先ず、報告が、有ります。
昨日の日記に書いた(86)数字のナゾ。夜、確かに『夢』で見た。起きて、メモした。「苦しい時、1つの番号を、与える」。確かに、聞いた。『ゆめ』の中で。私には、意味が全く、分かりません。それに、ついて、2つの反響がありました。
【その1の反響】
★『なおみ』さんから。日記のコメント。(同じ名前の知人が居たのを思いだした。それで、次の返信を書きました。『非常に、びっくり、しました。意味、教えてくれて、ありがとう。うれしいです。あなたの幸せ、お祈りします』
『なおみ』さんからのコメント。「エンゼルナンバーです。意味は『あなたの祈りが届けられました、です。いい『ゆめ』ですね。いいこと、ありますよ」と、ありました。『なおみ』さん、ありがとう。
【その2の反響】
★ところが、『なおみ』さんへ返信の直後、今度は、ホームの瀧神父さんから携帯に音。「トマ、(86)ネ。あれ、私が、生まれた家の番地だよ。鹿児島県喜界島、86番地で誕生した。読んで、グッと、胸に、来たよ」「エㇸーぇ、そーなの」。これ、また、びっくり。1つが、あって、2つが、ある。ふしぎじゃないですか。近くの、親友、神父さんも喜ぶなんて。瀧神父さん、ありがとう。
★大型スクリーンの映画を見て、同じ建物の店の『のれん』を分ける。注文する。長い時間、待つ。牛肉屋の息子だから、味に、こだわる。来たーッ。店では、重箱だから、少し大きいかな。肉と飯の間に、キャベツが敷いてある。これ、食べるのが休みの日の楽しみだった。それが、今は、遠くに、行ってしまった。『別れて、イッ、チッ、チ』。そんな歌が、あったな。とにかく、遠くに、離れて行った。思い出だよ。
★そこで、ここで言いたい、今日の課題がある。食べた、飲んだ、笑った、その時に、今の、老いのトマ自身を、考えたことがあったか?到底、考えられない。老人は絵本の世界。「花咲き爺さん」「うば捨て山」などの介域。未来の自分なんて。でも『つながり』が有るんだよ。そこで、だ。もっと、老人の思い、悲しみ、苦労、考え、慰め、励ませ。それを言いたい。
★「あの、写真だけ撮った『牛肉弁当』、どうなったか?」って。勿論、食べるゲンキはない。あの弁当と同じ箱が、も1個あって、キャベツ、長崎野菜が納まっていた。もったいない。他人に、くれて、やったよ。惜しかったな。
★『牛肉弁当』を買って、病院受付に預けたのは、病院近所に住まいが千草さんだった。毎晩、夜、7時に『おやすみ』挨拶が、携帯に入る。「どう、やった。あれ」「いい写真、撮れたよ、ありがとう」「ウチも注文して、食べたのよ、肉は、ウラに、もう1枚あったろー」「いや、そりゃ、知らん。箸付けずに、渡した」
★【ホスピス病棟で、考える】
ホスピスに入って、私のアタマは、サエて来た。スッキリ、ハッキリ。こんな、さわやかな心になったことは、ない。語りたいことは、ホンネ。大きな声で、じゃべるも、こころ安らぐ。
★【昨日の閲覧者数=統計】1512。