いつぞや、テレビにバレンタインのチョコの商戦が映っていた。「チョコ、来るかな」と、日記に書いたところ、小さなチョコから、豪華なチョコ、色鉛筆の形をしたチョコまで、届きました。今日が、バレンタインの日です。念願は、ボクのふところに届きました。「送ってくださって、ありがとう」
★いつも日記を書いていて、ふしぎに思うのです。毎日、150人から、180人ぐらいの人が見てくださる。見守ってくださる。ホームの何の変哲もない生活、思いを綴っているのに、なぜ、こんなにも愛読してくださるのでしょうか。身辺に異変が起きた日などは、200人を越えている。ありがたいことです。「登明サンは、どういう生活をしているのだろう」「登明サンは、これから、どうなるのだろう」。自分でも、そう思います。「つながる」ご縁があるのが、嬉しいです。
★映画「沈黙」を見た夜は、一息、グッスリと眠った後、夜中に意識が冴えて、寝付かなかった。昨夜は、よく眠りました。もし私が、自分の胸を開いて、自分の「こころ」を見たとすると、三本の十字架が見える。十字架の一人は言った。「お前が神なら、救いを見せろ。助けてくれ。しるしを見せろ」。それを聞いて、善い盗賊は言った。「オレたちは悪行をしたから仕方がない。しかし、この御方は、悪いことはしていない。主よ、御国にお出になるとき、私を思い出してくさだい」。彼は、主が、共に居られることを意識している。キリストは答えられた。「きょう、汝、我と共に、楽園にあらん」
★主は沈黙を破って、はっきりと言われた。「汝、楽園に、共に、あらん」。これはキリストさまの生涯のクライマックスの場面だが、実は、我が胸の内の心でもあると、私は思う。キリストは、苦しむ私と共に、十字架に磔にされて苦しんで居られる。二人の盗賊の心境も、私の心のなかにある。主は、沈黙を破って、言われる。
★そして殉教者たちは、みな、「パライゾ」「天国」と叫んで、致命した。キリストさまの御声が聞こえたに違いない。「我と共に楽園にあらん」
★私は、キリスト教とは、第一に、天地万物を創造された全知、全能の神の存在を信じること。第二に、人は、人間は、神から出て、神に帰る存在であること。第三に、神の永遠のいのちが準備されていること。神の御子キリストさまが共に居られること。それにふさわしい人間になること。これがキリスト教の基本だと思う。目に見えない神を信じるか、永遠のいのちの存在が信じられるか、それは各人によって異なるだろう。この世に生きる試練がある。
アーメン
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