11月2日は、カトリックでは、死者の日を祈ります。朝、ミサと、聖務日課で祈りました。多くの人と死に別れがあった。父の病死。母の原爆死。伯父さん、叔母さん、ポーランド人の修道者たち、最近では、親友の死もあった。数え切れない人の死を見送っている。どれほど多くの恩を受けたことだろう。コルベ神父からイノチをもらった男性は言った。「恩は、もう、あの人には返せない。ならば、別の人に、別の所で返していく」。この言葉には真実がある。★死んだ人のために祈るが、大事なのは、生きていることだろう。生き抜くことだ。ジンセイって、何だろう、と考える。85にもなって、振り返って思うと、結局、人生は、「①出会いであり、②才能を伸ばすことであり、③幸せになる、それに尽きる」この3つに集約される気がする。沢山の人に出会ってきた。いい出会いは、幸い、傷つく出会いは、痛み悲しい。持っている才能を伸ばして、自分を確立していく。好きこそ、ものの上手なれ、という。人生は、幸せでありたい、誰もが、そう願っている。それでも、幸せは、各人の価値観によって、異なるだろう。派手な生き方、好まない。質素で、いい。それでも、本当の幸せを求めたい。何処に、ある?幸せは、心の安らぎと、祈って、希望を持つ信仰にあると、いまは思っています。
0 件のコメント:
コメントを投稿