきた。在日数十年、「巧みな日本語で、日本の文化人を魅了し、筆舌の活動をつづけたカンドー神父こそ、その人であった」。カンドー神父さまは著名な宣教師だった。「我々も、天国の港へ無事にたどり着けるようブルターニュの漁師に倣って、日々、祈り求めよう」
ブログの更新ありがとうございます。
返信削除今日の記事も心に残りました。
至らないものですが、置かれた所で誠実に信仰生活をすごせますよう祈り求めたいと思いました。
素晴らしい記事ですね。自分の行くべき道に導かれるよう祈り続ける大切さを教えてくれます。毎日、毎日が祈りの連続の日々でありますように!祈りによって私が形作られます様に。真理の港に運ばれます様に。共にお祈りください。三橋 理江子
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