日記を書き始めた年、2009年8月に、次の文がある。「イタリア・アシジの聖フランシスコ修道院で8年間暮らした瀧神父さんが、私たち(聖母の騎士修道院)共同体の一員となり、一緒に祈り、食事している。時折、アシジの話が食卓に出る。懐かしいアシジ。お城のような修道院にも何度も宿泊し、修道者一緒の昼食、夕食では、毎度ワインも飲んだ。日本で飲むワインとは全然違う。飲み易く、家庭的な、おいしいワインだった。滝神父さん『日本人の観光客が沢山来るが、ツアーの添乗員は、15分で説明して下さい、と言われることもあって、困るね。歩くだけで15分はかかる』。大聖堂には、ジョットーの有名な壁画が多く残る」。大聖堂は3層になっており、地下に、聖フランシスコのご遺体が安置されている。ここで沈黙して祈ると、心の底に沈んで行く気持ちがする。
★その瀧神父さんは、いまホームで一緒に生活し、食事は隣合わせで食べている。今日は、湯江教会では、アシジの聖フランシスコ大聖堂・献堂の祝日をお祝いした。我らの父であるアシジの聖フランシスコ。「誰に対しても兄弟姉妹であり、その広がりは、空よ、星よ、小川よ、魚よ、オオカミよ、と呼びかけ、貧しい人への愛、病者、重い皮膚病者に対して手厚い看護を尽くし、教会の修復、十字架のキリストへの熱情から我が身に尊い聖痕を受けた。争いを好まず、平和を求めた聖フランシスコ、聖人への思い出は消えない。本会、コンベンツアル聖フランシスコ修道会員のタマシイの故郷、憧れの場所でもある。
★昼食はサンドイッチだった。当然、パンを食べながら、瀧神父さんと語り合った。「献堂は13世紀ですよね」「1253年だよ」と、はっきり覚えておられる。「神父さんが居られた時、修道院に何人位、居ました?」「60人位かな、16ヶ国から来ていた」「8年間、居た中で、一番心に残る出来事は何ですか?」「地震だね。丁度、行って直ぐ起こった。修道院の者が2人亡くなり、外部の隊員も2人犠牲になった」
★中世で、キリストを生きた人は、聖フランシスコ。現代で、キリストを生きた人は、聖コルベ。これらの人の生き方に、現実にキリストに生きる人間を私たちは見ている。そのように自分も生きたいと願い、ロザリオを唱えた。(トマに送られて来た、大阪市・許書寧さんの絵)
おめでとうございます。
返信削除トマさんこんばんは(^^)瀧神父さま 8年暮らしてたのですね〜瀧神父さまからお話を聞きたいです(^^)トマさんも 行かれたのですね〜
返信削除いつかお話を聞かせてくださいね。
トマさん 楽しみにしてます。今度の日曜日のルルドまつりに初めて参列するので 楽しみですが緊張もしてます。お天気が心配ですが・・・
今日も お祈りします。
瀧神父様のお話しを拝見したら
返信削除益々アシジに巡礼を願う気持ちが強くなりました。