長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年2月28日木曜日
「コーちゃん」と母は呼んだ。幸一は、いい名前。でも使わない
父と母の、いっしょの写真、1枚だけ残る。原爆で、すべてが燃えた。この写真は、どこに保存されていたのか。もう覚えていない。今朝は、この写真を、暖かい眼差しで眺めた。明日は、誕生日です。両親が居て、子どもが居るわけだから、父母に、感謝の気持ちが湧いてくる。「よくぞ、幸一、という名前を付けてくれました」。幸一という名前は、気に入っている。父は、46歳で、北朝鮮で亡くなった。1度、墓参りに行きたいと思うが、核実験の現実を見ると、危険を感じて、とても行く気持ちになれない。「ごめんね」と言うしかない。母は、45歳で、原爆で行方不明となる。骨も拾えなかった。こっちも、「ごめんよ」。母は、父とは、11歳も年の差があった。若い母は、「コーちゃん、コーちゃん」と呼んでくれた。いま、両親に会ったら、修道士の服を見て、びっくりするだろう。「コーちゃんは、小崎修道士になったよ」「よくぞ、その道を選んだのね」。これまで沢山、祈ってきたから、この身に満足してくれるだろう。★今年になって、1月、2月と、早や、2ヶ月は過ぎた。これから先、どれほど生かされるか。動ける間は、がんばろう。昨夜のテレビのドラマに、こんなセリフがあった。「あんまり、下ばかり、向くな。上を向いて、深呼吸の1つでもすれば、まあ、なんとか、なるさと思え。人生とは、どの道、しんどいモンだ。それでも投げずに、生きていりゃ、お天とサンは、チャンと見てくれるよ」。こんなセリフが好きだな。両親の、言葉かも、知れん。
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少し遅くなりましたが、、、
返信削除小崎さん85歳のお誕生日本当におめでとうございます。
いつもブログを拝見しております。
何度もコメントを残そうと思ったものの、恥ずかしくて今日までできずにおりました。
ブログで、お父様とお母様の話を拝見するたびに、胸が熱くなり、涙がこぼれそうになるわたしです。
本当に素敵なご両親だったんですね。
実は3年ほど前、永井先生の軌跡をたどって長崎に旅行したとき、聖母の騎士にも伺ったんですよ。
今はもう引退されたという上品なおばあさんが親切に対応してくださいました。
小崎さんにもお会いできるかなと楽しみにしていたのですが、そのときはご縁がなかったらしく、とても残念です。
また必ず、そちらに伺いたいと思います。
まだまだ朝晩冷え込みますから、くれぐれもお体大事になさってくださいね。
それでは、いつかお会いできる日を信じて・・・