介護の千草さんが今朝、言った。「トマさん、三橋理江子さんからメールが来てね。マリアさまの誕生日って、書いてあったよ」「ああ、そうか。今日は、8日の誕生日だ。すっかり忘れていたな」。それから、ずーっと、「マリアさまの誕生日、そうだ。何か、思い出になる事は無いかな?」と考えつづけた。昼食後、入浴したときも、湯船のなかで、考えつづけていた。幾つかの、ヒントはあった。高木仙ヱ門の孫、高木寛(ひろし)さんは、シスターや司祭などの聖職者に知り合いが多く、それらの人の誕生日を手帳にメモして、いつもお祝いのハガキを出していた。小崎修道士にも届いていた。そんな事を考えながら、湯に入っていると、風呂場の扉を「トン、トン」とノックして、「トマさん、お客さんが、いま来たよ」と、知らせるではないか。「え?だれ?」「愛野教会の、ポーランド人のブリ神父さんが、来ている」「え?」「ポーランドからのお客さんを連れて来ています」「ちょっと、待ってね。談話室で、待って、もらっていてね」。風呂から上がって、迎えたのが、写真の皆さんたちで、「何か、話してください」と言う。幸いに、ポーランド版『焼けたロザリオ』が出版されたときなので、マンガにまつわる「原爆」や、「コルベ神父」や、「ゼノ修道士」や、現在の教会や、我が人生の歩みなどを語った。ビデオに収録した。「ポーランドで、『焼けたロザリオ』を宣伝してください」。それが願いだ。ブリ神父さんが通訳した。彼らが帰った後、「マリアさま、御身の誕生日です。おめでとうございます。今日は、すばらしいお客さんを送ってくださいました。もっとも意義ある恵みの日になりました」と感謝した。★夜になって、長崎市内のポーランド人シスターが見舞いに来た。シスターの話で、初めて彼らの取材が分かった。ポーランドから来た2人は、クラクフの大神学校の神学生です。いま大分に、サレジオ会の司祭で、ご高齢のピサルスキー神父さんが居られる。その神父さんの映画製作のために来日し、取材を始めているそうです。「いっしょに、ポーランドで、宣伝してもらえば、ありがたいよ」
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