温泉の中日、天草へ。フェリーで鬼池に着くと、親友の男性が迎えに来ていた。終戦直後、聖母の騎士でいっしょだった。司祭になる前に、社会に戻った。彼の車に同乗して、天草の道を走る。海の風が心地よい。「神学校に残って、良かったのかのか、なあ」と私。修道士になっても、いろいろ悩みはあったからな。この道で、良かったのか。悩んだ時期もあった。特に、歳を取ってからね。それに答えて、同じ歳の彼も言った。「社会にあっても、いろいろ、あるさ。いい会社につとめ、幸せな結婚をしても、ニンゲンは変わって行く。幾ら懸命に働いても、家庭のどこか気持ちが違ってくると、ボタンが掛けはずれだよ。ハタンしてしまう。一流の会社に勤めても、家族が幸せにならなければ、「なんの、ために、はたらく、のか」。疑問だけが残り、人生は悲しいし、寂しいよ。1度きりのジンセイだからね。誰もが幸せにならなければ、意味が無い。まだまだ、やり直しも出来ると思って、新しい土地で、もう1度、頑張ってみよう。そんなハナシを延々と熱っぽく語り合った。こんなに素晴らしい天地の天草に来て、知り合いに出会うのは、ありがたい。これからも縁をつづけて行きたいと願った。フェリー乗場で、キップを買ってくれる。コートを脱いで、私にくれる。「オイ、オイ、こんなものまで、いいのかよ」「2枚、もっている。小さくなったから」。みやげに、手製の、つるし柿、カンコロ・もち、など呉れた。「ありがとうよ」。ああ、楽しい1日だった。
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