2020年11月30日月曜日

入院します。ステントの入れ替え手術。無事に終わるように。お祈りを

いよいよ、ステント入れ替えの入院の日がきた。ミサで、堪える恵みを祈った。瀧神父さんも祈ってくれている。この時、この場所を「神がお望み」と受け入れる。山を越えれば、豊かな平原もあるだろう。風だって、さわやかに吹くよ。
★今日の過程は、ほぼ予想される。入院の準備は出来た。朝食後、高原修道士さんの運転で、ホームを出発する。
この周辺では、一番、大きな総合病院。6階に、泌尿器科病棟がある。コロナの関係で、高原さんは直ぐに病室を去るだろう。看護師さんが来て、尿の採取、血液の採取、問診など。昼食は、なし。昼頃から、大きな袋の点滴が始まる。これが大変。老いてくると、血管が細くなり、看護師さんは針を刺すのに、苦労する。黙って、見詰める。応援の看護師さんが来る場合もあった。上半身は、裸。これが又、大変。夏は、いいが、いま時は、寒い。老人は、寒さに弱い。これが、こたえる。3時過ぎになるだろう。車椅子に乗せられて、泌尿器科・外来・処置室へ連れていかれる。ゴルゴタの道行きが始まる。
★ベッドに寝せられ、天井を向いて、両手を広げ、片方に心電図、片方に血圧計が装着されると、気持ちが高ぶってくる。エビのように身体を曲げた背骨に、ズブッと、麻酔を突き刺す。「うまく、入ってくれ」が願い。その後、両足を広げて、まさに十字架に、はりつけの状態になる。
今日は、使徒聖アンデレの祝日だった。彼の最後は、十字架に、アタマを下に、逆さになって殉教した。主イエスと同じ姿で殉教するのは、もったいない、とイノチを捧げた。わが苦難は、殉教には及ばないが、手術は、30分ぐらいの辛抱で終わる。
★手術の時、何を考えるだろう? ホームのこと、イエスの十字架のこと、殉教者のこと、楽しかったことも模索して、希望を持つ。白壁に、大きな時計がある。いつも、チラ、チラと、針の動きを見る。「ハイ、無事に終わりましたよ」と、この一言、先生から言われるのが願いです。帰りは、台車ベッドで、病室へ。りきんだチカラが抜けて、楽になる。2時間の安静で、心も休まる。まあ、こんな調子で進むでしょう。夕食をたべて、点滴が終わるのが、夜の10時頃になる。長い、一日になる。
★「ささ舟は、流れに、おまかせする。岩も、あるだろう。ぶつからずに、避けて通れるか」。日記を見られる皆さん、どうぞ「み旨のままに」と、お祈りをお願いします。 

2020年11月29日日曜日

人は、一人では生きられない。支えられ、恩恵を受けて「ハイ、ポーズ」

日曜日。ホーム・湯江教会の祭壇下の生け花。その左側に、白い台。4本のローソクが立ち、その1本に灯が、ともっている。降誕祭を待ち望む、待降節が始まる。
今日は、その第一の主日。各日曜日ごとに、灯が増えて、4本のローソクに点火した後に、降誕祭がくる。
「待ち望む」「回心」「善業」などの心の準備が必要になる。浮かれて、いては、ダメだよ。清らかな思いで、主を待ち望む。
★明日から、ステント入れ替えで、入院する。胸は、苦しい思いで居ります。しかし入院前に、日記に、時々、コメントを寄せてくださる「マリア・フランチェスカ」さんから、ごらんの青色ジャケットが届いた。それを着て、「ハイ、ポーズ」なんて、元気が出たようです。有り難う。皆さんも応援、よろしく頼みます。
★コルベ神父の目標に、「準備・行動・苦しみ」というのがある。長い人生、波があり、落ち込むこともある。しかし、ある時には、出番が来るのだ。光が当たり、使命を果たす時もあった。付いてくるのが、苦しみです。見落としては、ならない。苦しみに堪える、ガマンすることも必要です。苦しみを超えて、人はホンモノになる。
★ステント入れ替え、イヤだね。体内の、腎ゾーからボウコウまでのクダ(管)に、異物が付着する。放置すると、尿が出なくなる。ステント(クダ)を入れて、4か月毎に、交換する。6ヶ月に伸ばしたら、クダが取れなくなって、お医者さんも、自分も苦労した。この手術なしには、生きては活けない。そりゃ、キツイよ。痛いよ。一応、麻酔は、するがね。ボウコウの中へ、機械を入れる、カメラを入れる、クダも入れる、思っただけでも、身ぶるいするよ。いつまで続くのか、出来るのか、可能か、イノチは、神さまのことです。
★人は、ひとりでは、生きられない。仲間に支えられ、介護の恩恵を受け、医療者にお世話になり、痛み、苦しみがあっても、「ハイ、ピース」が出来る。一時の苦しみ、絶えて、呼吸をつなぐ。
★昼食をすませて、食堂を出る時、背後で、瀧神父さんの声がした。「トマ、明日のミサの意向は、トマのため捧げるからな」「有り難う、神父さん。心強いな」
★今朝、ミサが終わって、ホームから眺めた、雲仙岳、有明海の朝明け、癒される。

2020年11月28日土曜日

あなたの励ましで、今日を喜びで、生き延びる人もいる。それが出会いだ

出会いも、いろいろ。
1回だけ、すれ違う出会いもある。
1時的に、2年、3年。それで忘れる。
あるいは、30年、40年、つづく出会いもある。生涯、つづけば、御の字だな。
出会いによって、変化だな。強烈だね。影響を受けて、心の中に、いつまでも生き続ける出会いもある。出会いは、ふしぎだ。
体格の、いい男性が、会いに来た。
コロナの時代だから、自室で会えない。玄関・事務室の横のソファーで語り合った。
★いつも「多良見の果物ゼリー」2箱を持ってくる。
★この男性、自分で運転して、自宅から40分かけて、年に、3回は訪ねてくる。出会いの原動力は何なのか、分からない。
「カラダの調子の話」「ヨメの、リハビリの送り迎えの話」「一緒に、自宅で、キビナゴの刺身を食べた話」「99歳で逝った豪傑・神父さんの話」「イヌの散歩の話」「散髪屋の話」など、毎回、同じ語りを交わして過ごす。「歳は?」と聞くと「84」。トマさんより、8歳下だねと付け加える。ホームに、年に何度も、訪ねてくるが、歳だけは、覚えていない。
★いつ頃だったか、聖母の騎士誌に、彼の家族の話を書いた。登山が好きだった息子を、山で遭難死させた悲しい話もあった。彼と、どこで、どう、つながって いるのか、出会いは神秘なベールに包まれる。「トマさん、豪傑・神父の歳まで、生きよ」。ハ、ハ、ハと、お互いに笑った。弟さんは、教区の神父だったが、逝かれた。誰にも、寂しさはある。7時過ぎには寝て、4時には起きるという。トマと、同じだ。共感するところは、あるな。
★人に出会っても、自分は、自分。相手は、相手。のめり込めない。だが『つなぐ』ものが、ある。それは『ご縁』だろう。高め合い、慰めあい、深め合うのが、出会いだ。
★「あなたの出会いで、微妙に励まされ、ああ、今日は、良かったな。嬉しかったな、と生きる喜びを感じたよ。それで、ヨカとたいね」

2020年11月27日金曜日

痛む所を、さすって、あげよう。求めるヒトミに、優しい眼差しを注ぐ

聖コルベ館に居た時は、終日、修道服を着ていた。フランシスコ会の服を見れば、「ああ、修道士さんね」と直ぐ分かる。両手を広げて、「いらっしゃい」と言えば、皆さんは受け入れ喜ぶ。人間じゃ、ない。修道服が、一目瞭然、分からせてくれる。
ホームに入って、修道服は、ミサの時だけしか、着ない。普段の生活は、俗服のまま。修道士って、分からないし、自分でも、忘れがちになる。「それを忘れちゃ、おしまいよ」
★ホームに入る前は、「人のために尽くそう」気持ちがあった。ホームに入って、人のために尽くすどころか、人の世話になっている。この心も忘れがちになる。「残念やが、現実だ」
★ステント入れ替えの日にちが近づいた。3日間の入院とはいえ、3つの荷物を準備する。1つは、日用品。2つめは、モーフや着替え。3つめが無呼吸の器具と精製水。自室は、一人住まいだから、もちろん自分で準備する。担当の介護職員さんも加勢はするが、「イチマツの、寂しさは、感じるね」
★それで思ったんだが、「愛の第一歩、それは『寄り添う』こと」。今朝、この言葉が、ググっと、きた。しみじみ思いましたよ。「愛しなさい」「愛は必要」と、よく言うじゃないですか。その第一歩は、寄り添うこと。これが基本だね、と。
★ホームで、1人の司祭が、重篤になった。どこから来たのか知らないけれど、県外から、遠方から、1人のシスターが来て、その司祭の傍に『寄り添い』、温かい愛を示した。感心な人やと思った。いつまでも居れないので、帰られたが、司祭は逝かれた。シスターは葬儀に祈った。なぜか、あのシスターの甲斐甲斐しい面影が残っている。ほほ笑みの清らかなシスターだった。
★寄り添うこと。それが愛の始まり。ステント入れ替えを前にして、思います。「ああ、わたしも、元気な頃に、もっと、寄り添う人間であったら、よかったな」。だが、これも難しい。必要なのに、難しい。なにか自分も、寄り添えることは、ないのかな。「受ける恵み、与える愛」。痛む所を、さすって、あげよう。求めるヒトミに、やさしい眼差しを、返してあげよう。そのような心を保ちたいものです。
★「助け手に、なろう。押し付けるのは、やめよう。その人の個性を尊重する」 

2020年11月26日木曜日

今日は「イイ、フロ」=(11・26)の日だそうです。風呂は好きよ

テレビで知った。今日は、1(イ)1(イ)月2(フ)6(ロ)クの日、だそうです。「いい、風呂、スキだね」
朝の体操が終わって、すぐに入浴した。
広い風呂に、大柄の男性が1人入っている。湯舟の中での会話。ホームのなかで、カガミになる女性が居ると言う。「カガミって、なんや?」と思うと、『鑑』、まあ、模範だね。男性は、ナニさん、アレさんと、名前をあげた。いずれも五島の、根っからのカトリック信徒だった。
★トマは、風呂が好きだ。「生涯で、よく、風呂を愛した、入ったな」。風呂といえば、忘れない。50年前の出来事、思い出すよ。景気上々の時代でね。
農地の中に、デンと立派なホテルが建っていた。農家の団体さんが、わんさと泊り、酒宴を開いた後、湯につかる。その中に混じると、こちらも楽しくなる。
湯から上がって、いつもカラダがほてるので、浴衣だけ着て、下着は持って、部屋へ戻る。しばらく、畳に、大の字。
やっと、カラダが治まって、パンツをはこうとしたら、オレのじゃない。他人の下着を抱えて来た。この時ほど、悩んだ、悶えた、分けワカラン。幸い、着替えは持っていた。どうする?➀このホテルから逃げ出そうか。いや、これは✕。②フロントへ告げるか。放送で、下着を間違った方。言われたら恥ずかしい。これも✕。③結局、黙示した。翌朝、食堂へ一番に行き、入口で待っていた。すると農家のダンナが、浴衣をひろげて、パンツが見える。「それ、ボクのー」。本人は、お酒のせいで、無意識に着ていた。その後、どう処置したか、そこまでは覚えていない。あれは人生、最大のミスだった。
★最近は、入浴に、注意しています。足がよろけるので、倒れそうになる。歳をとれば、危ないです。楽しい入浴も、苦になる務めになってる。それでも、やっぱり、入浴後は、気持ちが、いい。

2020年11月25日水曜日

また、また、顔なんか出して。そう思わんで下さい。若いツケが、今くる

写真を、よーく見て。
写真で左側の目(実は右目になる)、目の下の、鼻筋の中ほどに、「黒つぶ」があるでしょう。これが皮膚科のお医者さんから「日光角化症」と言われた。
他にも、5,6か所、有ったんですが、それは塗り薬で消えた。
残る「黒つぶ」が、これで、2度ほど、強烈なクスリのシャワーを掛けられた。
今朝、目覚めて、ベッドで、鼻のところを触れると、ポロッと「黒つぶ」が、はがれたんです。取れました。「つぶ」を計ると、7mm、4mm、あった。これで顔が、何やら、すっきりなった次第です。
今年は、背中の、左手が届く場所に、有棘(きょく)細胞がんが出来て、手術で、切り取った。それが終わって、「日光角化症」の塗り薬治療を始めた。
原因は、紫外線で、長年、屋外で仕事をした人に多く、主に顔に発症するそうです。
★若い頃は、海水浴などで、太陽に焼けるのが喜びだった。黒く焼けて、皮膚まで、はげた。元気な証拠と思った頃があった。
中壮年になって、そんなに焼けていないのに、なぜ、今どき、老いて「日光ナントカ症」に罹るのか。世の中、ワカランことが、多か、ですね。寝る前に、1日おきに、強烈な、白いクスリを塗る。塗った後は、しっかり手を洗う。翌日の朝の洗顔は、しっかり洗い落とす。
紫外線には、気をつけた方がいいですよ。老いてから、そのツケが回って来る。
鼻の横の「黒つぶ」は2つ有って、1つは、触ると、ジュク、ジュクする感じでした。その部分が最初に治まり、隣の部分が残っていた。今朝、取れたのは、その部分でした。
★老いれば、シミも、シワも、出来てくる。どこも、かしこも、老化するわけです。それでも自分の顔だからね。生まれた時から、毎年、毎年、自分の顔だけを撮って、この歳まで並べたら、どうだろうかね。「よくぞ、生かして、頂いた」と、満足して、受け入れる気持ちになりたい、ね。

2020年11月24日火曜日

ローマン修道士の命日。20歳で長崎へ。80年宣教。100歳で逝った

 ローマン修道士さんと、一緒に、ポーランドを旅行した時の写真です。後ろのご像は、ヨハネ・パウロ二世。
今日は、ローマンさんの命日です。
最後は、ホーム聖フランシスコ園に入居して、6年、介護を受け、100歳で逝かれた。トマが入居して、1か月後のことでした。
トマにとって、ローマンさんは、特別な思い出がある。聖母に騎士に入る前、15歳の頃、病気上がりのカラダで、よく聖母の騎士へ手伝いに行った。ルルドの掃除をしたり、院内に入っては、ローマンさんが作る聖像の、石膏磨きの作業をした。
その「つながり」からか、ホームに入居したローマンさんを時々見舞った。ローマンさんの好物は、チーズだった。渡すと、喜んで、介護の職員には隠して、見えなくした。20歳で、日本へ来る。戦時中は苦労したが、戦後、宣教に活躍した。庭や花を愛し、美的感覚があった。
★トマのポーランド旅行は、1回目は列福ツワー、2回目は列聖ツワー。3回目が、トマ個人と、通訳にローマンさんの同行を頼んだ。1か月の旅で、ローマンさんから、優しさや、根強い信仰、国を思う心など、学んだ。
丁度、教皇ヨハネ・パウロ二世がポーランドをご訪問された時で、トマとローマン修道士は、二エポカラヌフ修道院で特別にパパさまの謁見の光栄によくした。ガヨビニチェックさんのインたビユーも、この旅だった。
★戦争が厳しくなった時、東京のポーランド大使館員たちは、日本を引き上げた。長崎へ寄って、ポーランド国旗をローマン修道士に託した。彼は、これを大切に守った。終戦後、大使館員たちが又、日本へ戻って来た時、ローマンさんは、国旗を返還した。
★コルベ神父が日本・長崎を去る時の写真が残されている。ローマンさんは、後方の、隅っこの場所にいる。
★トマが、ホームに入居した時、ローマンさんの体力は弱っていた。日本での宣教生活80年、静かに神の御元へ旅立った。ベッドへ行ってみると、足元に、ポーランドから持って来た温かいチョッキが広げられていた。トマには、それが、ポーランドの国旗に思えた。

2020年11月23日月曜日

1人で居れば寂しい。耐えるしかないが、何かをツカミたい。生きる呼吸

ホームの下に、小さな神社がある。黒ずんだ鳥居。見落としがちだ。大きなイチョウの木。沢山の葉が、黄色く染まって落ちていく。木は、イノチを育んでいる。
★今朝、教会で、1番に、濱田神父さんに、「来週の月曜に入院します。保証人、頼みます」と封筒を渡した。ステントの入れ替えがくる。「この間、したばっかりに、早いなァ」と思いますよ。これを成さねば、イノチが受け継がれない。
★入院するまでは、「ゲンキで居なければ」と心を〆る。今の状態を考慮する。動ける。応対できる。笑える。眠れる。それが失せれば「アウト」だぞ。
★老いても、苦悩は、付きまとう。いや、老いる事は、人間にとって、苦しみかも知れない。イチョウの葉は、思い切って、黄色い葉を、振り落として、冬を越す。
★勤労感謝の日。休日。それでも、ホームの職員さんたちは、働く。食べさせる。介護する。洗濯する。誰のお陰で、生きているのか。いま、「トン、トン」と戸をノックした。「はーい」と返事。「何も、変わり、ありませんか?」「だいじょうぶ、です」
★ホームで、1人、自室に居れば、やはり感じるのは「孤独」でしょう。寂しさでしょう。仕方のないことです。だが、絶えていく。孤独を埋めるのは、愛だという。でも、人の愛は、なぜか、むなしく感じる。自分が、枯れているせいなのか。迫ってくる愛を感じない。見えない愛は、どうか。イノチの源(みなもと)の愛だよ。生きているのが、愛なのか、な。ミナモトの愛に気づけば、豊かな人生になるよ、そんな気がする。 

2020年11月22日日曜日

ホームの「懇談会」。コロナ拡大、年末は近い。面会、外出も厳しくなる

世の中には、不用な人間は、いない。
その人にしかない魅力や個性が、必ずあるはずだ。それを尊重し、理解し合う社会を望む。その人にしか、ない素敵な存在を、素直に認めようではないか。
日曜日のミサ。最後の部分のところで、司祭の祈りが、こころに、ひびいた。
「1人ひとりが、助けを必要としている兄弟の中にも、キリストを見いだし、共に苦しみを担い、支え合うことができますように」。現実には、本当に難しい。それでも願う。
★ふしぎな色をした雲の広がる朝があった。異様な感じがしたので、写真に撮った。
★昨日は、ホームで「懇願会」があった。
事務室の職員さんから、12月の予定が告げられた。「早やーい、ね」。そんな声が聞こえる。12月5日は創立記念日。60年の歴史を刻む。この日は、初土曜日だから、誕生会がある。ついでに忘年会も行なうという。
★栄養士さんが、「何が、食べたいですか? 例年のように、牛肉のすき焼き、豚肉のすき焼き、サカナの鍋の、3つに別れる料理で、いいですか?」と聞いた。ガヤ、ガヤと声が重なったが、結局、「例年の通り」に落ち着いた。「それにしても、70人に、食べさせるのは、職員さんも、大変だな。苦労するよな」
★月末には、クリスマスがある。イヴのミサは、午後6時15分から。翌日、主の降誕のミサは、午前10時から。その後、祝賀会がある。「職員の、出し物も出ますよ」。豪華な出し物が出るらしい。
降誕祭が終われば、餅つき、となる。
★最後に、職員さんから、「最近の、コロナの第3波の感染拡大で、ホームでも細心の注意を払います」と告げられた。介護施設での波及は恐ろしいからね。当然でしょう。
面会は禁止です。病院以外は、外出も禁止。
長崎県では、0人が続いていたが、1人、2人、3人と、増加している。
トマへの面会も、寂しくなるね。
★食堂の蛍光灯が点滅。「さあ、取り替えよう」 

2020年11月21日土曜日

『はな』ちゃん。半年ぶり。『幼児』が抜けて『オンナの子』。可愛いね

夕食の前、「トン、トン」と自室をノック。
入って来たのは、『はな』ちゃんのお母さん。
「いまね、『はな』が、玄関に来てるよ」
「え? ホント、ひさしぶり、『はな』ちゃんが?」
デジカメを取って、自室を出た。「そうだ」。少し歩いて、また戻る。お菓子の「くだもの・ゼリー」を押し車に乗せた。急いで、車を走らせる。
玄関で、見つけた『はな』ちゃん。半年ぶりだね。
『幼児』が抜けして、『オンナの子』の感じ。いやがらない。恥ずかしがらない。可愛いらしさを表現。
足元の、スリッパが、似合うよ。
ポーズも、ちゃんと、とってくれる。
成長した『はな』だな、が、こころの声。
おメメも、しっかりしてる。
★お母さんの絵里さんは、ホームの介護職員さん。北海道の高卒出て、すぐ長崎の聖フランシスコ園で、23年勤めている。優しさ、敏しょうさ、介護のベテランだ。
「『はな』ちゃんは、幾つに、なったと?」
「4歳と9か月よ」
トマのことを「テレビのおじちゃん」という。リモコンを自分で操作して『こころの時代』を見るそうだ。そう言われれば、格別の愛情も湧いてくる。
毎日、保育園に通うが、「今日は、お休み」。『はな』の成長が楽しみだ。

2020年11月20日金曜日

絵手紙教室。正月にそなえて、年賀状を描く。「椿」はやめて、美男子に

ホームの絵手紙教室の「公子」先生。
ごらんの表情の通り、お優しい先生です。毎月、1度の、楽しみ。6年、お世話になって、毎回、2枚は描くので、結構な枚数になっている。
町の文化祭には、まとめて、出展してくださる。今年も「ホームの教室」として、表彰状をもらった。おまけの楯(たて)ももらった。書道で、トマがもらった楯よりも、デカかった。
「教室」といっても、集まるホーム人は、7、8人かな。
★年も終わりだから、今日は、年賀状を描いた。いま、コロナが都市でまん延している。来月、12月は、教室も危ぶまれる。
絵手紙では、花や、野菜、小物を描く。
年賀状は、いつも「つばき」を描いてきた。今年は「つばき」は止めよう。
ナンテンや、スイセンが、正月らしい。だが、手本がない。「公子」先生の絵を写実した。「なんていう実ですか?」。びだんし・かずら、と聞いた。美男子なら、いいじゃ、ないか。
 ★小さな楽しみが、生活の推進力になる。絵を描けば、こころ、ワク、ワク。

2020年11月19日木曜日

クぺさん修道士の命日に思う。五島のお母さんの思い出。信仰は湧き出る

もう、何十年も前の写真だろう。トマの「写真帖」から、古い写真を見つけた。
五島の、海です。瀬が、伸びてる。山が、海に迫り、暮らせる場所では、ない。1人の、陽焼けしたお母さんが働く。
お母さんを訪ねるのに、苦労した。山を越え、下りるのに細い道しかない。V字型の溝、雨が降ると水流となる。車、バイクは行かない。歩くしかない。
やっと、お母さんのひざ元に着いたという感じ。お母さんの愛情に触れた。10人の子供を残して、ご主人は逝った。残された子供たちを育てるのに苦労するが、10人の内、長男が修道士に。男の子は3人の司祭に、女の子は2人がシスターに、それぞれに奉献生活の道を進んだ。
3男さんが、家を継いだ。もう、何十年も、むかしの時代だから、現実に、五島には信仰・現実・家族が有ったんですね。
トマ修道士は、もちろん、お母さんに逢いに行った。
★お母さんが背負っている、この木の、「からうもの」。これが、トマが生まれ育った「北朝鮮」の「背負いもの」に似ているんですね。「これが、気に入った」
お母さんの信仰は、ホンモノだ。「母さんだって、キバルぞ。子供を捧げたからにゃ、自分も捧げる人にならんといかん。いつもお前たちのため、祈っとるぞ」。母の祈りは強烈だ。子供たちが育った家には、お母さんが1人住んでいた。
家を継いだ家族や、結婚した家族は、国道と教会のある場所に暮らしている。今日は、あの「お母さん」を懐かしく思った。晩年は、ホームに入り、86歳で神に召された、と聞いた。
捧げた3人の司祭、修道士、2人のシスターたちは召命を全うした。長男の修道士は、修道会では「クぺさん」の愛称で呼ばれた。「クぺルチノ」の修道名からだった。長年、小長井町の山の修道院で、広大な森林の管理や、土木作業に従事した。
★昨日が、クぺさんの命日だった。トマが、ホームに入って、その間、クぺさんは逝った。最後にお見舞いをした。享年、85。クぺさんから指導され、一緒に作業していた男性が「浜崎さん」「森さん」たちだった。クぺさんが亡くなって、いちばん悲しんだ。そして、間をおいて、彼らは「ホーム」に入居する決心となった。
★「信仰とは、何か? 根っから芽ばえた稔りです。恵みの雨を待つ。スキ(鋤)を手にしたら、スキ(隙)を与えず、後ろを振り返るな」

2020年11月18日水曜日

歳をとるだけ、病いも増える。耐えて行くしか、ない。「気力」が大事

高原修道士さんは、押し車を、車に積む。トマは、後部座席に、乗る。
車は、ホームを出発した。必ず、安全運行の祈りを唱える。「アヴェ・マリア」「聖ヨゼフ、聖フランシスコ、聖マキシミリアン・コルベ、日本二十六聖人」の謝祷を唱える。
行き先は、諫早の総合病院。皮膚科。2週間ぶりになる。
顔に出来た、「日光角化症」。鼻の右側に、一部だけ残っている。女性のお医者さんが、はがれた皮膚をピンセットで外し、強力な噴射を、シューゥっと吹きかけた。痛い。2度、吹きかける。痛い。次は、2週間後に、また処置をすると言われた。2週間後は、ステント入れ替えで、総合病院に入院となる。
★高原さんのお陰で、ホームを10時過ぎに出て、11時半には、ホームに戻れた。有り難いと感謝する。病院へ行くにも、交通が最も気になる。病院は、総合病院が頼りである。この地方の高度の医療機関になる。
★昼食を終わって、エレベーターの中で、声をかけられた。「外出ですか」「病院、ですよ。歳をとれば、いろ、いろ、あるよ」。体力が附いて行けるかが、問題だ。
ステント入れ替えも控えているし、ね。「気力」だね。負けては、おれんよ。

2020年11月17日火曜日

原爆継承課の女性職員さんの訪問。日記のコメント談義。宣伝になるよ

食事のとき、栄養士さんが食堂に入ってくる。ホームの人たちの食べ具合を、チラ、チラと、観察する。
昨日の夕食のとき、食卓に来て、トマに声をかけた。「お客さん、来たの?」
「来ましたよ」。日記に書いていたから、早速、それを読んだのだろう。写真の女性が、そのお客さんです。
明るい表情の女性。しっかり者の感じ。長崎平和推進協会・継承課の職員を勤めている。1時間半ほど話した。
来年の1月、継承課の職員のため、「語り部を勤めて下さい」との願いがあった。「どうして小崎を知っているの?」と問うと、お母さんが、小崎さんの大フアンだそうだ。小崎さんの本を愛読している。女性は、今年、東京で、カトリックになり、長崎に来た。天主堂の近くに住んで、毎朝、ミサに行く。「聖体拝領と、教会の祈りが、生きる糧」だという。
ジャイカ(国際機構)、アフリカなどで、十年あまり、活動した経験がある。貧困や、医療の支援を行ない、NGOでは、紛争後の開発支援を行なった。ある時は、近くを銃弾が通り抜けた危険にも遭遇した。行動派女性だね。「被爆の継承に、努めたい」。熱い思いが感じられた。こちらも原爆心理を、つい、つい、深入りしたよ。
★食卓に来て、「お客さん、来た?」と尋ねた栄養士さんには、訪問した職員女性のことは、さて置いて、話題を変えて「サツマイモのポタージュ、日記、読んだ?」と聞いた。「読みましたよ」の返事。「コメントも、読んだ?」「読みました」「2つ、あったでしょう。いいこと、書いてあったよ」「そう、そう。『かぶらってぃ』さんね」 。『かぶらってぃ』さんのコメントは、ホームでも、有名になっている。
★栄養士さんが言った。「あれ、ね。ホームの畑で採れたのよ。普通の色のサツマ・イモを使うはずだったのに、ムラサキ色のサツマ・イモを使った」。コメントは、2つあった。『あさみ』さん「サツマ・イモのポタージュ、ホッとした心になりました」。『かぶらってぃ』さんのコメントは長文だ。略すれば「目にも鮮やかな食卓、温かなポタージュ、栄養科の皆さんの工夫が、よく伝わります」
★更に、栄養士さんが言葉をつないだ。「調理場の職員さんにも、あの箇所をパソコンで見せたのよ。ほれ、こんなにして、外部の人も、関心を持って下さっているのよ。コメントも読んでもらったわ。喜んでいたわよ」「応援して下さる人も沢山いる」「日記は、ホームの宣伝になるわね」と言われて、トマも喜んだ。
★昨日は、そういう一日でした。見守ってくれる皆さんに、カンシャ。お客さんには、期待。

2020年11月16日月曜日

原爆の丘。毎夜、地は暗やみ。空は満天の星々。燃える天主堂にナミダ

★人生には、絶対、忘れられない風景や出来事が、幾つかある。上の絵が、そうです。原爆で生き残った少年は、母を失った悲しみは勿論だが、東洋一といわれた浦上天主堂が、一瞬に、壊滅した現実に唖然とした。
★出稼ぎで出た北朝鮮で、数万人が住む日本人の町で暮らしたが、カトリック信徒は、母と2人きりだった。教会も、ない。母の故郷、浦上に帰ってきて、天主堂を仰いだときの喜び、しかも天主堂の周辺に1万2千人の信徒が居るのを知って、喜びは倍加した。毎朝、ミサに祈る楽しみがあった。愛着のある天主堂が、瓦礫と化してしまう、その驚きと、落胆。しかも8千5百人の信徒が被爆死した。余りにも、大きな試練。立ち上がるために苦労した。泣いて、祈って、汗流して、信じて、希望を持った。
★今の、永井隆記念館の「如己堂」辺りの丘から、毎晩、毎晩、燃える天主堂を眺めて、泣いた。天主堂内の一部に、軍の食料倉庫があったため、米や缶詰などが、何日にも渡って燃えつづけた。
★浦上、全体は、灯もなく、真っ暗。天主堂の火だけが、燃えている。流れる涙を拭きながら、空を仰ぐと、満天の、汚れのない、美しい空に、星々が、輝いている。それを見たとき、「なぜ、戦争なんか、するんだ」と怒りが込み上げてきた。あなたは、原爆の丘の夜の暗さを知っていますか。天空の美しい星、星を知っていますか。地は、暗やみ。空は、輝き。「どうして、人間は、人間同士で、戦いを交えるんだろう」「平和という安心した世もあるじゃないか」
★今日は、午後から「登明さんの原爆体験を聞かせてください」と願う女性が面会に来る。それで早めに、日記を書いたし、天主堂を眺める少年の絵を描いた。
★17歳といえば、多感な少年。ナマイキな年ごろ。その少年が、原爆直後の廃墟の丘を歩いて、率直に、どういう心情がうごめいていたのか、語ってはイケない「原爆心理学」がある。まだ、まだ、それは、心の奥に、伏せたままです。午後、来る女性に、語っていいのかな。
★「90年、生きて、こんな体験をして、こんな事を学んだ。それを語るのです。それだけです」

2020年11月15日日曜日

母が、祈る姿を、なぜか思い出す。何を、祈るか。願いは、今につながる

日曜日。ミサのお説教で、司祭は、今の世の困難にあって「祈りなさい」と強調していた。
「祈り」は、神との会話。
自然に、心から出て来る吐息。
これまで、どれ程、祈りについて考えてきたことだろう。祈り方も、教えられた。
自分は、いま、祈っているか。神に「つながって」いるか。
そんな思いの中で、アタマに浮かぶのが、「なんか、わからんが…、母おやの、祈り、見た」。母の祈る姿が、今、はっきりと覚醒されてくる。
夫は、病死。息子が1人。その生活苦の中で、母親は、何を祈っていたのか。
オンドルの部屋に、家庭祭壇があって、ご像があって、額縁があった。花も飾っていた。生まれ、育った長崎・浦上から遠く離れた場所にあっても、母は、信仰を怠りなく、朝夕、祈っていた。その記憶が、息子に、鮮明に残っているのが、また、ふしぎやな、と思う。
「なにを、祈っていたのか」。全く分からない。だが、その息子の記憶が「今に、つながる」のは確かだ。今の呼吸に、つながる。それを感じる。
★「祈り、とは、長いーんですね。奥が、深いーんですね」
★今日の昼食の、メニューです。
ごはん。サカナのフライ。ゴボウのおかか煮。浅漬け。みかん。それに、右下の、ムラサキ色のスープ。
これ。何と思いますか。
サツマ・イモの「ポタージュ」です。
初めて、食べた、そんな声。
あつ、熱(あつ)で、そーっと、口に含むと、「ああ、やっぱり、サツマ・イモの味」がした。「なめらか」「色を、飲む」。今日の、幸せに、カンシャ。

2020年11月14日土曜日

地方の新聞の連載記事。シスターの活躍。読む楽しみ。我は、我で良し

毎朝、朝食が終わると、玄関・事務室の横のソファーに座り、シスター景山ひろさんの記事を読むのを楽しみにしている。
「謝罪と感謝、そして共働」。題字が、いいね。今、90歳とか。フィリピンで、貧困者の救済に活躍している。「エライな」思いますよ。記事は、生い立ちから始まって、戦争を体験し、聖心女子大学で学んで、オーストラリアで、シスターを志す修行をする。
戦争中、日本海軍は、オーストラリアの港を攻撃した。国民は恨みに思いますよ。それが戦争が終わると、真っ先に、オーストラリアのシスター達が、原爆の地、長崎へ来て、恨みを閉じ込めて、救済活動に専念した。県内・佐世保に女性教育のための学校を開く。初代校長が、今日の新聞に載っていたシスターです。景山ひろさんも、その任に当たる、で「では、ごめんください」と、また続く。文の始まりは「皆さま、ごきげん、いかかがですか」。書き出しと、シメが、シスターらしくて、いいね。内容は、今のところ、戦争中や、戦後の貧しい時代が記載されている。
★日本軍も、戦争中、フィリピンで、市民を殺傷し、困難に落とした。「謝罪」し、シスターは、今、90歳になって、「償い」を実行している。「西日本新聞」は、九州しか読まれていないだろう。カトリックの教えや、召命の内容を平易に示すこの記事は、全国版で、皆さんに読んで欲しいとさえ思う。読める毎日が楽しみです。
★廊下の掲示板に貼られた「文化祭・書道」の写真と、「絵手紙」の賞状です。景山シスターの活躍を読み、掲示板を見ると、「こんな事で、満足していいのか」と、肩のチカラが抜ける。「もう、限度も、あるしね」
★テレビ『弱さに希望を』に、次の便りがあった。
「修道士、神父、司祭の違いが分からなかった」「小崎さんは、編集者以外にも、どんな活躍をしてきたのか、少しでも紹介があると良いと思った」
「コルベ神父のことも恥ずかしながら、この番組で初めて知った。長崎に来られていたポーランド人の修道士、神父の方々について、もっと深く知りたいと思います」
「カトリックというものが日本においては戦国時代からの歴史的な背景から、圧倒的にスペイン、オランダから影響が強いものと信じていたが、ポーランドの宗教家から、これほど影響を受けていた人々がいたことを知った」
★景山シスターの活躍にしても、オーストラリア人シスター達の奉仕にしても、ポーランド人修道者の生き方にしても、「謝罪と感謝、そして共働」に、人間には、弱さが有っても、希望があるんですね。ホームの生き方にも、意味はある。

2020年11月13日金曜日

少年の頃の純粋な気持ち。そういう時代もあった。早く逝った神父を想う

終戦、間もなくの話です。トマが小神学生(高校生)の頃、親友に「山頭栄」という中学生がいた。
平戸の出身で、動作は、やや鈍いが、素直で、清い心を持っていた。学習で、分からない所があると、トマの机に来る。いつしか、仲良しになって、2人で、運動場の土手に並んで寝ころび、夢を語った。「スズメ」の本を読んだこともある。
栄くんが、雲仙に旅行に行ったとき、先輩のトマにあげるのだと、撮ったのが、左の、この写真です。左側が、山頭栄くん。(写真の裏に、昭和23年とある)
トマは、代わりに、運動会の賞品でもらった、しゃれた、アメリカ製の「ハーモニカ」をあげた。彼との友情は、その後もつづいた。
★この写真の裏には、昭和33年、とある。上の写真から10年が経過している。山頭栄さんは、優しい心を持ちながら、スポーツ・マンでもあった。彼には、兄さんがいた。兄は、イタリアに留学して神父となる。栄さんも、イタリアに留学する。憧れの神父になった。トマと、栄神父の友情は更に深まった。
栄神父は、ブラジル宣教を命じられて、ブラジルへ渡る。以来、30年間、最後までブラジルで活躍し、人気があった。
4年ごとに、帰国の休暇がある。日本に帰ると、トマに会いに来た。友情は変わらない。ある年は、2人で長崎市のロープウエイで、稲佐山に登り、市内を展望した思い出もある。
ある年の休暇で、診療検査を受けると、腹部のガンに罹っているのが分かった。日本の病院に入院した。ガンの進行は早く、スポーツマン神父も、チカラ尽きた。
病院のベッドで、兄・神父と、一緒にミサを挙げ、逝った。
★親友なる「ステファノ・山頭栄・神父」。今日が、命日だった。享年、58。若くして、神に召された。亡くなって28年になる。
★死者は、消えこのたのではない。トマが生きる間は、栄神父は、生き続ける。
★小神学生の頃、栄は、トマのこと、「兄さん」と呼んだ。昭和24年10月4日の日記。「アシジの聖フランシスコの祭日に、栄は、私に、手紙を書いた。この間は、為になる長い手紙、心から感謝します。私と、兄さんは、水とメダカのようなものです。水が無くなると生きて行けない。兄さんのために祈ります。今からも、天国へ行ってからも祈ります」
★むかしの、古い日記を探して読んで、薄れたインクの跡に、「ああ、あの少年の頃は、純粋だったのだな、ああいう夢多き時代もあった」と、今日は、懐かしい日となった。
★栄神父のお兄さんの神父さんから、『こころの時代・弱さを希望に』を見ました、とハガキを頂いた。

2020年11月12日木曜日

小さな「バナナ」。ボクも、食べたい。他人と比べず、自分らしく生きる

食事のとき、栄養士さんが、バナナの束を抱えて入って来た。「皆さん、珍しいバナナよ。鹿児島から送られてきました。1本づつ取ってください」。食卓をまわる。小さい、かわいいバナナを見て、笑いが起こり、賑やかな声も上がる。
トマの食卓にも、来た。それぞれ、もぎ取っていたが、 トマは、パスだよ。バナナは食べない。カリウムの量が多い。腎機能を気にして、カリウムは正常値に抑えている。
「でも、食べたいな」の思いは、ある。
食堂を出て、エレベーターの所まで来ると、栄養士さんが、残りのバナナを抱えて介護の詰所に入るのに出会った。「ボクにも、くれんね」と、ひと声、かける。栄養士さん、素直に応じてくれたのが、このバナナです。ホント、小さくて、かわいいね。小粒でも、美味しい味は、つまっている。
★心して、腎臓は大事にしています。22歳、右の腎臓を摘出。あれから70年、1つの腎臓でイノチをつないできた。自分ながら、ふしぎだな、と思いますよ。腎臓で、致命的に成りたくないが、やはり歳と共に腎機能は低下し、今は、ギリ、ギリの横ばいの線で生きている。
★「他人と、比べるな。自分らしく、生きよ。それで足れ」
★日記は、600人ぐらいの人が見ているようです。日本は、もちろんだが、アメリカ、ドイツ、韓国、カナダ、アラブ首長國連邦、フランス、ポルトガル、サウジアラビア、イギリス、等々の国が表示されている。それらの人の事に思いを馳せると、美しい風景や、おいしそうな料理、かわいい動物など、載せたいな、と思うが、ホームに居る身であれば、実現は難しいな、と感じる次第です。

2020年11月11日水曜日

イノチあるモノは、芽生え、花ひらき、やがて枯れる。自然を受け入れる

花は、野山に、また色々な場所に、飾られて、愛でられる。
ホームの隣、湯江教会の祭壇に飾られる「生け花」は、格別の雰囲気を与えてくれる。時折、日記に載せるので、読む人も、楽しみに見てくれているでしょうと、思う。
花は、咲き、やがては枯れる。それが自然の成り行きだ。イノチを全うする。
「老いて、枯れて、死にたくない、とは言うな。イノチあるモノは、生まれ、芽生え、ある一定の期間、生きて、やがて死ぬ。ありふれたことを、素直に、受け入れる。心を、さわがせるな。生きたことを、有り難いと、思え」。黄色い花々は、そう語っている。
★冬の支度か、ホームの庭の赤い建物に、ペンキを塗っている。パソコンを打ちながら、ベランダの外を眺め、「ごくろう、さん」とねぎらう心情になる。
携帯に、2本の声が入った。
1つは、傾聴ボランティアの女性からの予約だった。
もう1つは、「面会に、来たい」と、お願いの声。また何か、起こりそうな気がする。こういう展開が生きている実感なんだろう。「未来は、アレルヤ」。そう有りたい。
★午後から、インフルエンザの予防注射があった。職員、入居者、皆さんが食堂に集まった。顔を知らない職員さんが、多々居る。ホームの色んな場所で働いておられるのだろう。
昼食のとき、事務長さんから、新しい男性職員の、紹介があった。若い男性が、進んで介護職に就いてくれるのは有り難い。雰囲気も、盛り上がりそう。 

2020年11月10日火曜日

書道教室。墨字に親しむ人たちの集い。白い和紙に、黒い墨字。癒される

町の文化祭は終わった。
先生のお陰で、「賞」も頂いた。
ホームで、書道教室があった。
先ずは、先生に、お礼を申し上げた。「また、来年も、がんばりましょう」のお言葉。
今日、書いた墨字です。
「我思古人=我思う古人=昔の人を追憶する」「立冬=11月」「万古高風=ばんこのこふう=古代の高尚な風格」「雪蛍=ゆきほたる=11月」。自分の心境を選んだ。
★書道教室には、10人が向かい合って、並んだ。墨字を書く気持ちは、いっしょ。それぞれに、達筆を奮っている。
自分の人生を背負って、書いていると思ってよいだろう。白い和紙に、黒い字。のびのびと筆を動かす。なんだか、心も落ち着く。
指導する先生の熱心さも伝わる。
ジョウズも、ヘタも、ない。
書くのが、人生、楽しいんです。
ホーム生活の慰めにも、なる。
字を忘れない。ボケ防止にも、なる。
★午後から、歯医者さんへ出かけます。ホームの車で、送り迎えしてもらえる。歯は、自分の歯。点検、掃除、治療、こまめに行なって、歯を大事にしよう。帰りは、遅くなる。

2020年11月9日月曜日

日本人の心からアメリカ人の心へ、聖コルベの愛は、つながる。喜び感謝

荒木先生ご夫妻が、面会に来られた。
トマの「長崎のコルベ神父」(初版本1983年5月発行)の英語訳を完了してくださった。英語訳は、アメリカ・ワシントンのケビン教授に送られ、訳は間もなく完成する。
荒木先生は、長崎純心大学・人文学部教授。ケビン先生は、ジョージタウン大学・東アジア言語・文化学部・日本学の教授。2人の先生方は、お互いに親睦・交流がある。
日本人の心と、アメリカ人の心の「つながり」で、コルベ神父の英語本は完成に近づいている。
★ケビン・ドーク先生に、日本語でお礼の手紙を差し上げた。日本語で返事があった。
「修道士から直接お手紙いただくとは夢にも思わなかったです。小生の書斎には「十七歳の夏」「身代わりの愛」「長崎のコルベ神父」それに「ナガサキ・ノート」(朝日新聞)もある。
2015年、1年間、研究のため京都に滞在しました。その間、長崎へ参りました。荒木先生に会うため、聖母の騎士に巡礼する目的でした。コルベ神父さまの居室です。
★2015年3月8日、聖コルベ記念館には、誰も居なかった。小崎修道士にも会う事が出来ませんでした。しかしコルベ神父さまのお部屋の机を前に座る事が出来て、本当に光栄でした。
巡礼者名簿に名前を記入した時、びっくりしました。次男エミールが南山大学に留学する時、クリスマスの休みの間に、この同じ場所・コルベ神父さまの机に来て、写真を撮っていたのです。2012年12月16日です。その日、小崎さんに会ったかも?
★荒木慎一郎先生、有り難う。ケビン・ドーク先生、有り難う。こうした皆さんのお陰で、「長崎のコルベ神父」は英語訳の完成に向かって、進んで行きます。最後に、ケビン先生の手紙にあった。「本の英訳原稿が最終段階に入りました。今年(コルベ神父東洋宣教)90年の記念年の間に、英訳版を出版できるように全力をあげてまいります」
★小崎修道士にとって、来年2021年も、喜びの年になるでしょう。マリアさまの導きに感謝です。 

2020年11月8日日曜日

仲間だよ。同じ環境に生きている。心の優しさ、単純さに、魅せられるね

やあ、こんにちわ。

同じ、老人、仲間になったよ。

右は、大きなカラダのモリさん。

左は、優しい心の浜サキさん。

ウソがない、ダマしがない、まじめ過ぎる。敬礼するよ、感心するよ。

真ん中の、トマも、老いたな。

家族なし、手をつないで、キズナあり。

★その日を、精いっぱい、生きれば、それで、よし。ふ、ふ、ふ、人間って、そんなモンよ。2人とも、入院の苦難を味わったが、元気になって、よかったよ。安心した。「トマさん」「トマさん」と呼んでくれる。むかしから、知っているモンな。
★誕生会では、浜サキさんは、大きな声で、童謡を2番まで、歌って盛り上げた。才能があるばい。モリさんは、定番の「酒は、飲め、呑め」を歌ったが、途中で、どうしても音程がくずれて、酒は流れてしもうた。それでも、よし、よし。 

2020年11月7日土曜日

誕生会だよ。「出し物」は何んね?「不満」を消す「まとい」や。それッ

月の初めの土曜日は、昼食に、楽しい「誕生会」が行なわれます。
その時、出るのが、職員さんによる「出し物」です。これは、もう何十年とつづく伝統がある。3人から、4人、多い時は、6,7人の割合で、出番が回ってくる。
今月の「出し物」は、火事場で活躍する「まとい」でした。「まとい」は、江戸時代に、町の火消しの各組が用いた旗印です。組を表わす「アタマ」があり、垂れさがる房を回転させる。
「出ータッ」
「め」組だ。「め」組だぜ。「め」組よ。
「ナンの、メ、だ?」
「めぐみ、多い、人生さ」
「めぐまれた、日々さ」
「目の輝やきを、失うな」
踊るよ、オドル。音楽に合わせて踊る。
「火のヨージン」が、真っ先さ。
誕生会だよ。今月のお祝いは、5人。
踊る3人、バラ、バラ、だ。
写真を撮るのが、難しい。
介護する人、洗濯する人。
若いお姉ちゃん、いや、いや、お母さん。
家族的な、面倒を、見てくれる。
若いチカラに支えられた、老人たち。
不満も、温かい心で、消える。
「そうだ、火消し、とは?」
「不満や、落ち込み、消す事や」
生きる事に、意味があり、価値がある。
オシメに始まり、オシメで終わる人生。
それでも「よかった」と言えるのさ。
今日は、楽しい誕生会でした。
★「親切で、優しくて、困っている人を見ると、ほっとけない人です。世の中には、そういう人もいる」

2020年11月6日金曜日

町の文化祭。「書道」でもらった奨励賞。賞状の和紙は、この町の文化紙

デェーンと、構えた建物。威厳あり。
トマが住む高来町の役場です。
この建物を見ると、何やら陸軍の司令部を連想させる。そんな気持ち。
あまりにも建て方が、デカ過ぎる。建てた、すぐの後、諫早市に合併された。哀れ、この建物は「支所」になる。
毎年、文化の日から、町の文化祭が行なわれてきた。ホームからも、「書道」と「絵手紙」を出展している。日頃の、成果だ。
コロナの関係で、展示は小規模となる。
今日、ホームから、展示を見に行った。
あった。書道クラブのコーナーだ。
先生の指導が、いいので、熱が、入る。
ㇳマの字は、我流です。
楽しみながら、筆を運んでいる感じ。
トマの作品に、赤札が付いていた。
「竹下流清泉」。(ちくかに、せいせん、ながる=竹のもと、清らかな泉が、そそぐ)
「特別奨励賞」をいただいた。賞状と、楯(たて)を、有り難く受け取った。

この賞状の「和紙」に値打ちがある。
歴史を辿れば、江戸時代の末期か、佐賀の職人が、この地を通り、水の清さに、ほれて、和紙作りを、伝えた。
川ぞえに、100軒ほどの長屋がつづき、手すきの、変色しにくい、貴重な産業として、栄え、有名となった。戦後、途絶えていたが、また「紙工房」が復活し、活躍している。高来町には、著名な書家が出ている。小・中学生から、書道熱が盛んです。

展示場にある「絵手紙」のコーナーです。トマの絵は、下の、左側に、ある。
思い、思いの、絵を見る楽しさ。
時々の、絵だが、皆さんに見てもらうのは、小さな喜びでもある。生きてーる、の感じだね。有り難いね。「特別奨励賞」は、お情け、だね。もう、3、4回になるね。コロナがなければ、講堂で授賞式が行なわれる。まあ、ホームに生きて、これも楽しみさ。
ライ年の文化祭まで、元気で居りたいね。