入江さんに喜んでもらおうと、昨日の日記を、事務室に頼んでA4に起こしてもらい、夕食の時に、入江さんに渡した。食事しながら、彼は私に、こう言った。
★「この間、アンタから朝日新聞に載った記事を読ませてもらった。その時、アンタは、ゼノさんの話をしたね。原爆の後で聖母の騎士に入ったとき、ゼノさんが『お母さん、どうしました?』『原爆で死にました』。するとゼノさんが、青い目から涙を流した、という話だよ。それを聞いたその日から、ワタシは、ゼノさんの取り次ぎを祈っている。大曾神父さまの健康が回復するように、と。ゼノさん、まっすぐ、天国へ行っている」(写真は入江さんと大曾神父さま)。入江さんが大曾神父さまのため祈っているのは、おどろきだった。
★話しているうちに、食堂には、2人だけになった。「入江さん、私の部屋へおいで」と彼を自室へ誘った。入江さんも、「話そうと、思(おも)とった」
★毎日、午後からのロザリオの祈りで、1連毎に意向を立てて、妻や、両親や、6人の男兄弟、5人の女姉妹など家族のため、次に子どもや、孫のため、また(出身地の)五島・立谷(たちや)集落の信徒のために祈っている。今度は、大曾神父さまの意向を加えた。
★去年の11月、死者の月からは、立谷・集落、48家族のため祈っている。立谷の家のみんな、何人おった、何人おった、覚えているからね。立谷は私もオラショの旅の案内役で、何十回となく通った道だった。迫害で、五島のイチ番端(ハシ)で暮らすようになって、そこには、井持浦(いもち・うら)ルルドの教会もある。小学3年の時から、中田藤太郎神父さまのミサ使いをした。(ついでながら、中田藤太郎神父さまは、神学生のとき、コルベ神父から哲学の授業を受けた。私も知っている神父さま)
★入江さんの話を聞きながら、私は強く思い、嬉しくなった。「ここに、本当に、根ざした信仰がある。祈りの精神を持っている。信仰が生活に生きている」。私は入江さんの語りに感動して、彼のヒザを、何度か、サスってあげていた。こんなに嬉しい日はなかった。
★ホームで、92歳のカトリック女性が逝去した。在園期間、13年。午後から、教会でお通夜の祈りが行なわれる。
みなさん美しい顔をされてますね。自分もこのように年をとりたいと憧れます。
返信削除アーメン
返信削除涙がでました。
思いやりと慈しみ
返信削除入江様!小崎様!
いつもありがとうございます