2018年8月9日木曜日

原爆投下の時間、計らずも母と別れた場所で祈った

8月9日。長崎・原爆の日。毎月1度、長崎市のヨゼフ・クリニックへ定期の診察へ出かけている。ホームの看護師さんが予定を設定してくれた日が、丁度、原爆の日になった。高原修道士さんの運転で出かける。
★患者が少なく、診察が早めに終わった。高原さんが、「トマさん、原爆の日に住んでいた家へ行ってみよう。11時2分、投下の時間にサイレンが鳴るので、ロザリオをお祈りしよう」と勧めてくれた。道も、家々も、全く変わっていて、73年前の風景は見出せない。「このヘンに家があった」。木造の家が、そこにあった。「当時の家は木造です」。サイレンが鳴った。原爆死した母親、親戚、犠牲者のために、ロザリオ1連唱えた。看護師さんの設定、高原さんの好意、原爆当時の家の付近で、祈れるなんて思いもしなかった。安倍首相が原爆の祭典に出席されるので、警察官による道路の封鎖が10分間つづいた。
★原爆の日、魚雷制作のトンネル工場を出て、浦上川まで来た。橋が壊れていて、渡れない。川の中へ降りて行った。死体が幾つか川にあった。川を渡ろうとすると、「助けてください」とズボンのスソを引っ張られた。「え?君は、ダレ?」「ボクは小学6年生です。夏休みで、オジサンの家に居たらバクダンが落ちて、オジサン、死んで、ボクも足をケガして、ノドが渇くので川の水を飲みました。ボクは、もう動けません。助けてください」「助けるって?どこに助けるの?」「浦上全体がメチャメチャに崩壊され、ここに居ても、場所を移しても同じことナンです。だから、ここに、ジッとして、ここに居りなさい。後で、警察のオジサンと警防団のオジサンが助けに来る」「イヤだ、イヤだ。ボクは、ここに居たら死んじゃうよ」。それでも少年の手を振り払って、その場を逃げた。すると少年の声が私の背中に届いた。「オニイチャン」。今日は、その浦上川へ行ってみた。「ああ、ここなんだ。あの少年を助けなかった場所は」。唯々、当時を思い、悲しみが胸に湧き起こった。あの少年は、どうなったであろうか。私は言う。「ゲンバクとは、助ける事が出来ないバクダンだよ」