長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年4月8日火曜日
父のふるさと、外海・黒崎、やわらかい風が吹いてくる。
★従姉にシスターが居ります。87歳の誕生日が来たと言います。では、誕生祝いに、いっしょに回ろうか、と運転を他の修道士さんに頼み、3人で出かけた。「どこへ行こう」「両親の墓参りに行こう」。それで外海・黒崎に帰りました。「ふるさと」の風景です。ふるさとは、いつ来ても、いいですね。風がやわらかで、心が癒される。少年の頃、泳いだ溜め池もある。シスターの両親も、わたしの両親も、同じ墓に入っている。3人でロザリオを唱えました。運転の修道士さんも同じふるさとです。両親の墓もある。墓参の後、地元のお年寄りの家々を訪ねて、慰めました。それがシスターの誕生祝いでした。★せめて昼飯でも、ごちそうしよう。シスターに聞いた。「お祝いに何が食べたい?」「チャンポン」という。「チャンポンで、いいの?」「チャンポンが、どうしても食べたい」と熱望した。「安上がりだよ」。そこで黒崎の食事処に入った。メニューに何がある?長崎らしく、チャンポン、皿うどん、それに丼もの、定食などなど。何にする?シスターは「チャンポン、ぜひとも」「よし、じゃ、わたしもチャンポン」。運転の修道士は「皿うどん」。2つと1つを注文した。先にチャンポンが1つ届いたので、わたしが食べた。次、チャンポンと皿うどんが来るかと思ったら、皿うどんが2つ届いた。厨房に伝えるのに、間違えたらしい。本当は告げるわけだが、仕方がない、耐えた。あれほど熱望したチャンポンだったが、シスターはチャンポンを食べた。「わたしが先に食べて、ごめんな。シスター、また今度食べてよ」。残念、笑いのなかで、誕生祝いは終わって、シスターは山の修道院へ帰ったのだった。★115★
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