★次いで、昼寝から起きて、パソコンに向かう姿。「小崎登明さん御年91歳。日課は決まって、昼寝の後です」。右手でしか、キィを打てない。「パソコン操作を自分で覚えて、10年前、始めました」。パソコンの画面は、「書道」で書いた「令和」だった。「小崎さんの日課とは、ブログを書くことです。10年前から、日々の出来事や、心の動きをユニークな『おざき・ぶし』で綴っています」
★「梅よ、咲け、咲け。ボクも、咲くぞ」も、ある。女性の声で「小崎さんのお歳で毎日ブログを書くのは大変めずらしいのですが」の問いに「そうかなァ。他の人も書いているんじゃない?自分の出来事を、自分のために書きたいんです」
★食堂での食事風景が出た。次に、2羽のスズメの話。あの話を、ここに持って来たのは良かったね。気に入ったよ。男の声で「左のスズメが、じりじりと右の方へ寄ってきた。春だぞ。チャンスは逃すなよ。ここは老人ホームだ、遠慮はするな。あれ?、なんだ?、右のスズメはガンとして動かない。恋に破れたのか。オレには分からん。何やら切ない気持ち」
★朝、5時過ぎ、教会へ。お祈りと、ミサの場面。「小崎さんは、県内最高齢のカトリック修道士です」。濱田神父さんが写っていた。この後、家族の説明になる。両親の写真や、トマの幼児の写真、母と子の写真が出て、原爆の話になる。
★びっくりしたのは、1998年のトマ修道士が出て、原爆を語った。若いね。70歳のときだよ。よく、この写真が残っていたね。「炎で空が真っ赤になって、どんどん燃えて、母親の夢をみた気がしたんですね。ああ、母親が死んだ、予感がした」
★「終戦後、小崎さんは長崎市の聖母の騎士修道院に身を寄せる。当時の修道士たちは、戦争で親を亡くした男子の子供たちを集め、世話に奔走していた。そんな姿にあこがれた」
★この後は、また自室で、パソコンを打つ姿が出る。男の声で、いつかに載せた「人生で悲しいことは、2つある。その1つは、父親、母親に、子供の頃、早く死に別れることです。親を失った子供の悲しみ、ツライよ。最近は、親が子供を殺す事件が起きている。トンでもない事ですよ。子供は親が頼りですから」
★こんな珍しい写真も出た。聖母の騎士で病気を病んで、療養していた頃の写真だった。右はポーランド人のマチア修道士さん。乳牛を飼って、牛乳を搾っていた。マチアさんは草刈りに、ルルドの上の山へ毎日、出かけた。懐かしい写真である。テレビのディレクターもよくぞ目に留まったものだ。トマはいっさい口を挟まなかった。
★(この項、つづく)
トマさーん 今日は息子たちが通う聖母の騎士高校と娘の小学校は遠足ですよ〜(^^)
返信削除テレビ 観てましたよ〜娘は 手を合わせてトマさんに会いたいです。トマさんに会いたいです。とブツブツ言いながら観てました。トマさんの日記を毎日楽しみにしている我が家です。
満足できる内容に仕上がって放送されて、良かったです。
返信削除今度お会いする時に録画を見せていただけたら、嬉しいです。