堅苦しい課題ですけど、考えますよ。聖コルベ館に平和学習に来る若者たち。①来る前の事前学習は、コルベ神父についての範囲はたいて決まっています。「経歴」と、「アウシュビッツでの身代わりの愛」。なかには「遠藤周作の女の一生・第二部」を読んでくる学生もいる。それらは常識の範囲を超えない。普通に知られていることです。②次に、実際に聖コルベ館に来て、何を学ぶか、です。何を若者たちの心に注入するか。これは内容の提供が、中々難しい課題です。コルベ神父と働きを共にした修道士さんが、現在も生きれ居られる、それを聞いて、コルベ神父さんは現代の人なんだな、と実感する。こうした身近な存在にしていくことが説得力があるでしょう。それとは、当然、愛とは何か、そういう設問も起こってくる。真実の愛に向き合う、ますます難しくなる。「素直に、コルベ神父のように生きたい」「良心に従って、行動できる人でありたい」「世界の人たちが、コルベ神父のような考えを持てば、世界の平和が訪れるのではないか」。そこまで考えが及ぶなら、幸いです。③学生たち、自身のまとめ。「コルベ神父に親しみを感じること。遠い存在でなく、身近な人。コルベ神父のように、愛に近付きたい」。それらの願いが、若者たちの心に芽生えれば、平和学習も「可」といわれるのでないか、と反省する次第です。
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