★原爆の当日、午後4時頃、17歳の私は、この街道を歩いて自宅の方へ向かった。家々は倒壊しただけで、まだ燃えていなかった。家の残骸を乗り越えて歩いた。丁度、母が生まれた場所辺りの家で、少女が泣いていた。「お母さんが、家の下敷きになった」という。かがんで見ると、瓦や材木の下に、髪の毛が見えた。私1人の力では、どうすることも出来なかった。私はその場を離れた。自宅があった所を眺めると、周辺一面は燃え尽きて何もなかった。廃墟であった。「ああ、母は、どこだ」。私は唯、泣き叫ぶばかりだった。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2018年8月10日金曜日
永井隆博士の如己堂と、母が生まれた場所へ行く
★原爆の当日、午後4時頃、17歳の私は、この街道を歩いて自宅の方へ向かった。家々は倒壊しただけで、まだ燃えていなかった。家の残骸を乗り越えて歩いた。丁度、母が生まれた場所辺りの家で、少女が泣いていた。「お母さんが、家の下敷きになった」という。かがんで見ると、瓦や材木の下に、髪の毛が見えた。私1人の力では、どうすることも出来なかった。私はその場を離れた。自宅があった所を眺めると、周辺一面は燃え尽きて何もなかった。廃墟であった。「ああ、母は、どこだ」。私は唯、泣き叫ぶばかりだった。