長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年9月30日日曜日
主よ、ここに、私のソバに居られますか。大きな希望です
2012年9月29日土曜日
熱さがる。大天使ミカエルよ、ガブリエルよ。悪・熱、守り給え
1日のあいだに、言われた言葉。いろいろ、あります。神父さんから「弱音、吐くなよ。トマさんらしくないぞ」。管区長さんから「ムリは、しないでね」。看護師さんから「シスターは知っているけど、ブラザーがいるとは知らなかった」。仲間の修道士さんから「たくさん、食べなさい。食べないと、免疫力がなくなる。老人ホームの長生きは、食べる人だよ」。さて今日は、ミサのとき、三大天使を祝い、祈った。ミカエル、ガブリエル、ラファエルです。祈りつつ、(天使って、まだ見たこと、ないな?)と、ちょっぴり。でも、5世紀には、ローマで大天使ミカエルの大聖堂ができていた。ザビエル時代の宣教師たちは、日本に、聖ミカエルの信心を広めた。「それは、悪に打ち勝つ、意味があった」。平戸の教会は大天使聖ミカエルに捧げられている。ガブリエルは、天使のお告げです。おとめマリアのもとへ、神さまのお告げを伝えた。ラファエルは旧約聖書に出てくる。「そう、そう、忘れていた、ワタシの幼児洗礼の霊名は、ガブリエルだった。北朝鮮の、信者はワタシの家一軒、教会もない、そんな場所で生まれて、よくぞ、まあ、ガブリエルと付けたよ。ガブリエルはワタシの誇りだった。いまは、登明だよ。とうめいは、熱で悩んでいる。2012年9月28日金曜日
ホンロウされるトマよ。何事があっても、ゲンキを出せ。
2012年9月27日木曜日
師父聖フランシスコの祭日まえの9日間の祈りが始まっている
2012年9月26日水曜日
2012年9月25日火曜日
活力くれた男性は、小さなヨットの海のツワモノだった
2012年9月24日月曜日
夕日を浴びて、飛ぶトンボ。けんめいに羽を震わせ、生きる
夕方、秋の陽が、庭を温かくしていた。あれ、あれ、トンボの類か、小さいな。でも、トンボの形をしている。けんめいに羽をふるわせ、夕日を浴びている。イノチだね。ひさしぶりに見たトンボよ。これから、どこへ行くのか。仲間は、いるのか。2,3羽のトンボが舞っている。しばらく立ち止まって、眺めた。今年になって、6回目の入院。思えば、大変だったよ。6回も入院すれば、さすがに、カラダが重くなり、早急に、前へ進まぬようになった。行動範囲が、狭くなった。いかなる能力になっても、一日でも、長く生かして、もらって、まだまだ何らかの、お役にたてば、それで、よい。生きている限り、希望は捨てたくない。心配して、見守ってくれる人たちが、いる。きょうは、なにか、いいことが、起こりそうな、気がする。★午前中、入院のあいだ、看護をしてくれた千草さんが来た。「その節は、お世話になったな。ありがとう」★午後に、車に、小舟を積んだ男性がやってきた。「騎士誌を読んでいる。小崎さんの記事、いいね。体験だから。この間の記事で、ブログがあるのを知った。時々、見ていますよ。ぜひ、会いたいと思って、来た。カラダ、大丈夫ですか」。彼との出逢いが、胸から突き上げる活力を与えた。「訪ねてくれて、ありがとう。日記に載せても、いいね」「ヘ、ヘ、へ。恥ずかしいな」。それでも写真に納まった。あした、紹介します。2012年9月23日日曜日
遠藤周作・文学散歩。長崎の小説の舞台を訪ねる皆さん
2012年9月22日土曜日
今朝の小さな出来事。ひさしぶりのライモンド。堂々とイキよ
2012年9月21日金曜日
人生、秘蹟で助けられ、ホント、良かった思います
病者の塗油の秘蹟を受けたときの写真です。今度ばかりは、本当に、ヤバイと思いました。お医者さんから、「人工透析に」の言葉も出るし、この歳で、どうなるんですか。でも教会は有り難いと思いますよ。人生に応じた秘蹟がある。(秘蹟は、7つ、ある)。振り返れば、①まず洗礼。幼児のときに授かった。②堅信の秘蹟。少年時代に授かり、信仰の堅めになる。③ご聖体の秘蹟。修道士の道に入って、ほぼ毎日のように、受けて、養われた。④いやしの秘蹟。告白です。定期的に度々受ける。特に、修道士は大切です。ニンゲンですから、なガーイ人生には、色々な誘惑もある。落ち度もある。それは本当です。しかし快復の道がある。それが「ゆるしの秘蹟」です。落ち度があっても、弱さがあっても、正直に、司祭に、告白する。これを実行すれば、修道士の道を終わりまで行くことができる。告白が最も大切です。司祭に正直に告白するのは、勇気が要ることです。でも、この秘蹟が有るのが、ありがたい。もう1つの秘蹟。⑤今年、6回目に入院で、病者の塗油の秘蹟を受けた。この秘蹟の前に、告白しました。病者の塗油の秘蹟は、病気のときに受けることができる。いったん、良くなれば、また同じ病気でも受けることができると聞いた。この秘蹟を受けて、安心し、心が穏やかになった。幸い、復帰しました。これもお恵みです。あと⑥と⑦の、2つあるが、司祭叙階と、結婚です。これには、ご縁がなかった。2012年9月20日木曜日
聖コルベ館も、韓国にご縁がある。平和を祈りました
何年か前に、韓国の「テ・グ」へ行った時、撮った写真です。後ろの方が誰であるか、分かりません。今日は、ミサのとき、韓国の殉教者・聖アンデレ金と同志殉教者の記念日を祈りました。コルベ神父と、韓国とも、ご縁があるんですよ。日本へ来るとき、韓国も汽車で通過しました。沢山の騎士誌を韓国へも発送しました。騎士誌を読んで、何人かが、長崎で学びました。その中の1人は、司祭になって、韓国の神学生の養成のため、活躍しました。そんなことを思いながら、ミサで祈りました。すると、パウロの言葉のなかに、「グ、グーッ」と、胸にくるヒラメキがありました。「神の恵みによって、今日(こんにち)の、わたしが、あるのです」。この言葉に、感動しないのですか。「そうーです。そうです」と頷かないのですか。いや、わたしは、充分に思います、自分のチカラじゃ、ない、って。それに、もう1つ、あった。「働いたのは、実は、わたしではなく、わたしと共にある、神の恵みなのです」。ここでも、ピッタシ、です。生きているのは、もう、自分のチカラじゃ、ない。そう、心底、思いたい。(Ⅰコリント15-10)。聖アンデレ金と、同志殉教者の列聖式は、1984年と書いてあった。いつだったか、大挙して韓国に巡礼し、大広場で、教皇さまをお迎えしてお祝いがあったが、あの時だったのでしょうか。韓国の人たちと、平和を、祈りました。2012年9月19日水曜日
自然の景色は変わるとも、ニンゲンの精神は変わりません
2012年9月18日火曜日
2年前のコスモスは、今年も咲いているだろう。ヒトも生きる
2012年9月17日月曜日
アシジの聖フランシスコの聖痕の祝日です。ミサで祈る
2012年9月16日日曜日
2012年9月15日土曜日
2012年9月14日金曜日
2012年9月13日木曜日
入院16日目。退院の朝。新しい感謝の人生が、また始まる
廊下の遠く、2人の人影。ご聖体を捧持した神父さんと、カンテラを下げた看護師部長のシスター。廊下で待って、ご聖体を受けた。退院の朝です。ご聖体にも、神父さんにも、先生にも、看護師さんにも、介護した人、皆さんに、また日記を見守ってくださった多くの皆さんにも、心から感謝を申しあげます。ありがとう。またイノチをつなぎました。病苦のとき、祈ることは出来なくても、愛することは出来るでしょう。苦しみ、痛むとき、神のご意思は、何ですか。少しでも、いいから、果たしなさい。若いときに憧れた、豊かな内的生活。自分の召命である成聖の道。今、なお修道者であるのを、忘れるな。『今』という瞬間を、セイ一杯、生きるとき、内的な喜びは、きっと、じわーっと、湧いてくるでしょう。★退院まえの祈り。「主よ、あなたは、いつもソバに居られましたか」。介護した人、看護した人、見舞った人、よきサマリア人のなかに、主は、居られた。「わたしも、そのような人に、なりたいです」
2012年9月12日水曜日
入院15日目。あなたに、とって、隣人とは、だれか?
今度は、長がーィ、入院でした。でも、あっと、言うまの、病院生活でした。最初は苦労しました。高熱が、あり、悪寒が、あり、尿が、出ず、透析を告げられ、苦難のなかでしたが、最初の日から介護してくださったのが、千草さんです。不具合のときの介護は、大変でした。人の心を動かす基本は、やはり家族的な心情です。千草さんは言う。「お父さんや、家族の介護をしてきたから、馴れているのよ」。だれが、サマリア人なのか。聖書に出てくる、看護された怪我人の目は、どんな目をしていたのだろう。何も言えない。ただ目は、ありがとう。だれでも、願うのは、言葉よりも、暖かい手です。千草さんの家は、病院から徒歩2分にあるそうです。訪ねた事は、ありません。毎日、朝食まえに来て、小まめに動き、片付けが終わると、いったん帰り、昼食まえに、2度目、晩食の前に3度目も、それぞれ笑顔を出して、奉仕してくださった。夕食後は、毎晩、2人で、声をあげて、ロザリオと、聖母マリアの連祷を唱えた。最初は息も辛かったが、快復した。「もう、あした、退院、ね」。しばらく、この笑顔は、見られない。
2012年9月11日火曜日
入院14日目。お客さん、明るい気持ちで、イラッシャイ
バプテスト・キリスト教会の皆さんが、お見舞いに来られる。ゲンキをやっと快復して、快く応対ができました。皆さん、手をつないで、女性の牧師さんが、心をこめて、やや長い祈りをささげてくださいました。祈りにつながれた心は一緒です。バプテスト教会とのご縁は、数年まえに、教会の九州大会で、ご一緒に参加させていただいたのが最初です。入院の度ごとに、必ずお見舞いに来て、慰めてくれます。小さな心遣いが、大きな慰めになります。道は違っても、なぜ、喜びや、笑いや、希望はいっしょなのだろう。きっと、人の心は、基本で、根本で、1つの束(たば)になっているに、違いない。ベッドで得た教訓、『主よ、あなたは、私のソバに居られますか』を語りました。病気のとき、痛むときは、本当に苦しいんです。誰かが、主が、ソバに居てくださったら、もう、申し分のない喜びでしょう。今夜は、ゆっくり、休みます。
2012年9月10日月曜日
入院13日目。早く帰りたい。夢を見たよ。一時の楽しみ
ああ、いつ、聖コルベ館に帰れるかな。ゲンキな『コウタ』くんと、ピースしている夢を見たよ。やっぱり、聖コルベ館が、いい。病室で、ひとり、ポツンと呼吸するのは、ほんとうの自分じゃない、気持ちがする。やっぱり、「パーッ」「パーァ」っと、忍者みたいに、自由自在に、動き回るのが、いい。ああ、夢の中だから、できるんだな。今朝、8時半ころ、外来・診療前の、お医者さんが見えられた。「どうですか?」「ハイ、すっかりゲンキになりました」。この後、お医者さんと、2人だけの会話がつづいた。「フ、フ、フ」。ひとりで、笑う。9時30分、赤尾院長さんに、電話をかける。「ご心配を、かけています。申しわけ、ありません。いま、お医者さんの診察がありました。今週の、木曜日に、退院してよいそうです。それまでリハビリ、つづけます」「よかったですね。ハイ、わかりました」。院長さんに、真っ先に、報告した。「気持ちが、すーっと、楽になった。ああ、夢が、叶いそうだぞ」。日曜日、朝の体重測定で、びっくり、体重が、2Kg、減少していた。1Kg減らすのに、四苦八苦していたのに。
2012年9月9日日曜日
入院12日目。イノチは神さまの事。今度は、ピンチだった
今年になって、入院は、6回目です。慣れたとはいえ、やっぱり入院は、つらい。イノチが掛かっていますからね。幸いにも、カラダの調子は、いいようです。尿の袋が取れた2日目(9月5日・水曜日)から、尿のなかの浮遊物も出なくなり、希望が出てきた。80代半ばの老人は、思う。「ほんとに、長く、生きたな」。ずーっと昔、まだ結核のクスリがなかった時代、若者たちは次々と肺結核やカリエスに罹り、沢山の人が苦しみ、亡くなった。良くなった人もいる。しかし腎臓結核は、困難な病気で、罹ると、すぐに摘出した。数年たつと、もう1つの腎臓も結核に冒され、ほとんどの人が亡くなっている。幸いに、この老人の場合、当時は未だ珍しかった結核の新薬が幸いにも手に入り、それを飲んだおかげで、腎臓結核は、快癒したのです。その証拠は、CTのレントゲンで見れば、石灰化して、はっきり腎臓の中に残っている。素人でも、わかるんです。おそらく腎臓結核で、片方を切除し、残る片方も結核で病んだ人は、ほとんど亡くなっているのでしょう。だから、80代半ばの老人の、この病状は珍しく、今の時代の専門医のお医者さんにも、ほとんど診た経験がないのではないか。「ああ、これまで、生かされて、ありがとう」。それしか、言えません。写真は、病者の塗油の秘蹟の後で、写した。
2012年9月7日金曜日
入院11日目。聖母マリアのご誕生日。いい事あるぞ
介護の千草さんが今朝、言った。「トマさん、三橋理江子さんからメールが来てね。マリアさまの誕生日って、書いてあったよ」「ああ、そうか。今日は、8日の誕生日だ。すっかり忘れていたな」。それから、ずーっと、「マリアさまの誕生日、そうだ。何か、思い出になる事は無いかな?」と考えつづけた。昼食後、入浴したときも、湯船のなかで、考えつづけていた。幾つかの、ヒントはあった。高木仙ヱ門の孫、高木寛(ひろし)さんは、シスターや司祭などの聖職者に知り合いが多く、それらの人の誕生日を手帳にメモして、いつもお祝いのハガキを出していた。小崎修道士にも届いていた。そんな事を考えながら、湯に入っていると、風呂場の扉を「トン、トン」とノックして、「トマさん、お客さんが、いま来たよ」と、知らせるではないか。「え?だれ?」「愛野教会の、ポーランド人のブリ神父さんが、来ている」「え?」「ポーランドからのお客さんを連れて来ています」「ちょっと、待ってね。談話室で、待って、もらっていてね」。風呂から上がって、迎えたのが、写真の皆さんたちで、「何か、話してください」と言う。幸いに、ポーランド版『焼けたロザリオ』が出版されたときなので、マンガにまつわる「原爆」や、「コルベ神父」や、「ゼノ修道士」や、現在の教会や、我が人生の歩みなどを語った。ビデオに収録した。「ポーランドで、『焼けたロザリオ』を宣伝してください」。それが願いだ。ブリ神父さんが通訳した。彼らが帰った後、「マリアさま、御身の誕生日です。おめでとうございます。今日は、すばらしいお客さんを送ってくださいました。もっとも意義ある恵みの日になりました」と感謝した。★夜になって、長崎市内のポーランド人シスターが見舞いに来た。シスターの話で、初めて彼らの取材が分かった。ポーランドから来た2人は、クラクフの大神学校の神学生です。いま大分に、サレジオ会の司祭で、ご高齢のピサルスキー神父さんが居られる。その神父さんの映画製作のために来日し、取材を始めているそうです。「いっしょに、ポーランドで、宣伝してもらえば、ありがたいよ」
2012年9月6日木曜日
入院10日目。カオは、いい。頭の毛が、ボサボサ
2012年9月5日水曜日
入院9日目。鳥取から夫妻が見舞いにきた。20世紀の梨
鳥取に、毎日、日記をみてくれる『みどり』さんがいる。「読者になる」の第1号でもある。いつぞや、鳥取に旅して、お世話になった。砂丘にも、案内された。また鳥取には、泌尿器科のお医者さんで、中村先生がいる。熱心なカトリックの医師だ。先日、ベッドから、中村お医者さんと、40分も、病状について話した。鳥取には、他に、土橋夫妻がいる。『みどり』さんから電話があって、「近々、土橋さん夫妻が、九州へ行くそうよ」と教えた。心待ちにしていたら、土橋さん夫妻が、『20世紀の梨』を、重たいのに下げて、見舞いに現れた。この夫妻との出会いは、こうだ。鳥取の教会でミサで祈ると、白い修道服を着て、リズムに乗せながら、大きな体で、オルガンを弾くベルギー人修道士がいた。その姿に、妙に、心引かれた。鳥取には、珍しく、3人の、福祉で活躍する修道士(2人は、ベルギー人)がいるそうだ。「遠い異国から来て、修道士たちが、よくぞ、がんばるなあ」と感心した。「彼らの、修道院を訪問したいな」と、思っていたら、「いい、ですよ」と、連れて行ってくれたのが、土橋さんだった。彼の車にお世話になる。小さな修道院に入ると、オルガン修道士とは別に、ベルギー人修道士が案内してくれた。修道院の壁に、ラテン語で、「与えよ、されば、与えられん」と書いてあったのを、忘れない。「長崎には、修道士も多い。見慣れていますよ。それが鳥取の、日本海に面した、人の目に触れない場所で、ひっそりと、神の愛を実践する。キリストの心で生きている。すばらしいことじゃ、ないですか。感動ものですよ」と言いつつ、あの時は土橋さん夫妻に、別れた。「おお、久しぶりだね」と、しばし語らい、「旅する夫妻よ、長崎・信仰の心を、みやげに持って、帰りなさい」
2012年9月4日火曜日
入院8日目。初体験・病者の秘跡。タマシイが安らぐ
午後3時、修道服を着た赤尾院長さんと、若い司祭、李神父さんが見えた。今度の入院で、「イノチの、ともし火」を感じる。いよいよ、病者の塗油の秘跡を、受ける。まず、李神父さんと、2人だけになり、告解を果たした。定期的に、李神父さんには、告解をしているので、ゆっくりとした気持ちで、心中を述べた。李神父さんの、言い聞かせも、あった。カトリックに、こういう秘蹟があるのは、ほんとうに有り難いと、感謝した。心は、安らかになった。生きている恵みが、わいてきた。その思いで、病者の塗油の秘蹟は、始まった。お祈りや、聖書の一部が読まれる。神妙に、ベッドの上で、ひたすら、祈った。ニンゲンは生まれ、育ち、才能を発揮して、成熟を向かえ、やがて老いて、枯れていく。ニンゲンって、ほんとうに、小さな存在に過ぎないと、思った。「長いあいだ、お世話になりました」。だれに、お礼をいえば、いいのか。神さまか。自分のカラダか。そんな単純な気持ちだった。安らかな気持ちになった。終わった後で、記念にと、写真を撮った。そうそう、撮れる写真じゃ、なかった。
2012年9月3日月曜日
入院7日目。クダも取れて、やっと歩ける。皆さんのおかげ
2012年9月2日日曜日
入院6日目。人生に、必ず、良きサマリア人は、いる
介護に来ている千草さんが言う。「トマさんは、お母さんに結ばれているのよ。戦前、お母さんが聖母の騎士のルルドへ連れて行って、ゼノさんたちに、わたりを、つけていた。コルベ神父さまから、招かれていたのよ」と言いながら、長崎・光源寺の『飴やの、ゆうれい』の話をした。よく覚えていないが、確か、幼い子どもを残して死んだ母親が、飴やに、飴を買いに行き、幼子を育てる話だった。その話をベッドの上で、天井を見詰めながら、聞きながら、こう、思った。「そういう話が、世の中を、救い、光を当てる。希望を与える。それが、ストリーだ。内容が、どうであったか、本当に、そうであったか、そんなことは、どうでも、いい。その中に、秘められた『神秘性』に、ニンゲンの心がつながる。それは、それで、いいんだ」と。『人は、人生の途上において、沢山の人に、出会うでしょう。しかし、それらの人は、みな、裏側を、通り過ぎた人たちだった。最後に、誰に、出会うか。それが、良きサマリア人。必ず、人生に、そういう人は、いる』
2012年9月1日土曜日
入院5日目。調子が、いい。しゃべり過ぎて、8度8分
現在の病状をお知らせしますと、まず肺呼吸の減少で、鼻にサンソのクダがつながれている。次は、点滴です。特別に、炎症を抑えるクスリを入れる。点滴のクダにつながれる。それから、尿です。起きて、トイレに行かないように、尿袋のクダにつながれている。最後は、目には見えないが、腎臓から、ボウコウへ、ステントのクダでつながれている。そして、まだ最後が、あります。これが大事です。「神さまの、愛と、イノチのクダに、つながって、おります」。日中、少々しゃべりすぎて、夜には、8度8分の熱が出て、反省しております。私は思うんです。ベッドという、動けない十字架にしばられて、自分を省みれば、2つだけ、大きな体験をした。第1は、原爆です。あの廃墟と化した原爆の丘にたたずむ少年のソバに、主は居られたのでしょうか。少年は老いても、問いかけます。第2は、アウシュヴィッツのガス室の、(私は、そこに、10回も行きました)、ガス室の中じゃ、ないんです。ガス室の、10歩手前、20歩手前、50歩手前、そこを、前を向いて歩く群衆、幼児がいる、女性がいる、老人たちも、まだ彼らは死ぬことを知らない。シャワーを浴びると、だまされている、その中に、もし私が居たら、主よ、あなたは私のソバに居られますか。ここまで考えてくると、ベッドの上でナミダが出てくる。『主よ、居られますか』。老いても、問いかけます。余りにも厳しい現実です。本には書いてある。居られます、と。言葉でも簡単に言います、居られます、と。ごめんなさい。私には、もう素直には、問いかけられません。まだ死ぬと分かっていないから、です。そこに、コルベ神父が出てくるんですね。コルベ神父は、自分が『必ず、死ぬ』と分かっていた。だから、コルベ神父のソバには、主は確かに居られたのです。主と共に死ぬと分からない者には、この道理は理解し得ないと、いまは思う。原爆の丘で、パウロ永井隆先生は、(私は、小神の中学で理科を習った恩師です)、放射線医師として、被爆者として、自分は必ず死ぬと充分に分かっていた。それなのに、原爆救助に奔走した。死ぬと自覚していたからこそ、主は、共に居られたのです。信仰とは、本じゃ、ない。話じゃ、ない。肌で感じる体験なのです。だからベッドの上の、弱い私は、助けを、求めます。「主よ」「コルベ神父さまよ」「永井先生よ」


