何年か前に、韓国の「テ・グ」へ行った時、撮った写真です。後ろの方が誰であるか、分かりません。今日は、ミサのとき、韓国の殉教者・聖アンデレ金と同志殉教者の記念日を祈りました。コルベ神父と、韓国とも、ご縁があるんですよ。日本へ来るとき、韓国も汽車で通過しました。沢山の騎士誌を韓国へも発送しました。騎士誌を読んで、何人かが、長崎で学びました。その中の1人は、司祭になって、韓国の神学生の養成のため、活躍しました。そんなことを思いながら、ミサで祈りました。すると、パウロの言葉のなかに、「グ、グーッ」と、胸にくるヒラメキがありました。「神の恵みによって、今日(こんにち)の、わたしが、あるのです」。この言葉に、感動しないのですか。「そうーです。そうです」と頷かないのですか。いや、わたしは、充分に思います、自分のチカラじゃ、ない、って。それに、もう1つ、あった。「働いたのは、実は、わたしではなく、わたしと共にある、神の恵みなのです」。ここでも、ピッタシ、です。生きているのは、もう、自分のチカラじゃ、ない。そう、心底、思いたい。(Ⅰコリント15-10)。聖アンデレ金と、同志殉教者の列聖式は、1984年と書いてあった。いつだったか、大挙して韓国に巡礼し、大広場で、教皇さまをお迎えしてお祝いがあったが、あの時だったのでしょうか。韓国の人たちと、平和を、祈りました。
8月にコルベ資料室で買ってきた「長崎のコルベ神父」を少しずつ読んでいます。ちょうどその頃のことかな、と思いながら日記読みました。
返信削除列聖の1984年は、私の生まれた年です。だからどうってことはないのですが、何となく親しみがわいてきます。