長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年5月31日土曜日
県北に、新・教会ができる。訪ねた。喜ばれた。
長崎に、1つの新しい教会ができた。「カトリック佐々教会」という。県北の、佐世保から少し北へむかった、市街地の、いい場所にできた。すっきりして、目だちやすい教会です。地域の方々が気安く利用できるように整えられている。5月31日が祝別式で、その前日に訪ねた。主任司祭にも出会って、お祝いをつげた。神父さんは喜んでおられた。神父さんから「小崎サン」と呼びかけられ、嬉しく思う。人は存在を認められると、ひじょうに嬉しい。教会は、祈る場所。教会は、人生を考える場所。★自分の人生を振り返ったとき、いちばん意欲的で、自分に合った仕事と思ったのは、教会めぐりの旅を自分で企画して、みなさんを案内して、喜んでもらうのが、最も生きがいを感じるときだった。旅の添乗員が、似合った仕事とおもう。張り合いもあり、意欲もわく。いまは懐かしい思い出だ。
2014年5月30日金曜日
1年ぶり、ホタルの夜。幸せの光は淡かった。
昨年と同じ場所に、ホタルの乱舞と、あわい光を見に行った。本当に、1年まえと全く同じだ。同じ時刻に、同じイタリア料理店へ入る。お店も待っていてくれた。飲食が始まる。料理が一通り終わったところで、8時すぎ、屋外は暗くなり、道をおりて、川のほうを見た。「居る、居る、おるーぞ」。ホタルが舞い踊っている。「あっちの水は、カライぞ。こっちは、あまい」。いいこと言っている。目をこらして、見て、見て、満足すると、また店のテーブルにもどった。コーヒーが出て、お開きとなった。「ああ、来年も、これるだろうか」。一縷の望みだけが、残る。★今年の参加者は、10人だった。何を語ったのか。半分以上は、アシジの滞在者だから、イタリアの話がはずむ。イタリアの風景と共に、聞いていても楽しい。次に、昔の神学校時代の思い出ばなし、失敗談など、これが結構、盛り上がる。その間、「トマさん、いちばん、歳うえだから、仕切ってくれよ」とか、「トマさん、思い切り、お酒、飲んだこと、あるの?」など、問いもあった。最後は、「90歳まで、だいじょうぶ」など、慰めも得た。ホタルの光は、淡いなあ。しかし、はっきり光っている。冷たく光っている。だから、なにか、怪しげでもある。神秘でもある。「人のイノチは、ホタルのひかりのように」。その夜は、暖かい寝床で、安らかにねむった。
2014年5月29日木曜日
いま長崎はアジサイ花盛り。めがね橋周辺に咲く。
老人は言うのです。「どうも、カラダが、前へ進まない。アタマが、ボッーとして、いまにも倒れて、死ぬ感じがするのです。老人になった証拠でしょうか。こんな経験は初めてです」。原爆検診のお医者さんは言うのです。「もっと、外へ出なさい。外気に触れなさい。閉じこもっていては、ダメです。散歩もいいですね」。老人は答えるのです。「ハイ、ハイ。よくわかります。散歩をしたいが、足の関節が痛むのです」。お医者さんは追加で言うのです。「健康を考えるなら、運動です。大切ですよ」。老人は、クルマから降りて、めがね橋のほとりを散策しました。花の季節です。ツツジも終わって、いまから、アジサイの季節になります。川のほとりには、色とりどりのアジサイや、似たような種類の花が咲いていました。老人は腹いっぱいに空気をすって、初夏を満喫しました。長崎の地名といえば、浦上、大波止、浜の町、大浦、そして、めがね橋です。橋の周辺には、修学旅行の小学生たちが、賑わっていました。
2014年5月28日水曜日
「人生を変えたい、その時。」こんなタイトルすてき。
今朝、ミサのまえに、司祭が言いました。「水曜日は聖ヨゼフの日です。病者の回復を願って、聖ヨゼフの取次ぎを祈りましょう」。今朝の聖ヨゼフの庭に、きれいな赤い花が目に留まりました。最近、日に何度か、口ずさむタイトルがあります。「人生を、変えたい、その時。」という一句です。いい、タイトルと思いませんか。これは先日、若者が訪ねてきました。日記にも書きました。彼が今年の正月に来たとき、言ったのが「人生を、変えたい」でした。そして教会へ行き始めたという嬉しい報告です。もっとも、自分を変えないで、周りの人と穏やかに、平穏に暮らせるのも、幸せでしょう。でも、時には、あの若者のように、「洗礼を受けては居るが、教会へ行ったことがない。今年は教会へ行こう。自分の人生を少し変えてみよう」。そう思い、自分の弱さに打ち勝つのも、進歩があります。一度しかないジンセイですから、自分を大事にしましょう。弱い習慣があれば、改めて、少し前進する。自分の心の庭にも、幸せの花を咲かせたいです。「人生を変えたい、その時。」。さあ、何が必要でしょうか。
2014年5月27日火曜日
タクシーの乗務員が息を切らせて、来て言うには。
「いま、お客さんを、そこで、降ろしました。ちょっと、いいですか。寄らせてください」。息を切らせて、タクシーの運転手さんが、飛び込んできた。「ああ、ここがコルベ神父さんのお部屋ですか。実は、ですな。1ヶ月ほど前でした。運転中に、具合が悪くなって、医院へ診てもらったら、即、入院ですタイ。10日ばかり居りました。本棚があって、コルベ神父さんの本があったとです。読みましたら、感動しました。長崎へ居らした人が、ですよ。イノチば、ささげて、偉かですな。誰にでも、出きる事では、ありません。本を何回も読みました。それで、初めてここへ来ました」。運転手さんは、じょじょに熱をあげて語るのでした。それを聞いた修道士も、だんだんと熱を帯びてきました。「お客さんで、教会めぐりがしたい希望者がいたら、ここへ連れてきなさい」「いいえ、わたしは、そげな、商売げは、なかですけん」「大浦天主堂、聖母の騎士、日本26聖人教会、浦上天主堂、これだけ回れば上等です。教皇ヨハネ・パウロ2世は、長崎で、この4つの教会を回られたから、ね」「そげん、ですか。わかりました」。運転手さんは笑顔になって、「こんど、休みのときに、ゆっくり来ますばい」★誰もが、コルベ神父の身代わりの愛には無条件で感動する。
2014年5月26日月曜日
福岡の若者、現れる。明るい顔で、ニコニコ。
今年の正月だった。福岡から、1人の若者がきた。純平くんだ。彼は言った。「自分は歳は30になる。幼児洗礼を受けているのに、教会へ行ったことがない。コルベの洗礼名もいただいている。今年は、自分を変えたい。教会へ行きたい。しかし、よく分からない」と、聖コルベ館へ来た。「おお、そうか、がんばれよ」と励ました。そして、福岡の教会の知り合いに連絡して、若者を助けてくださいと頼んだ。その彼が、半年ぶりに、明るい顔でやってきた。うれしいじゃないですか。「教会へ行くようになりました。努力しています」。よかった、よかったと言いながら、修道士は彼に告げた。「神さまのお恵みをもらった時には、感謝するんだよ。そしたら又、次にお恵みがくる。又、感謝すれば、お恵みが、つながってくるようになる。せっかくの恵みも、怠慢で断ち切れば、恵みは途絶えてしまう。感謝するのが、大切なんです。お恵みを、つなぐのが大事なんです」。純平くんは、懸命に働いている。ルルドでお祈りして、喜んで帰った。おやつを、2個持たせた。★1月13日の日記に載せている。
2014年5月25日日曜日
聖母の騎士ルルド祭。歌声ひびき、マリアに賛美。
コルベ神父が開いたルルド。5月、聖母月の最後の日曜日に、恒例のルルド祭が行なわれる。好天気に恵まれ、大勢の人たちが集いました。聖コルベ館を開くと同時に、早くも巡礼者たちが見える。広島の岩本さん、四日市の青年、巡礼のバスも上がってくる。シスターや女子高校生たちの姿もあった。顔見知りの人たちが、次々に声をかけて来る。「お元気、そうね」「なんとか、がんばっているよ」。ルルドまでは、登る力が出ない。聖コルベ館で待機していた。歌が聞こえます。祈りも聞こえます。聖コルベ館に居ても、マリアさまに、祈る気持ちは変わりません。ウグイスも唄っているよ。さわやかな風が吹き抜ける。思わず、「幸せだ、なァ」★閉館まえだった。ピン、ポン。女性が、ペットポトルを1本、手にして、おそる、おそる入ってきた。「きょうは、娘の誕生日なんです。お水をもらいに来ました。どこに、あるんでしょうか」。お恵みをいただきなさい。ルルドへの道を教えた。「永井博士のルルドの恵み」のパンフレットを渡した。娘さんに幸せがあるように、祈った。
2014年5月24日土曜日
雲仙岳のツツジ。ミヤマ・キリシマの群生。今が見頃。
雲仙岳には、いろいろな思い出があります。戦争が終わって、数年後、1949年の秋だった。高校3年のボクたち、9人は、小神の思い出に、雲仙へ1泊で出かけた。みな、楽しかった。ここ仁田峠で大雨にあった。山の雨は、ツブが大きい。痛いほど、降り注いだ。ポーランド人の舎監、ロムアルド修道士さんが同行したが、彼は体格が大きい人だった。修道服を着ていたが、ずぶぬれになる。旅館で、ユカタに着替えた。修道士がユカタに着替えた姿を初めて見て、異様に感じた。まるで、ビール樽に、着物を着せたみたいだった。あれから、65年が経過する。ロムアルドさんも亡くなった。9人のうち、生存者は、稲国神父と、トマ修道士と、社会に2人だけとなった。仁田峠の景色だけは変わらない。生き残った者は、長生きしたいと思う。★あした、日曜日、聖母の騎士のルルド祭。10時30分からロザリオが始まる。ルルドへ登る。11時から、ミサ。12時15分終わる。近隣の方々は、どうぞお祈りに来てください。マリアさまに平和と愛を祈りましょう。★アメリカ・テキサスのハーレル洽子さんから、メールが届く。色紙が好評です。10枚を送ってください。
2014年5月23日金曜日
人力車に乗りました。ラクだね。世の中が、よく見える。
雲仙の仁田峠で、人力車に乗りました。登りは、歩いた。帰りに、「乗っても、いいですか」「ハイ、どうぞ」「いくら、ですか」「500円です」「じゃ、乗りますよ」。クルマから見ると、一段、高くなっているから、世の中が、よく見える。雲仙ツツジも、ひろく見える。眺めが、いいよ。500円分は、あるね。満足しました。車屋さん、ゲンキな若者だった。気持ちが、いいよ。まわりに、人が沢山いて、恥ずかしかった。でも、老人はあつかましいから、平気で乗った。乗り降りするとき、台を持ってきてくれる。ありがたいね。人の好意は、うれしいね。長生き、するよ。以前は、3頭のウマが人を乗せていたが、もう引退した。10年になります、と言っていた。
2014年5月22日木曜日
島原半島・オバマ・3日目。シスターは天国へ。
2014年5月21日水曜日
島原半島・オバマ温泉・富士屋さんへ。2日目。
2014年5月20日火曜日
島原半島・オバマ温泉へ。1日目。途中、立ち寄る。
ポーランド人修道士ローマンさん。コルベ神父といっしょに宣教した人。5月22日で、満100歳を迎える。ローマンさん、おめでとう、の記事を騎士誌に書きました。読者から、カードの便りが届いた。「長い、長い、修道生活」と書いてあった。小さな封筒が挟まってある。オバマ温泉へ行く途中で、老人ホームへまわり、ローマンさんに面会に行った。おみやげに、ローマンさんが好きな「チーズ」と「はちみつ」を買った。自室に訪ねる。ちょうど、よかった、10日ぐらい、肺炎のため入院していた。きのう、帰ったばかりです。ローマンさんは、ベッドに休んでいた。目をつぶっている。「ローマンさん、トマだよ」。目をあけて、見た。職員(修道士)同席のもとで、チーズと蜂蜜をわたす。「名前をつけてください」とローマンさん。次いで、小さな封筒をあけると、2万円が入っていた。「ありがとう」と感謝した。ローマンさんは100歳です。ベッドに横たわる写真は撮らない。以前に、撮った写真から、ローマンさんは、こんな修道士さんです。みなさんも、お祝いしてください。老人ホームから、島原半島・オバマ温泉・富士屋さんへ向かった。温泉につかった。
2014年5月19日月曜日
自分の物差しで、自分の背丈を計れ。心配ない。
どうもニンゲンって、他人と比べるんですね。他人を、うらやむ。あの人は、じょうずにコメント言っているな。アタマが、さえているな。自分も、あのように、弁舌さわやかに、カッコウ、つけたいな。しばしば、そう思い悩みます。「自分にも、自分が得意とする語りがあるじゃないですか。スラスラ言える話があるでしょう。それを語りつづければ、いいのです」。なぜなら、それが、自分の体験したことであり、いちばん、大切な痕跡だからです。他人と比べるな。自分にも、いいところは、ある。自分自身に言い聞かせます。自分の「好きな」道に、進みなさい。人には自然に、傾きがあるのです。その道には、きびしさも、あるかも、知れませんよ。それでも、好む道なら、いいじゃありませんか。
2014年5月18日日曜日
午後から雲仙で、殉教祭がある。信仰は生きる力だよ。
いっらしゃい。県外から、来られたの。ゆっくりして、行きなさい。え?今年の復活祭に、洗礼を受けられたって、おめでとう。洗礼名は、なに?マリア。マリアさまのご保護を頂いたのね。洗礼は、神さまの大きなお恵みだから、大切にしてね。お恵みを受けたら、感謝することです。ご恩を忘れないように、しよう。お恵みを感謝すると、またお恵みが増えてきます。恵みが、恵みを呼ぶんですね。幼い頃から、なぜか、神さまへの憧れがあったの。そういう憧れ、人によって、ときどきあるんだよね。子供の頃から、なぜか、教会へ行くのが好きだった。特別に招かれていたんですね。病院へ入院していたとき、シスターが本や信心具の販売にやってきた。シスターから励まされた。洗礼へ導かれたのも、シスターの勧めがあったから、かも。そういうご縁もあるんですね。いろんな人から大なり小なり支えられて、今がある。日曜日には教会へ行って、お祈りすると、霊的にも、元気になるよ。よし、また、あしたから、がんばろう。その気持ちね。ルルドへ行って、お祈りしなさい。祈れば、心が安らぐよ。
2014年5月17日土曜日
落ち着きました。さあ、生活を始めよう。前向きに。
入院中に、お隣のおじいさんが言うのです。「おたくは、帝大出のごと、ありますな」。どこから、こんな発想がでたのか、わかりません。「いいえ、庶民ですよ。小使いですよ」。打ち消すのに、必死。「でも、いい顔、しているね」と、しつこい。「いやですよ。そんなに、ほめて、ほめあげて。フーツのニンゲンですよ」「いや、いや、そうは、思えん」「ほめて、もらっても、何も出ません」「ほんとう、ですよ」。いい、おじいさん、でした。腰が低いんですね。やっぱり、人は目で見る。神は心で見ておられる。★病院から、自室へ戻って、雰囲気に、微妙に感じることがありますね。部屋を照らす光線の具合とか、机との間隔とか、ベッドの高さとか、生活になじんだ高低・明暗です。似合った数値が、安心感を与えるんですね。やっぱり、病室は落ち着きません。自室が、やっぱり、いいですよ。ひとり居ても、こころは、やすらぐ。
2014年5月16日金曜日
何事もなく、帰る。生きることは、楽しいです、な。
また、1つの山を、乗り越えました。こうしてニンゲンは流れて行くんですね。お祈り、見守り、ありがとう。★けさの顔です。午前10時です。退院の準備はできました。あとは、赤尾院長さんが車でお迎えに来るのを待っています。2人部屋でした。お隣さん、お世話になりました。会話の好きなおじいさんでした。わたしが、「プー」と、屁をふいたら、となりから、「ゴメン」と聞こえてきましたよ。「あれは、わたし、のだよ」。おだいじに。★けさも、「チリン、チリン」。早朝、まだ眠っている廊下を、シスターがカンテラをさげてきて、神父さんからご聖体をいただきました。お隣のおじいさんが、うらやましそうに、つぶやきました。「ええ、おしえ、です、なァ」
2014年5月15日木曜日
痛みの日だよ。ステント入れ替えないと、生きられぬ。
「ステント入れ換えの日だね」。周りの何人からも、電話でも言われる。覚悟の日だよ。痛いのは、決まっている。耐えるしかない。いかにして、痛みを、やわらげるか。病気の子供に、親は、よく、言ったモンだ。「オモチャを買ってやるから、ガマンせよ、な」。子供は「ウン」と言った。そんなことを考えている。楽しいことを考えて、痛みを、まぎらわせよう。さあ、まもなく、出かけるぞ。★きょうの手術は、ほんとうに、楽だった。台の上で、なぜか、これまでの、いい思い出が、次々に浮かんだよ。術後は、ベッドで病室へ運ばれた。幸い、発熱もなかったし、安心して、その夜は眠りました。
2014年5月14日水曜日
ファティマの聖母の出現を忘れてはダメ。平和を祈る。
昨日、1人のお年寄りの女性が聖コルベ館へ来た。「トマさん」と呼ぶ。「なんですか」「ロザリオにメダイをつけてください」「ペンチがないと、つけられない。ほかの修道士さんに、頼んでみます。どこから来たんですか」「外海の黒崎です。バス、電車、徒歩、乗り継いできた。きょうはファティマの出現の日なので、ルルド参りにきた」。それ聞いて、「あッ、ごめん、忘れていた。そうだ、ファティマの聖母の出現の日だった」。ほんとうに後悔した次第でした。この日を忘れず、ルルド参りとは、さすがに、長崎信者と、感心した。ファティマの聖母の出現は、1917年5月13日。戦争が終わって、日本に初めて詳しく伝えられた。本を読んで、当時は感激しました。その後、ファティマへ巡礼したこともある。写真は、平戸・紐差カトリック教会の庭にある、ファティマの聖母と、3人の子供たちのご像です。平和を願い、祈る日でもある。★外海のお年寄りと話していると、韓国人の巡礼者が30人ほど来た。入るや、否や、女性が、色紙を見て、手に取っている。「あれ、買うのかな」。いや、買わないで、資料室へ入った。ところが見学が終わって、いったん、外に出て、ルルドへ行ったのか、また沢山の人がトイレに戻って来ると、5人が、5枚の色紙を買ったよ。まあ、珍しいね。韓国の神父さんへのお土産か。「シプ二ー(神父さん?)」と言っていた。日本語がわからないので、絵で買っただろう。ボタン、ひまわり、ブドウ、バラに蝶、ボタン、が売れました。ありがたい。★大阪・杉原さん・コメントの返事。ルーマニア行きは、今年は断念しました。また次の機会に行けるでしょう。希望は、まだ持っています。
2014年5月13日火曜日
苦しい時には希望を持とう。真実の愛は中々難しい。
この色紙を書きました。「愛を、宿せば、宿すほど、苦しみの必要性を感じます」。愛と苦しみ、神秘性のあるところですね。愛があれば、愛は、心地よい。だから、どんなに苦しみがあっても、苦しいと、感じない。痛みがあっても、愛があれば、感じない、だろうか。「愛、苦しみ、なし」と言っても、むずかしいですね。木曜日には、手術室で、ステントの入れ換えが行なわれる。4ヶ月に、1度、おなかの中の「くだ」を入れ換えなければ、生きていけないのか。たとえ苦しみありとも、それは、やがて喜びになるだろう。そう願う祈りがあって、希望があれば、喜びが来るだろう。苦しみが多い世の中、希望を持ちたいですね。★今年になって、少し、カラダのフラフラを感じます。全体が、以前とは違う。カラダが重くて、前へ進まない。倒れそうになることも、しばしば。じょじょに落ちて行くんですね。何かに、シガミついています。そういえば体力の低下か、帯状疱疹ができたんですね。お医者さんのクスリが効けたのか、10日間ほどで癒えてしまった。治ったなんて、信じられません。この症状は、痛くて、長い間、痛みが長引く、と聞いています。良かったですよ。★さて、昨年の旅は、韓国や東京へ行きましたが、今年の旅は、どこへ行くか。北海道の一番、北端あたりの、ワッカナイ、まで行けるかな。夢に描いております。「のち、のち、喜びが、来るべし」
2014年5月12日月曜日
きのうは何か、いいこと、あったか。あった、タクシー客。
今週は、祈りの先唱をつとめております。声を、大きく、出すのです。若い者のは負けません。いつぞや、女性が、「修道士さん、お若いのね、お肌はツルツル。シワのない、いい顔をしておられる。何か秘訣がありますか」と問うた。別に心当たりは、ないのだが、「あるよ」と言ってしまった。「教えて」とくる。「そう、簡単には、教えられないよ」と、言ったものの、答えはなかった。が・・・、強いて言うならば、声をいつも大きく出しているから、かも知れない。★生きていることは、楽しいか。今日は、何か、いいことはあったか。めずらしい見学者は居たか。からだの具アイは、どうですか。何か、周りの人から、言われたことは、あったか。今朝、黙想のとき、考えました。★きのうは、タクシーの運転者が、女性の客、3人を観光でつれてきた。聖コルベ館も観光場所に入っている。知らなかったよ。「カトリックですか」「いいえ、違います」「コルベ神父、知っていますか」「知りません」。心して親切に案内してあげたよ。フシギのメダイを差し上げた。写真にとって、握手して別れた。顔のツヤツヤした修道士さんに手を合わせて、そりゃ「ごりやく」があるかもと、よろこんでタクシーに乗った。最後まで、見送った。
2014年5月11日日曜日
先のメール。他に手紙は2通出したとか。まだ着かぬ。
4月に、アメリカ・テキサス在住のハーレムこう・こさんと一緒に来たお手伝いさんのメキシコ人エスぺランザさんから、トマ修道士にメールが入った。あのときは、言葉が分からないから、当方の説明も、彼女の心情も、十分には通じなかった。メールの文章を見て、色々なことを感じたのだなあ、と分かった。「聖コルベの居室での彼女の心情。聖コルベは祈りの戦士だった。限られた人生を、神さまの目的を果たすため、忠実であった」。またルルドでは、ルルドに飾られた、「ユリの花をみながら、自分の母の匂いを思い出し、母の口癖を思い出す。母は言った。自分の人生をかけて、精一杯、神さまを賛美しながら、生きなさい」。信仰は、母から子へ伝わって行くんですね。トマ修道士の話を聞きながら、命を助けられ、新しい人生を与えられた男性のことも考える。「彼の暖かい手にふれ、まなざしを見つめながら、わたしも聖コルベにつながれているのを感じます」。メキシコの貧しい生活から、アメリカへ移って、こう・こさんのお手伝いさんになって25年、日本へ来る恵みを得て、沢山の経験をした。園中で強く感じるのは、信仰だった。日本と同じ信仰だった。エスぺランザさんの精神の収穫は大きい。ダンナさんには、1晩、2晩、それ以上かかって、話したそうだ。彼女と家族の幸せを祈ります。
2014年5月10日土曜日
老いに負けるな。腰の冷えを、暖かさが包む。
朝の4時半、ラジオの深夜便を聞く。そのまま眠ったのか、5時の時報は、聞き逃した。目覚めたのは、5時20分であった。びっくり、だよ。明らかに、寝過ごした。起きて、身支度をする。ヒゲは、そる。洗濯も、乾燥機も、かけた。5分前に、聖堂の席について、心を静めた。「アタマは、カラッポ、なり。それを感じる。カラダは、ゆらゆら、ユレルなり。ああ、これが、ロウジンか。老いには、負けたくない」。聖堂で、真っ先の祈りは、「老いに負けるな」。これだった。★ミサが始まる。信者席のほうへ移動する。昨日は、この席でロザリオと聖務を唱えたが、腰のあたりに、じわじわと、冷えを感じた。エレベーターの中で、「ああ、冷えるな」といったら、今朝は、席の横に、小さな電気ストーブが置いてあった。その心遣いに、感動した。「こんなに思ってくれる司祭が居るんだ」。祈りの後、エレベーターの中で、お礼したよ。「生きるとは、愛を知る営みなり」★聖コルベ館を開館して、パソコンに向かう。アメリカ・テキサスのこう・こさんへメールを送る。「色紙20枚は、昨日、送りました」。日記を書いて、「さあ、きょうも、また1日が始まるぞ」
2014年5月9日金曜日
小冊子が仕上がる。自分の記事を読む、最高の幸せ。
今朝、食事のあと、自室に戻る。洗濯をして、昨夜の洗濯物を乾燥機にかけて、歯をみがき、クスリをのみ、朝の便通のお勤めをする。2階におりて、隣の建物に入った。いま騎士誌の印刷を行なっている。数冊もらった。聖コルベ館を開館する。電気をつけて、いま出来上がった騎士誌の6月号を開く。自分の記事を読む。このときが、一番の喜びである。「ああ、まだ、なんとか、文章、書けているではないか」。満足感が、ある。6月号は、「ローマン修道士さん、100歳になる」の記事を書いた。★次に、パソコンに向かう。さて、何を書こうか。悩む日も、ある。今日が、その悩む日だった。「毎日、日記を書いて、タイヘンですな」。成るように、成る。今朝の祈り。「口で語ることを実践できるよう、わたしの今日1日の行いを、照らし導いてください」。小さな声で、今朝のつぶやき。「いまは平穏でも、やがて苦難はくる。きたときが勝負だ。人生、順風満帆のとき、あまく、みるな」★毎日の日記を平穏に書くには、①常にアンテナを高く掲げておく。②注意・深く・見・聞すること。③生活を、うまく切り取り、文にまとめる作業。④他人の話でなく、おまえが何を感じ、何を思うか、それが大切であるのを覚えよ。
2014年5月8日木曜日
女性に教えられた1日。自分愛より他者への愛を。
鹿児島から来た、えがおの似合う女性、声をかけると、やさしく応じてくれた。この復活祭に洗礼を受けたという。復活祭といえば、3週間まえになる。最近だよ。だから嬉しいのかなあ。「洗礼名は、なあに?」「マリア・ヨアンナ、使途ヨハネ、です」「女性で、使途ヨハネ、めずらしいね」。すると、この女性は教えてくれた。「神は、愛である」。この言葉が好きだそうだ。心のなかに自然に動く、何かが有るんですね。「神は、愛なり」。女性は次のようにも教えてくれた。神さまは、愛の御方。自分も愛のある者になりたい。神は愛なり。非常に好きです。神さまのように愛を持っていられたら、すてきな人になれる。あこがれています。しかし愛の実践は難しい。コルベ神父さまは愛をささげた。命までも、ささげた。そこまで行くか分からない。エベレストを見ている感じ。神さまの助けがあれば、できるでしょう。自分のことは、少し置いていて、他人のことを考える。自分のことを考えずに、他人への愛を貫けば、幸せになれる。心のなかで、そう思っています。★女性に別れた後、思いました。洗礼を受けたばかりの女性なのに、すばらしい霊性を持っている。心の軌跡は、尊いです。
2014年5月7日水曜日
今は辛くても、必ず、幸せは来ます。希望をもってね。
福岡から来た女性が、1枚の色紙を買った。言葉に、「今は辛いけど、道の向こうに、幸せがある」とあった。「それで、いいの?」「ハイ」と答える。いま、何か苦しみ、困難があるかも,知れない。苦しみって、いうのは、ねえ。2度と、同じような苦しみは、来ないのだよ。経験から、それは、言える。自分の場合、病気の苦しみだった。いろんな病気、結核や、カリエスや、原爆症、ガンなど、経験したが、同じ苦しみは来なかった。みな、それぞれに違っていた。だから、ね。耐えたら、必ず、道は開けます。道の向こうに、幸せは、ある。それを信じて、希望を持って、生きようでは、ないか。必ず、いいことは、来るって。色紙を買った女性の背中を見つめた。いま、苦しみがあっても、耐えてね。「きっと、心に、バラの花が咲く日が、来るよ」
2014年5月6日火曜日
伊王島の天主堂。海風さわやか。京都の夫妻を案内。
聖コルベ館に、京都からお医者さんのご夫妻が来られる。仲間の修道士の運転で、伊王島に案内した。天候に恵まれ、すばらしい展望だった。島に橋がかかっているので、車で行ける。昭和の初めに建造した天主堂が立派だった。お医者さんは宗教に関心があるという。宗教から、慈悲の心を思い、次に、人のために命までも捧げるコルベ神父につながった。それで数年まえ、長崎へ訪ねてきた。殉教者やキリシタンのことを知った。コルベ神父は長崎の殉教者に影響を受けたのではないか、疑問が生じた。そこで聖コルベ館を訪ねて、小崎サンに会ったのです。コルベ神父と長崎殉教者のことを尋ねると、小崎サンは即、言われた。「関係が、あります」と。お医者さんは、そのような回顧談を聞かせてくれた。事実、コルベ神父は、長崎の殉教者の思いを記しておられる。彼も、強く、殉教を望んでいた。聖人の生き方は、聖人を呼ぶのであろう。伊王島・天主堂を背景に、写真を撮った。長崎の海は、おだやかに、癒しの表情を示していた。
2014年5月5日月曜日
3度目のサイン。4歳。24歳。41歳。司祭を目指す。
聖コルベ館に勤めて、誰も来ない日は寂しい。偶然の出会いがあると、心に火花が散るように嬉しい。昨日、こんな出会いがあった。午後から自室で休んで、3時頃、館へ出た。資料室に、若者がいた。北海道から来たという。彼の話を聞いて、心が揺さぶられた。「4歳のとき、両親と兄2人と、祖母に連れられて、ここへ来た。サインをした。そのサインを見つけましたよ。次に、24歳のとき、来て、サインをした。ありましたよ。今度、3度目です。41歳になりました。サインをしますよ」。え、えッ、こんな人も居るモンだな、と素直に嬉しくなった。珍しいですよ。「いま、何しているの?」「福岡の大神学校で、司祭になるよう、学んでいます」という。「エライ」。経歴を聞けば、工業大学を卒業した後、土建屋をやっていたが、青年海外協力隊に入り、ラオスに2年、国際協力機構で6年働いた。「人に、必要とされるニンゲンになりたい」と、司祭への道を選んだという。「神さまにとって必要な道具になる」。マザー・テレサが言われるように、「神さまの、1本のエンピツになりたい」。自由に働けるとうにと、信念を語っていた。夢があるね、希望があるね。彼は嬉しそうに、サインをしている箇所を見せた。こっちも、嬉しくなったよ。「今度、来るときは、司祭だね。祈っているからね」。彼と一緒に、フィリピン人の大神学生も同伴していた。2人はほほえみを残して去った。
2014年5月4日日曜日
感動した。2羽のツバメ夫婦よ。一緒に幸せになれよ。
「トマさん、トマさん、ツバメが資料室に入って来ていますよ。2羽ですよ」と美紀さんが教えてくれた。「えッー」と、びっくり。資料室で、2羽のツバメが、チュウ、チュウ鳴きながら、快速で飛び回っている。よく、まあ、ぶつからないモンだ。「こりゃ、こまったな」。シィ、と追い出すわけにも、いかない。2人は只、天井を見上げるだけだった。「どうしようも、ないね。捕まえるわけにもいかない」。どこから入ったのか。玄関しか、開いていないハズだ。「よし、窓をあけよう」。2人は右の窓を大きくあける。「左も、あけよう」。これまで開けたことがないので、中々あかない。2人は力を合わせて、見事にあけた。風が流れて入ってくる。ツバメにはキッと、風の流れが分かるはずだ。やっぱり、1羽が、スウーッと、出て行った。「よかった、よかった。さあ、お前さんも出て行きなさい」。これが中々出ない。「どうしたんだい?」。案じていると、出て行った1羽のツバメが、また戻って、ハイって来たではないか。これには、さすがに、びっくりした。愛情なんだね。「連れに、来たんだね」。わかっているんだね。やっと、2羽とも、出て行って、見上げる2人も、安心した。このようなツバメの風景に出会ったのは、初めてだった。感動した。「よかったね」。そして、「幸せに、なれよ」。思わず心で叫んでいた。
2014年5月3日土曜日
1枚の色紙にも、広がりがある。慰めになって力になる。
4月の見学者に、アメリカ・テキサスから来られたハーレル洽子(こう・こ)さんがいた。何度か聖コルベ館に来ていたが、滞在中に、20枚の色紙を求められた。「友人に贈ります。日本語が分からない人には、英語に訳します」と言って、大量に買われたのです。それが、これらの色紙でした。(写真に写しておいた)。あれから2週間が経過している。ハーレル洽子さんは帰る際に、更に20枚の色紙を追加・注文されたのです。いま、その20枚を描きつつですが、15枚ほど描き上げたところで、少し迷いが出た。何を描くべきか、悩みが起こって、筆がストップする。筆が、気持ちが進まない。そのとき今朝だった、とつぜん、カナダからメールが入って、「アメリカの洽子さんから、2枚の色紙をいただきました。大きな慰めをうけています」と書いてあった。そのメールを見て、希望が湧いて来たのです。洽子さんを経て、カナダの友人が色紙で慰めを得ている。いいことだ、と元気が出ました。単に手書きの色紙だが、愛は広がりを見せる。ああ、よかったね。迷いがあって落ち込んでいたとき、カナダのメールで元気をもらいました。愛は回りまわって届く。ふしぎですね。女性のメールには、こう書かれていた。「梅のしっかりした大きな幹から、小さな枝が生まれ、そこに沢山の梅の花が元気よく咲いています。添えられた言葉が、どんな逆境にも、信頼と希望をもって、生きよう。もう1枚は、梅にウグイスの絵で、孤独ではない。あなたのそばに、主は居られる、のお言葉、どちらも元気と大きな慰めを頂きます」。これを読んで、自分自身、本当に嬉しく思いました。色紙は、カナダまで行った。色紙よ。よかったね。アメリカから、他の国まで飛んでいって、大きな力になっている。励ましになっている。すばらしい出来事に感謝しました。「どんな逆境でも、信頼と希望をもって生きよう」。これは修道士自身が体験したことです。人生に、どんな逆境や試練があっても、苦しみは、愛の喜びに変わる。祈りながら、耐えながら、信頼と希望をもてば、光は必ず見えてきます。例え落ち込んで、失望する時があっても、孤独ではないですよ。主は、あなたのそばに居られます。孤独を悩んだあげく、修道士も、そう感じております。
2014年5月2日金曜日
からだのブツブツ、よくなった。加齢、免疫低下ダメよ
聖コルベ館の庭のジャスミンの花が、いま、満開です。かれんな花ですね。小さく咲く花は、いまどきの雨に打たれると、早くも散っていきます。「ああ、1年が、過ぎたんだね」。そう思いますよ。しみじみ、考えさせる花です。★病気になって、初めて、自分の課題となる。からだの痛みを知る。健康なときは、ほとんど病気のことを、真剣に感じない。それが普通です。左の骨折してと思うように痛む。病院へ行くと、即座に、「帯状疱疹」といわれた。塗り薬、飲み薬をもらい、更に、点滴を打ってもらう。毎日、修道士の手を借りて、付け替えを行なった。その結果、赤みは小さくなり、快癒の兆しがみえた。昨日、町のクリニックへ行くと、傷を見て、即座に言われた。」「完治した」。そんなに早く治るものですか。不審の思った。それでも癒されたのは、ありがたい。帯状疱疹は、好くなりました。★信仰を守るのは、そう、むずかしいことでは、ない。庶民には、庶民なりの、霊性がある。完璧じゃないかも知れない。★今日は、月の黙想で、午前中は沈黙です。昼前に、祈り、黙想、聖体賛美などが、あります。いまから、行ってきます。
2014年5月1日木曜日
聖母月が始まる。予約の診察日。ステント、15日。
5月は、聖母マリアの月です。マリアさまを賛美する月です。昔から、この信心を守ってきました。浦上出身の母は、家庭祭壇のマリア像の前に美しい花を飾り、ロザリオを祈りました。その姿と心情は、息子に受け継がれて、息子もありがたい心で、それを踏襲しています。★今朝、早朝に、聖コルベが創立したルルドへ来て、ルルドの聖母マリア像に、お花をささげる女性がいました。聖母月を意識したのでしょうか。嬉しい捧げものです。5月が来たな、という思いを意識させました。これでこそ、ナガサキ信者です。★午前中、泌尿器科へ。予約の診察。忘れていました。急いで、白浜さんの軽で、病院へ。20分かかった。1時間の遅れ。診察室へ。「ステントの入れ替えは、15日(木曜日)の午後からしましょう」とお医者さん。言われる通りに行ないます。当方は、反対はしません。血液検査。胸のレントゲン。腹部のレントゲンを撮る。ステントの日に使います。15日、午前10時に入院。点滴を開始。昼食なし。午後1時、 手術場へ、処置は、30分ほどで終わるでしょう。その夜は泌尿器科へ泊まります。発熱がなければ、次の日に帰れるでしょう。★無事に、熱もなく、ステントの入れ換えが行なわれますように、お祈りをお願いします。