【ベッドの上で考える=小さな黙想】
★人生の終末、オレは今、なぜ、ホスピス病棟で、苦しむのだろう。
★ふと、ふり返れば、オレの人生には、沢山の『壁=カベ』があった。カベに、ブチ当たる。すると、そこには、必ず、助ける人が居た。また進むと、カベに突き、当たる。そこでは『善きサマリア人』が、助けた。その連鎖があって、今、私が、ここに居る。
★人は、なぜ、苦しみ、悩むのだろう。
★「苦しみ、8割、楽=ラク、2割」と、病める若者は、つぶやいた。
★「イヤ、イヤ、苦しみ、苦しみダケ、ですよ」と、目のキレイな、ミロハナ神父。
★「わからん、ワカラン」と、若者。
★「祈り、愛、そして、清さに、生きる。だが、清さ、これが一番、難かしい。だから常に、『回心』がある。『回心』の後に来るのが、『償い=つぐない』。つぐないのソバに、『苦しみ』がある。
★ホスピス病棟のベッドで、主の、十字架のお姿に、問う。「なぜ、あなたは、今も、十字架の上なのですか?」「それは、お前が、自らの十字架を背負って、わたしに、近づいて、来るのを、待っている」
★聖書の、善き盗賊は、イエスに近づいて、言った。「私は、罪びとです。あなたが、み国にお出になる時、私を思い出して下さい」。主は、即、言われた。「『汝』、『きょう』、『我』と共に、『楽園』に、在らん」
★これ言われれば、これこそ、人生の、終末の、サイコーゥ、の喜びですよ。「苦しみ、苦しみ、ダケ、ですよ」と言った、ミロハナ神父。「苦しみは、のち神の喜びに、変わる」
★神は、見えない存在です。マリアさまも見えない。だが、最高の隣人愛を生きる者は、マリアさまを、見るように、なる。「友のため、イノチ、捨てる、それ以上の愛は、ない」
★最高の愛を貫いたコルベ神父は、餓死の地下牢で、マリアさまを見ていた。慰められ、助けられた。だから、こそ、コルベ神父は、最後まで生き、聖母被昇天の祭日の前日に、楽園へ凱旋した。私、トマ修道士は、これは現代の『奇跡』だと信じている。
★「マリアの呼吸で『祈り』、マリアの御助けを求めて『愛』し、マリアに近づく『清さ』を生きる」。これが『信仰の原点』です。
★「人は、目で、見る。神は、心で、見る(サムエル記)」
★神は、お前を、ホスピス病棟へ、導いた。「わたしは、神のもとから来て、ここに居る。(『毎日のミサ』、今日の聖書ヨハネ・8)
★神さま、ありがとう。マリアさま、ジンクーエン。ホスピス病棟に居ても、希望を抱き、前へ進もう。それが、オマエの姿だ。苦しみにも、ジンクーエン。(深夜の黙想、祈り)
長い、夜 『チリン、チリン』
病棟の静かな、廊下に近づく音
じょじょに、大きくなる
おはよう、『チリン』
主が、来られた
『アーメン』
いま、主、イエスさまと、一体
きょうも、さいわい
★【昨日の閲覧者数=統計】1422。
おはようございます。
返信削除深夜黙想された一つ一つの言葉を味わい私も小さな黙想をさせて頂きます。
小崎登明様は病床にあっても日々ご聖体を拝領できて「さいわい」そして毎日イエスさまと一体!
私もそうありたいと願います。
小崎登明様、今日もジンクーエン。
若い時ってどうしても理解できない部分があります。
返信削除それが歳と共に自分で実感して行くんですよね。
ミロハナ神父様もコルベ神父様からそう教えて頂いた事が
小崎さんにつながっていっていると思います。
お祈りしています。
トマさんの言葉を、しっかりと心に刻みます。
返信削除特に回心に伴う償いが大切なのですね。
今は神様がトマさんと私達に与えて下さった、貴重な時間だと思うのです。
心よりお祈り申し上げます。
返信削除お祈りしています。
返信削除十字架を背負ったイエスさまにお祈りしております。
返信削除トマさんの十字架の絵をまた大切に
返信削除眺めます。そして、この同じ深夜、
がぶらってぃもまた祈りの時を持っていた
繋がりに感謝しております。
行く道は、苦しみ、苦しみだけと話された
ミロハナ神父さん。その苦しみの敷石の裏は、
神秘の輝きに満ちていると、わかりました。
踏み込めば踏み込む程、敷石の隅から
ポーッ、ぽーっと照らされます。
トマさん、ホスピス病棟は安心の場所ですか。
がぶらってぃには、そのように見えます。