日曜日に、男子の職員が7、8人、総出で、ホームの床の清掃を行なっている。「ウン、ウン」と音がする床磨き機、汚れを拭き取って、ワックスを塗る。扇風機で乾かす。「ホームを奇麗にしたい」、一念からの作業です。1階の床と、私の前の廊下、3階を丹念に磨いた。2階は先日行なった。「ご苦労さま」。本当に、ピカ、ピカになりました。業者に頼めば、相当な金額がかかるでしょう。少しでも費用を浮かしたい。床がピカ、ピカに輝けば、暮らす人の気持ちも安らかになるし、来客があっても、その美しい廊下、環境に感動するでしょう。これもホームの皆さんの為を思っての作業です。歩きながら感謝しています。
★朝食が終わる頃、食堂に長崎の白浜さんが訪ねてきた。ルルドの水10本と、日記をA4の紙に起こした1か月分を持ってくる。「長崎・修道院で、10時半から、召命の集いがある」と言って、早々に帰った。召命の集いとは、毎年、いま時、市内の信徒(在世フランシスコ会・騎士会)が聖母の騎士に集って、修道会・本会の志願院の学生たちを励ます集会です。何十年も続いている。目指すはフランシスコ会の修道士になるか、司祭の道に進むか、「貧しく生きる」のが、本会の、神さまの召命へ招きです。
★以前に、簡素な生活をし、清貧の生き方を追求した作家に(故人)中野幸次さんがいた。著書「清貧の生きかた」(1993年・筑摩書房刊)の編者で、その中に、私の「長崎のコルベ神父」の一章、「清貧との出会い」を収録させていただいた。その彼が次のように言っている。「ものがあっても、心は満たされない。大事なことは、人が見ていようが、見ていなくても、自分で律していく。自分が正しいと信じた道をゆく。人の目は気にしない。もっと単純な生活、シンプル・ライフ、ものを持たないが、心豊かに内容のある生き方、それが清貧の原理です」
★心も、貧しさの中で、真の貴重な宝を発見して、ピカ、ピカに輝け、ということでは、ないでしょうか。
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