長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年5月14日水曜日
ファティマの聖母の出現を忘れてはダメ。平和を祈る。
昨日、1人のお年寄りの女性が聖コルベ館へ来た。「トマさん」と呼ぶ。「なんですか」「ロザリオにメダイをつけてください」「ペンチがないと、つけられない。ほかの修道士さんに、頼んでみます。どこから来たんですか」「外海の黒崎です。バス、電車、徒歩、乗り継いできた。きょうはファティマの出現の日なので、ルルド参りにきた」。それ聞いて、「あッ、ごめん、忘れていた。そうだ、ファティマの聖母の出現の日だった」。ほんとうに後悔した次第でした。この日を忘れず、ルルド参りとは、さすがに、長崎信者と、感心した。ファティマの聖母の出現は、1917年5月13日。戦争が終わって、日本に初めて詳しく伝えられた。本を読んで、当時は感激しました。その後、ファティマへ巡礼したこともある。写真は、平戸・紐差カトリック教会の庭にある、ファティマの聖母と、3人の子供たちのご像です。平和を願い、祈る日でもある。★外海のお年寄りと話していると、韓国人の巡礼者が30人ほど来た。入るや、否や、女性が、色紙を見て、手に取っている。「あれ、買うのかな」。いや、買わないで、資料室へ入った。ところが見学が終わって、いったん、外に出て、ルルドへ行ったのか、また沢山の人がトイレに戻って来ると、5人が、5枚の色紙を買ったよ。まあ、珍しいね。韓国の神父さんへのお土産か。「シプ二ー(神父さん?)」と言っていた。日本語がわからないので、絵で買っただろう。ボタン、ひまわり、ブドウ、バラに蝶、ボタン、が売れました。ありがたい。★大阪・杉原さん・コメントの返事。ルーマニア行きは、今年は断念しました。また次の機会に行けるでしょう。希望は、まだ持っています。
1917年。ロシア革命の年。共産主義の大国が現れた年に、ファティマにマリア様が出現されたことは、偶然ではないと思います。しかも、この年に、コルベ神父様は聖母の騎士信心会をお作りになりました。
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