長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年4月22日火曜日
復活祭・春のドライブ。西彼杵半島をめぐる。楽しい。
毎年、復活祭の後で、全員で、近場に日帰りのドライブする習慣があります。それに従って、出かけた。今年は、西彼杵(にし・そのぎ)半島をめぐる巡礼となる。曇り空のもと、朝は9時に出て、夜の7時頃に帰った。かなり車に揺られたわけです。それでも楽しいドライブでした。最初は、時津町の①日本26聖人上陸地へ行く。それから②小干が浦の殉教地へ回った。非常に分かりにくい、海辺の場所です。(写真)。「今日の巡礼と、ここの殉教者のため、合わせて1連を唱えましょう」と呼びかけると、みんなが受け入れてくれて、祈りました。次いで、③大村の殿様・純忠が洗礼を受けて、貿易でも栄えた横瀬が浦を訪ねた。海辺の集落です。ここで昼食をとる。《船番所》という食事処で、バイキングを楽しみました。午後からは、④中浦ジュリアン生誕地であり、中浦を訪ねた。樹木が大きく茂って伸びているのが驚きでした。⑤ドロ神父・大野聖堂。⑥ドロ神父・救助院を訪問する。2階建てのドロ教育場所です。ドロさまは、村の未婚の女性を、ここに合宿させて、宗教教育、農業の指導、生きる知恵など教えて、ここから結婚させたり、シスターの道を開いた。結婚した女性の子供から、多くの聖職者が生まれ、育ったのです。出津に、なぜ召し出しが多いのか、そのヒミツは、ここだった。それを忘れては、いけません。意味があるのです。そう思いつつ最後の場所は⑦桜の里・教会を訪ねる。ここは初めての訪問でした。ここで又、声をかける。「巡礼の恵みに感謝して、又1連を唱えましょう」。みんなは応じてくれた。うれしい限りです。みんなで唱えました。その後で、夕食は、回転寿司でした。健康で、無事に終わった次第です。
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