長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年11月30日金曜日
無事に帰る。神さま、ありがとう。退院は気持ちがいいです
2012年11月29日木曜日
病院へ。今夜は入院。3ヶ月毎のステント管の入れ替え
2012年11月28日水曜日
オバマ温泉から帰る。途中で、幼稚園の神父さんを訪ねる
2012年11月27日火曜日
2日目。天草へ渡る。海の風は気持ちが、いい。素敵な島だよ
2012年11月26日月曜日
オバマ温泉へ。死したーの言葉と、湯に、ゆら、ゆら、葉っぱ
2泊3日で出かけます。途中で、シスターの修道院へ寄りました。畑の仕事を終えたのか、1人のシスターが姿をあらわした。黒い衣服に、アタマには、大きな円のヒサシがついた帽子を被っていた。「どこから?」と聞かれたので、「長崎の聖母の騎士の小崎です」と、はっきり言った。よく聖コルベ館でも聞くが、合格の返事は余り無い。すると、シスターが、しげ、しげと見ながら、「ああ、よかった。お元気そうね。ああ、よかった」と大いに喜びを表すではないか。ポカンとなった。温かい思いが伝わってくる。瞬間に思った。ああ、このシスターは騎士誌を読んでいるのだな。最近は、具合が良くないと書いてある。なのに、こんなにゲンキなの。「ああ、良かった。安心した」と、こうなる。それが伝わってきた。思ったね。院長さん、校長さん、偉いシスターは毎日、忙しく、ヒマもないだろう。影で、修道院を支えているシスターは1日の仕事が終わって、祈りも終わって、少々の時間がある。夜のひと時、テレビも見ないし、安価な、騎士誌を手にとって、記事を読んでいる。小崎修道士の記事も、そう大したことは書いていないが、時には面白いこともある。「心配していたんだよ」。ああ、そうだ、このようなシスターが他にも居て、読んでいるかも知れない。ありがたい。少しは、ましな事を書くようにしよう。オバマ温泉の定宿、富士屋さんに着くと、露天風呂に早速、入った。1枚のハッパが、湯に、ゆら、ゆらと、ゆれているではないか。「ろてんぶろ、浮き沈みする、もみじかな」2012年11月25日日曜日
バッテン、ナガサキ、何とかの町。明かりも寂しくなったよ
2012年11月24日土曜日
皆さんから声をかけられる。ダイジョウブですか?ええ、大丈夫
2012年11月23日金曜日
修道会の金祝、銀祝。見知らぬ人の祈りのおかげですてくれた
2012年11月22日木曜日
聖女セシリアの記念日。神父さんのお姉さんの名前の日
2012年11月21日水曜日
忘れずに、訪ねてくれた家族。困難にめげず、幸せに
2012年11月20日火曜日
1年前は、シャキッとしていたな。老いに、負けるな
もう、夕方の4時半だよ。1日が過ぎるのが、ほんとに早いね。聖コルベ館で、あれや、これや、しているうちに、もう、この時間になった。何を書けばいいのか。迷いました。ふと、去年の今日、11月20日は何をしていたのだろう、そう思って、写真の積み重ねを見ると、この写真だよ。カッコウいいじゃないか。白内障の手術の後で、視力がよく見えるようになったので、メガネ屋さんで、新しいメガネを作ったところでした。さあ、世の中を、良く見るぞ。そんな気持ちだったかな。あれから、1年。ああ、いろいろ有った。考えただけでも、身震いするよ。入院、6回だからね。それでお、イノチ、もらった。ありがたい。過去の苦しみ、もう1度って、そうね、ホンネを言えば、もう、ケッコウ、そんな感じです。2012年11月19日月曜日
イシトク神父さんの家族の話。聖コルベ館へ来て、熱く語った

イシトク神父さんが、家族の写真を見せてくれた。上は、両親の写真。助祭になったときに写した。母親は、6年前に、亡くなった。父親は、3年前に、亡くなった。今度、ルーマニアを出てくるときには、もう両親は居なかった。寂しいよ。その気持ちは、分かります。下は、双子のお姉さんと、ダンナさんと、子供たちです。彼が、司祭になったときのお祝いの写真です。お姉さんが、背が高い。彼は、ほんとに背が低い。「生まれたときは、どうだった?」「生まれたときは、自分が、2.900g。姉が、2.800gあった。自分の方が、少し、おおきかった。13歳のときから、どういうわけか、背が伸びなくなった。兵隊検査のとき、150cm以下は、アウト。彼は、149cmあった。本当はアウト。しかし隊長が言った。お前が希望するなら、入れるぞ。オレも男だ。入隊したい。それで1年間は兵役を務めた。司祭の道に進むとき、背が低いと、許可にならなかった。しかし後で。許可が出た。アジアに宣教へ行くのが、夢だった。それで、日本へ来た。司祭になって、15年。もう、日本で、宣教したい」と、聖コルベ館へ来て、家族の写真を見せて、熱く語った。「人生には、3つの、Sが必要だ。サルーテ(健康)。シェンツア(教養)。サンチティタ(聖性)だよ。これは神学校で、教えられ、目標にしてきた。社会でも、同じさ」「応援しているから、日本語、がんばれな」。43歳、まだ若い。これから、充分、働けるよ。
2012年11月18日日曜日
ルーマニアのオミヤゲだよ。ありがとう。素敵な織物だ
2012年11月17日土曜日
相棒の神父さん、ルーマニアから来たよ。仲良くしようぜ
2012年11月16日金曜日
千客万来。いそがしい。カラダは1つしかないよ。イラッシャイ
2012年11月15日木曜日
声に、ゲンキあり、カオ色も、いいよ。カラダの調子どう?
いま、大事にしているものは、何ですか?人によって、いろいろ、あるでしょう。私は、健康だね。1日、1日、生きているわけだが、やっぱり心の片隅で思うのは、長生きはしたい。生に固執している。みっともないですかね。生きておれば、楽しいことが、あるからね。何事も、あんまり、とらわれ過ぎると、悩みが、多くなる。ものは、簡潔が、いい。沢山は、持たないようにしている。部屋には、道具が、そんなに多くは、ない。あの人も、この物も、頼りに、しない。自分は、自分です。短い人生ですね。我が道を行きます。固執から、離れると、楽になります。でも、やっぱり、健康は、ほしい。幸い、最近は、カラダの調子は良いようです。暦をめくる中で、生活だけを、考えるか。一歩、踏み込んで、人生を、考えるか。どっちですか?あくせくと、毎日を生きているわけです。もっと自分を見詰めよう。声に、ゲンキがある、と言われる。カオの色が、いいね、と言われる。大丈夫じゃないか、とも。これまで病気や、ガンと言われて、落ち込むことも、あった。真剣になるからね。イノチのことだから。その苦難を、どのように受け止めるか、です。それが人生を考えることです。考え方で、心も、人生も、左右される。「み旨のままに」と、本当に受け止めることが出来れば、恐れはないでしょう。不安にも、ならないだろう。考えてみると、ボクの人生、経験したキーワードは、人間の本性の、助けない、困難が来れば逃げる。敵なる人間は許さない。孤独、病気、ガン、愛と、イノチ。ポーランド、ジンクーエン(ありがとう)だった。2012年11月14日水曜日
横浜から女子高校生たち、200人が、コルベ神父の愛を学ぶ
2012年11月13日火曜日
歳をとったぞ、もう、ガミ、ガミ、言うな、ゲンキでな
気持ちは、そう、なんですね。この歳だから、難しいこと、ゴテ、ゴテ、書きたくないよ。それより、かわいいこと、優しいこと、うれしいこと、そんなことを書きたいと、思うよ。だが、これが、わりと難しい。そんなアイデアは簡単には、浮かばない。この間、幼稚園のかわいい子供たちが来て、アメを配った。「こっちの、カゴから、1つ、取りなさい」「あっちは、2つ、ね」。3歳児の年少組になると、これが簡単には出来ない。マゴ、マゴするんですね。また、それが、かわいいところに、なる。いま、悩んでいる。騎士誌の原稿、2013年、来年の1月号を書かねばならないが、「信仰年」ですよ。何を書くべきか。迷っている。1月号を書くと、12月まで連載しなければ、の考えになる。85歳だよ。運転もヤメ。原稿も、そろそろヤメ。それで、いいのでないか。たいしたことは、書いてはいない。難しいことは、書けません。どう、すべきか、悩んでいるところです。2012年11月12日月曜日
大挙して、巡礼グループ来る。全く、珍しい出来事だよ
2012年11月11日日曜日
騎士誌を読んでください。ルルドの水で、ゲンキになった
聖母の騎士誌の12月号に原稿を書きました。今年は、タツ年で、正月には、今年は自分の年なので、がんばるぞ、なんて決心していたのに、ニンゲンって、なにがあるやら、わからない。今年は、6回も入院して、苦しみをなめ、コテン、コテンにやられました。苦しみも、稔りのうち、と言うけれど、実際、現実に苦しみのドン底に落ちると、美辞麗句は通じない。それでも、神の御手に快く委ねることにしました。どうも、水が良くなかったのか。市販の水を買って飲み続けていたが、すっかり止めて、ルルドの水を飲むのを、一点張りで頑張った。おかげで、全く調子がいいのです。ゲンキが、モリ、モリ、出てきたのです。ルルドのお水は、「タダ」だしね。こんなに、いい水は、ない。まろやかで、口あたりが良くて、匂いもない。水は、ドン、ドン、出ているしね。「マリアさまのお恵みだよ」。素直でなかったのが、玉にキズ。これからは、すっかり改心しました。さて、原稿の記事ですが、好きな言葉が、5つ、ある。①生かされて、今日も、祈る。②「主よ、ここに居られますか」。③苦しみは、神の喜びに、変わる。④「神は愛なり。イノチなり」。⑤受ける恵みに、与える愛、です。2012年11月10日土曜日
セルギウス修道士さんのゆかりの地にお花を飾ってください

2012年11月9日金曜日
ゲンキが出るぞ。子供たちのパワー。仲よく、するんだよ
2012年11月8日木曜日
中学生が理解できる言葉で語ろう。何が、インパクトになるか
2012年11月7日水曜日
聖母の騎士。ああ、あそこですか?山ですね。コルベ神父の聖地
2012年11月6日火曜日
むかしの思い出。1人旅。長崎ベンで、東欧ぬすっ人をゲキ退
思い出した、むかしの話しですけどね。ヨーロッパの列車には、ローカがあって、各部屋があるでしょう。駅に、列車が着いたので、ボクが乗った。すると両脇から、少年とも、青年ともいわれぬ男が入ってきて、はさみ打ちになった。ボクのカラダには、カメラ、バッグが下がっていた。金目のものだからね。地元の人じゃない。他国から流れて来ているジプシーかな。ボクのソバにきて、奪い取ろうとする。ゴウトウだよ。取られたら、タマランね。お客は目に入らなかった。荷物を奪われたら、アウトだからね。思わず、叫んだ。身を守る方法だった。「ナンバ、スット、カッ」(なにを、するの、かッ)。長崎ベンは、きけたね。大声で、わめいたので、強盗は、びっくり。オジケずいて、急いで、降りて、逃げて行った。「ざまー、みろ」。安泰だった。1人旅は、恐ろしい。油断が、ならぬ。一瞬、何が起こるやも知れぬ。それにしても、強盗たちは、ナンバ、スット、カッは、なんて聞こえたんだろうね。よく聖コルベ館に、東欧1人旅をしてきた、という人が見学にくる。最初に聞くのは、「1人旅ねえ、ダイジョウブだった。スリや、ぬすっ人に会わなかった?」。心配になって尋ねるよ。「大丈夫でした」「ああ、それなら良かったね」。旅は危険がイッパイだよ。2012年11月5日月曜日
子どもの喜ぶ品々を買った。ヤル気が出てきたぞ。構えの姿勢
2012年11月4日日曜日
楽しい計画を1つ持つと、ヒトは明るく生きられる
2012年11月3日土曜日
墓参り。誰もが、老いて、病んで、死んでいく。覚悟あれ
2012年11月2日金曜日
長崎のヒトは皆、親切ですね、と旅の女性はほほえんで言った
50代の女性が1人で、聖コルベ館へ見学に来た。「2泊3日の旅です。あした、帰ります」。長椅子に腰掛けて、旅をねぎらうと、女性が言った。「長崎のヒトって、みな親切ですね」「え?どうして?」。女性が言うには、きのう、長崎へ着いて、いちばん最初に、かの有名な「チャンポン」を食べた。店に入って、「おいしかったですよ」。サイフをあけて、チャンポン代の支払いに、1万円札を取り出した。店の人に渡した。すると店の人、「1枚、くっついていますよ」と、1万円札を戻してくれた。新札だったので、重なっていたらしい。「戻ってきて、ああ、ありがたい」。女性は、東京だったら、こうは、行かなかっただろう、そのように、つぶやいたようだった。旅の初めだからね。女性は感激したわけだ。「長崎のヒトは、みな親切ですね」と、こう、なった。「ああ、よかったね」と思わず、よろこび、ほほえんだ。1人旅が、皆というわけではないが、背中に重荷を抱えたヒトもいるだろう。そういう人が旅の合間に、心が折れては可哀想だよね。長崎のチャンポンは本当に、オイシイ。旅の女性との話は、長々とつづいた。いい思い出つくって、帰ってください。2012年11月1日木曜日
11月が始まる。さあ、これから冬の期間、4ヶ月頑張る
長崎・黙想の家の食堂にあった小さなご像。ふと、目にとまった。さて、今年は、タツ年で、私の年。がんばるぞ、と張り切っていたら、6回も入院して、ダメージを受けた。やっと、なんとかして、立ち直った。そして、11月1日を迎えた。いまの心境は、「11月」「12月」「1月」「2月」の、4ヶ月を、頑張りたい。冬の期間にあたる。老人は、寒さに弱いから、この期間を、なんとか、ガマンして、乗り越える。なぜ、4ヶ月かというと、4ヶ月経った、3月1日は、誕生日で、85歳になる。1日、1日、イノチを与えられるのは、うれしいです。生きている。呼吸している。喜びを感じる。昨日は韓国人の巡礼者たちが、閉館まぎわに、夕暮れに、27人来た。ガイドさんは「自分が初めてです」という。初めて来て、ガイドが、なんで出来るのか、と少々、クビをひねったが、手助けして、説明して、ガイドが訳した。普通は、説明はしていない。ビデオも見せて、全員で写真も撮って、最後に、歳を言うと、みな、手を叩いて喜んでいた。みなが帰った後は、満足した気持ちになった。「それで、いいーのだ」。生きているから、よろこべる。イヤな気持ちも、キズつき、ツマズクこともあるが、また、いいことも、あるよ。