長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年5月5日月曜日
3度目のサイン。4歳。24歳。41歳。司祭を目指す。
聖コルベ館に勤めて、誰も来ない日は寂しい。偶然の出会いがあると、心に火花が散るように嬉しい。昨日、こんな出会いがあった。午後から自室で休んで、3時頃、館へ出た。資料室に、若者がいた。北海道から来たという。彼の話を聞いて、心が揺さぶられた。「4歳のとき、両親と兄2人と、祖母に連れられて、ここへ来た。サインをした。そのサインを見つけましたよ。次に、24歳のとき、来て、サインをした。ありましたよ。今度、3度目です。41歳になりました。サインをしますよ」。え、えッ、こんな人も居るモンだな、と素直に嬉しくなった。珍しいですよ。「いま、何しているの?」「福岡の大神学校で、司祭になるよう、学んでいます」という。「エライ」。経歴を聞けば、工業大学を卒業した後、土建屋をやっていたが、青年海外協力隊に入り、ラオスに2年、国際協力機構で6年働いた。「人に、必要とされるニンゲンになりたい」と、司祭への道を選んだという。「神さまにとって必要な道具になる」。マザー・テレサが言われるように、「神さまの、1本のエンピツになりたい」。自由に働けるとうにと、信念を語っていた。夢があるね、希望があるね。彼は嬉しそうに、サインをしている箇所を見せた。こっちも、嬉しくなったよ。「今度、来るときは、司祭だね。祈っているからね」。彼と一緒に、フィリピン人の大神学生も同伴していた。2人はほほえみを残して去った。
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