毎朝、朝食が終わると、玄関・事務室の横のソファーに座り、シスター景山ひろさんの記事を読むのを楽しみにしている。
「謝罪と感謝、そして共働」。題字が、いいね。今、90歳とか。フィリピンで、貧困者の救済に活躍している。「エライな」思いますよ。記事は、生い立ちから始まって、戦争を体験し、聖心女子大学で学んで、オーストラリアで、シスターを志す修行をする。
戦争中、日本海軍は、オーストラリアの港を攻撃した。国民は恨みに思いますよ。それが戦争が終わると、真っ先に、オーストラリアのシスター達が、原爆の地、長崎へ来て、恨みを閉じ込めて、救済活動に専念した。県内・佐世保に女性教育のための学校を開く。初代校長が、今日の新聞に載っていたシスターです。景山ひろさんも、その任に当たる、で「では、ごめんください」と、また続く。文の始まりは「皆さま、ごきげん、いかかがですか」。書き出しと、シメが、シスターらしくて、いいね。内容は、今のところ、戦争中や、戦後の貧しい時代が記載されている。
★日本軍も、戦争中、フィリピンで、市民を殺傷し、困難に落とした。「謝罪」し、シスターは、今、90歳になって、「償い」を実行している。「西日本新聞」は、九州しか読まれていないだろう。カトリックの教えや、召命の内容を平易に示すこの記事は、全国版で、皆さんに読んで欲しいとさえ思う。読める毎日が楽しみです。
★廊下の掲示板に貼られた「文化祭・書道」の写真と、「絵手紙」の賞状です。景山シスターの活躍を読み、掲示板を見ると、「こんな事で、満足していいのか」と、肩のチカラが抜ける。「もう、限度も、あるしね」★テレビ『弱さに希望を』に、次の便りがあった。
「修道士、神父、司祭の違いが分からなかった」「小崎さんは、編集者以外にも、どんな活躍をしてきたのか、少しでも紹介があると良いと思った」
「コルベ神父のことも恥ずかしながら、この番組で初めて知った。長崎に来られていたポーランド人の修道士、神父の方々について、もっと深く知りたいと思います」
「カトリックというものが日本においては戦国時代からの歴史的な背景から、圧倒的にスペイン、オランダから影響が強いものと信じていたが、ポーランドの宗教家から、これほど影響を受けていた人々がいたことを知った」
★景山シスターの活躍にしても、オーストラリア人シスター達の奉仕にしても、ポーランド人修道者の生き方にしても、「謝罪と感謝、そして共働」に、人間には、弱さが有っても、希望があるんですね。ホームの生き方にも、意味はある。
フィリピンが地政学上も、国際関係上も
返信削除難しい立場にあり、その他の国内的事情も
絡んで(そこを民度という表現でくくるのは
辛いところではありますが)、今なお真の
自立国として立ち上がれず、どこかに依存的な
存在のままあらねばならないことにも
神の采配があるのだとしたら、もてる国日本に
暮らす日本人として、できることは何かを
考えるのは、自然な流れなのかもしれません。
がぶらってぃの学校時代の友人に、シスター
テレジア海野が始められたバギオでの活動を
支援している方があります。
1900年頃から入職した日本人労働者や
学校関係者の子孫は、第二次世界大戦後、
迫害のために世間から隠れて暮らすうちに
極貧に陥り、教育を受ける機会を失ったまま、
貧しさの悪循環の中で不利な立場で生きていた。
これではイノチを活かしきれないと、自立に
向けた具体的な支援をされたシスター海野の
活動を引き継いでいます。
主に就学支援を行い、今では教育を受けた子の
中から建築士や弁護士、医師などが出ていて、
これからは、日本で働ける実務者の育成と
日本での活躍の場づくりにも積極的に
取り組みたい考えていると聞いております。
国内にも、考えることを止め、孤独に蝕まれて
いる人があります。背景にある傷、貧困、
経済的問題がなくとも繋がりを断たれた孤立。
気付いた人、見えた人が、見えたところから
何かを始めるだけで、救われる人がいることを
意識していたいと思います。
同時に、これまで何となく感じ取っていながら、
気付いていながら勇気を出せずに十分
関われなかった人達が、体験から学び、
今は幸いのうちに進んでいるよう強く願います。
力を出すべき時に、常に勇気を持って
発動できるよう務めます。それが
正しいカトリック信徒としての態度でしょう。
勇気の示し方を知らせてくださったトマさん。
今日もジンクーエン。
追)朝の玄関付近は、冷えませんでしょうか。
返信削除新聞をご覧になる際には、寒気に
あたりませんように。室内の温度変化には、
くれぐれもお気を付けくださいませ。
どうぞご安全に!