長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年5月10日金曜日
車椅子の女性、ブログの最初からの読者。会えて嬉しい
2月20日に、茨木から手紙が来ていた。「みふみさん」という女性からで、5月9日に、長崎に来るというのです。「ああ、まだ先だね」と思っていると、その9日が来た。そしてご本人がやって来た。車椅子の女性でした。お顔が、とっても、いいんです。和やかというか、白髪が、とっても、きれいです。ホレボレしました。騎士誌の愛読者です。ブログも毎日、読んでいます。最初からの読者です、と言われる。「小崎サン、何でも、いいから、書いてください。1行でも、いいんです。慰めになります」。十七歳の夏、長崎のコルベ神父、身かわりの愛、長崎オらショの旅など、4冊を抱えてきた。愛読者です、たまらないよ。うれしいね。「いま、心に浮かぶことは、何ですか」「何年か前に、脳の病気で、倒れました。不自由になった。信じて、従って、行く。病を、捧げることか、な」。苦しみの意味が分からない。『長崎のコルベ神父』を読んだ。コルベ神父が、ミロハナ神学生を、修道院で一番大事なところへ案内します、と言うんですね。行った先は病室です。病人が捧げる犠牲があるから活動ができる。病ならば、お望みになることを果たす。今度、ミロハナ神学生は長崎に来て、自分が病気になり、失望しそうになった。コルベ神父さまが慰め、励ました。「パウロの、喜びなさい。絶えまず、祈りなさい。いつも、感謝しなさい」。これですね。車椅子の生活だと、いろいろ苦しいこと、不自由なことも沢山ある。言葉の暴力も受けます。それでも耐えていく。「小崎サンは、いつぞや、ブログに書いていた。「この道しか、なかったんだ。これで、よかったんだ。この道で、幸せに、なりなさい」。そして女性は言った。「ああ、今日は、小崎サンに出会って、よかった」。色紙を2枚買って帰られた。「みふみさん、幸せになってくださいね」
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7日間の韓国旅行の詳細を拝見し、
返信削除韓国を、カトリックの国として訪れてみたいと思いました。
小崎さん、素晴らしい韓国訪問でしたね。
返信削除韓国の皆様の熱い信仰に感動致しました。
私も見習わなければと思いました。
みふみさん、お気をつけて茨木にご帰宅下さいませ。
お幸せでありますようお祈りしております。