長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年3月31日月曜日
ポーランドからの客。「何事も、神さま無しに語れない」
3月の終わりの日です。うれしい見学客があった。赤いお服のお母さん。その隣、息子さん。ポーランドから3週間の旅行できた。お母さんの名前、クリスチナ。コルベ神父さんが好きです。ポーランド語の騎士誌を読んでいる。息子と初めて日本へ来ました。右側の女性、娘です。お姉さん。いま九州・福岡県に住んでいる。日本人男性と結婚した。「それでお母さんと、弟を呼びました。お父さんは飛行機が怖いです。来なかった。お母さんは自然が好きです。黒川温泉へ連れて行った。これから屋久島へ行きます。私は度々屋久島へ行った。すばらしい所です。お母さんも喜ぶでしょう」。かわいい女の子、男の子。風車をプレゼントした。お母さんに聞きました。「常日ごろ、思うこと、ありますか?」。ポーランド語で答えた。「べズ・ボガ・アニ・ド・プロカ(神さま、無しには、踏み台にも、あがれない)」。何事も、神さま無くしては、語れない。すばらしいコメントでした。今日の1日、とても楽しい日になりました。旅行は、安全に。幸せ、祈ります。
2014年3月30日日曜日
長崎は、いまがサクラの満開です。やっと春が来たね。
大山カトリック教会の庭にあるサクラです。(長崎市・大山町)。見事に咲きました。いまが、見ごろです。毎年、見物に来ているが、今年の見物客は、多かった。主任司祭・三村誠一神父さん(前列・右2人目)を囲んで、記念に、松下修道士のカメラで写しました。
2014年3月29日土曜日
自転車の青年、来る。聖書を読んでいます、東大生。
今朝は、雨が降っている。開館まもなく、1人の青年が入ってきた。「ぬれたでしょう」。なんと、彼は自転車できた。休みを利用して、東京から、電車と、時には自転車に乗って、九州入りをして、はじめて長崎へ来た。「昨夜は、ネット・カフェに泊まった」「え?長崎にも、ネット・カフェがあるの?」。若者らしく、安上がりの旅をつづけている。市内で出会った女性に聖コルベ館を教えられ、来た。大学2年を終わって、今度、3年生。大学に入って、勧められて聖書を親しみ読んでいる。聖書といわれて、今朝、ミサで読んだ聖書の言葉を思い出した。「高ぶる者は、低くされ、へりくだる者は、高められる。読んだこと、ある?」「あります」と青年。「偉そうぶる者に、真実はない。能あるタカは、爪をかくす。そういう人が値打ちがあるんだよね」。若者は老人の意見に同調してくれた。「いくつね?」「21、です」「若い、なあ」。人間は、誰しも、心にひびく、何かを持っているんですね。若いのに彼が言うには、「遊んで、楽しんでも、つまらない」「人のために生きよう」「自分は恵まれている」。などなど考えて、「開発途上の人のために尽くしたい。いのちを救いたい」「自然のいのちも大切です」。そのような気持ちだと言った。こちらが教えられるよ。コルベ神父のことは知らなかった。印象づけるように、しっかり説明した。「これも、ご縁だよ。覚えていてね」とアクシュ。「ルルドへ登りなさい」。東大生という彼は、雨のなか、ルルドへ向かった。自転車と荷物を資料室に、残して。
2014年3月28日金曜日
春たけなわ晴天、大山教会のサクラ見に出かける。
毎年、出かけています。サクラ・満開。大山教会のお花見。主任の三村神父さまにもご挨拶。当方、10人の修道者。修練を始めた3人の若者も入っている。「やあ、1年ぶりだよ」。教会の庭に、白いマリアさまのご像。手で引くアンゼラスの鐘の塔もあって、ウグイスがやかましく、鳴いている。騎士から車で、30分。午前10時30分に着いて、教会で、ロザリオを1連唱えました。サイン帳に、名前を書く。墓地に登って、長崎港の景色を展望。それは、すばらしい眺めです。お昼のお弁当を開いて、飲みました。食べました。三村神父さまもいっしょでした。大山町全体が、カトリックの家族・70戸。教会を中心に、信仰を守っている。平和な集落ですよね。毎年、同じときに来るようになって、5、6年になる。春は、ここから始まる感じです。心も和みます。親から受け継いだ信仰を守って、幸せと思いますよ。生きる指針に、大事にしたいと、あらためて思いました。祈りました。いいカオ、しているでしょう。前にも書きました。「カラダの不自由さ、かかえている。承知している。それでも生きる。あと1年は、なんとしても、生きたい。その望み、強く有ります」
2014年3月27日木曜日
1つの記念日。27日。誓願49年目。この日の出来事。
朝、いつものように5時に起きる。身支度して、聖堂へ。ミサの前に、1人の司祭が声をかけた。「誓願、49年だよ」。ああ、そうか、この日、修道士の誓願を立てたのだった。昔を思い出した。司祭は、ミサで祈ってあげるという。あと1年、がんばれば、50年の金祝になる。今日から、その1年が始まる。それらを意識しながら、朝食後に、予約の泌尿器科・診察へ出かけた。自分の体内には、どのような変化、病状が起こっているのか。内部は目に見えないから、よくは分からない。お医者さんの説明を聞いた。気持ちが、重くなる。とにかく、いまは、「生かされている」のを感じる。それだけです。次に、町のクリニックに寄った。心臓の不整脈を、心電図で調べてもらう。昼食前には、帰った。午後から、しばらく休んだ。介護のヘルパーさんが来る。入浴の介護をうけた。カラダを洗いながら、ヘルパーさんが「調子は、どうですか?お医者さんは、どう言われました」と聞く。「ええ、まあ」と、はっきりした返事はしなかった。ただ次の強調をした。「ヘルパーさんのお陰で、この冬、寒さにも耐えて、乗り越えることが出来た。少々不具合の日もあった。1人なら入浴は、しない。しかし定期的に入浴して、清潔になり、心も安定して、風邪もひくことなく、よかったですよ」と感謝した次第です。ヘルパーさんも喜んで帰られた。さあ、これから次の1年、3月27日に向かって、祈りつつ、前へ進もう。
2014年3月26日水曜日
来てみて、初めて距離感が分かる、とお母さん。
昨日の親子の、つづき。お母さんは、ブログを読んいる。「来てみて、初めて距離感が分かる」と、コルベ神父の額のところへ。すかさず「写真を撮るよ。日記に載せるからね」。JRに勤めている智之さん。27歳。車掌さんだから、大阪中心、環状線など、駅名、すべてを知っている。お母さんが言うには、「この子は生まれが、8月15日、聖母の被昇天の祭日です。出産入院は、14日。コルベ神父さまの日でした」と誇りに語っていた。このお母さんについて感心したのは、聖コルベの居室に案内した時です。「ここにベッドがあったんです」と言えば、お母さんが「セルギウスさんが、コルベ神父さまのベッドの敷きワラをほぐして、やわらかくしてあげた。コルベ神父さまは《しないでください。少しは犠牲をしたいから》と断る。セルギウス修道士は言うことを聞かず、いつもワラをほぐしていた」。こんな詳しい話をお母さんから聞かされて、びっくりしました。騎士誌を愛読している。「原爆、体験して、ゼノさんに助けられて、最近は度々入院して、それでもお元気そう」と、よく知っておられる。町のどこかで、こんなに見守ってくれる人が居るんですね。ありがたいです。2人は聖コルベ館でゆっくり過ごして、色紙を3枚買い求めて、ルルドへ上って行った。「色紙は、ブログで見ていました」。感心しました。親子の幸せを祈りました。「洗礼、受けてから、又イラッシャイ」
2014年3月25日火曜日
喜びの再会。JRの、爽やかな若者。母を連れて来た。
やっと、パソコンが正常になり、稼動したとき、うれしい2人の見学者ありました。若者とお母さんです。若者は2年前に1人で来ていた。今度はお母さんといっしょです。お母さんが「ブログを見ている」と嬉しいことをいう。さっそく、資料室の黒イスに招いた。息子が来た日を覚えていた。「10月30日です」。びっくりだよ。どれどれと、先ずアルバムを探してみる。「あったよ、写真が」。ホレ、ごらん、と喜んでいる写真です。そこで今度は、日記を調べてみると、写真も記事も詳しく載っていた。記事を読み上げると、母も息子も嬉しそう。「おお、良く書けているよ」と、自分でも満足する内容だった。「この青年とは、ウマが合いそうだ」と、お母さんが覚えていた。「三宮で、長崎オラショの旅を買って来た」「JRの駅に勤めている」「職場に居ると、忍耐、ガマン、自制心が大切です」という青年。日記には、メロンを食べさせた、と書いてあるが、もちろん当方は忘れていた。お母さんはカトリックです。「明石の教会の書棚に、セルギウス修道士さんの《超えて来た道》があった。読みました」。昨日、長崎へ。1泊2日の旅。カトリック・センターへ泊まり、今朝は浦上天主堂のミサで祈る。すぐ聖コルベ館へ。修道士さんに会えるかな?幸い、お互いに出会って、大きな喜びだった。息子の名前は、智之。JRの車掌さんを務めている。目指すは、運転士、と、この優しいカオだよ。
2014年3月24日月曜日
苦しみの中にも喜びを。息切れしない、人生の歩み。
2014年3月23日日曜日
日曜日、明るい朝です。でも、パソコンの字が書けない。
ゲンキ、しています。・・・・・・ここまで書いて、パソコンの字が先へ進まない。画面に、濃紺の色いっぱい、白抜きの英語がズラズラっと並ぶ、不可解な数字が又、並んで、意味が分からない。画面が消えない、とうとう記入が出来なくなった。すると携帯に電話がかかった。「トマさん、ゲンキ、それだけ。心配するよ」「イヤ、イヤ、字がかけないんです」「それなら良かった。早く直して、書いてね。待ってまーす」。そう言われても、なかなか直らない。イラ、イラしました。写真のとおり、表情はゲンキです。心配かけて、ごめんなさい。
2014年3月22日土曜日
三々五々、見学客。色紙も描き揃えた。イラッシャイ。
ポーランド人の若い女性が、2人で見学にきた。ワルシャワ大学の日本学科の4年生、1年休学して、日本の大学に留学している。コルベ神父さま、愛の行ないに惹かれます。大分から、若い女性が1人で、日帰りで、列車で、コルベ神父を訪ねてきた。コルベ神父の本を買いました。いま読み始めています。教会へ行くように勧めた。「教会に入って、静かにお祈りしなさい。神さま、まだ何も知りません。導いてください。人生を大切にしたい。清く生きたいです。力を与えてください」。祈ってください。修道士に出会って、話を少し聞いて、安心して帰られた。色紙を描き揃えました。1枚、1.000円です。記念に買ってください。字も、絵も、じょうずでは、ない。でも、書かれている言葉は、励ましになるでしょう。★「心のなかに、愛を宿せば、宿すほど、苦しみの必要性を感じるでしょう」。これはコルベ神父の言葉です。フランシスコ会の修練長・神父さんが教えてくれた。神はの愛を燃やせば、燃やすほど、苦しみたい、苦しみを与え給えと、望む。それは先に苦しまれた御方が居るのを知ったからです。苦しまずして、聖成は、ない。そこまで思い詰めるのです。聖人たちは、みなさん、苦しみを体験しました、それを乗り越えて、喜びを見つけました。倣いたい気持ちです。
2014年3月21日金曜日
①事前学習。②現地で学習。③自分たちで、まとめ。
堅苦しい課題ですけど、考えますよ。聖コルベ館に平和学習に来る若者たち。①来る前の事前学習は、コルベ神父についての範囲はたいて決まっています。「経歴」と、「アウシュビッツでの身代わりの愛」。なかには「遠藤周作の女の一生・第二部」を読んでくる学生もいる。それらは常識の範囲を超えない。普通に知られていることです。②次に、実際に聖コルベ館に来て、何を学ぶか、です。何を若者たちの心に注入するか。これは内容の提供が、中々難しい課題です。コルベ神父と働きを共にした修道士さんが、現在も生きれ居られる、それを聞いて、コルベ神父さんは現代の人なんだな、と実感する。こうした身近な存在にしていくことが説得力があるでしょう。それとは、当然、愛とは何か、そういう設問も起こってくる。真実の愛に向き合う、ますます難しくなる。「素直に、コルベ神父のように生きたい」「良心に従って、行動できる人でありたい」「世界の人たちが、コルベ神父のような考えを持てば、世界の平和が訪れるのではないか」。そこまで考えが及ぶなら、幸いです。③学生たち、自身のまとめ。「コルベ神父に親しみを感じること。遠い存在でなく、身近な人。コルベ神父のように、愛に近付きたい」。それらの願いが、若者たちの心に芽生えれば、平和学習も「可」といわれるのでないか、と反省する次第です。
2014年3月20日木曜日
平和学習。戦争は2度と起こさない。中学生、頑張る。
埼玉の中学生たちが、来た。毎年、来る学校です。キリスト教系の学校で、聖堂で、賛美歌を皆さんが唄いました。中学生ですが、ゲンキよく、声を張り上げて、心から歌を捧げました。聞いていて、嬉しくなります。戦争は、2度と起こしては、ならない。平和であるように、平和とは、周りの人への愛、助けてあげたり、許してあげたり、支えてあげる、その心、人の痛みをわかる心を持つことに、ある、と語りました。毎年、この学校に出会うのも、楽しみです。★話の後で、先日、修練に入った3人の神学生が、3クラスを案内して、ルルド、聖コルベ館、小聖堂など、回りました。皆さんは、熱心に説明を聞きながら、時間をゆっくり過ごしました。★熊本から入って、阿蘇、天草、島原、雲仙と回って、長崎へ来て、教会や原爆資料館を見学して、最後が聖母の騎士でした。この後は、長崎チャンポンを食べて、長崎から飛行機に乗るそうです。いい旅行ですね。すばらしい良い想い出が出来るでしょう。★20年来、来ていますから、生徒だった男の子が、大学へ行って、旅行会社に就職して、今度は添乗員になって、生徒たちをお世話して、参加している男性もいます。それだけ年期が入っているわけです。★来る生徒は、皆さん若いけれど、迎える当方は、年々、歳をとって、老人になっていくよ。それが残念ですね。気合を入れないと、ね。
2014年3月19日水曜日
聖ヨセフの祭日。願い事を、何でも聞いてくださる。
今朝、お祝いのミサで祈りました。ミサのときの司祭が次の話をした。「関西のシスターが、近所に住むポーランド人の修道士ローマンさんが、聖像を作っているので、聖ヨセフのご像をお頼みした。ところが、なかなか造ってくれない。ハイ、直ぐ出来ますといいながら、作ってくれない。シスターはシビレをきらして、直接、談判、ローマン修道士の元へ出かけて行って、作るまで帰らないよ、とねばった。ローマン修道士は若い頃から、聖像つくりを手がけてきた。美しい聖像を作ります。やっとシスターのため、リッパな聖ヨセフのご像が仕上がった。シスターはそれを大事に持って帰って、包みを開けて見て、ちょっと、びっくりした。聖ヨセフの耳の1つが、耳の穴が開いていない。これは、おかしい、と一時は思ったが、シスターはふと考えた。この方が、いいかも。元々、昔から聖ヨセフさまにお願いすれば、何でも聞いてくださる、望みが叶えられると聖人方が教えられる。耳が1っ開いていないご像を置いて、聖ヨセフさまのお取次ぎを祈れば、もっと聞き入れられるに違いない。そう希望して祈ったところ、何でも、ことごとく聞き入れられた、という本当の話です。私たちも、希望をもって、聖ヨセフに祈るように努めましょう」。今日は、素直に聖ヨセフに祈りました。★この日記の聖絵、聖ヨセフと幼子イエスは、聖コルベがポーランドから長崎・聖母の騎士へ持参した聖絵です。大きな額に入っています。
2014年3月18日火曜日
閉校式に出かけて行った。懐かしい学びや、さよなら。
春の太陽の暖かい学校でした。懐かしいです。ここで沢山の子どもたちと、アイサツを交わした。あの子ども達は、みんな成長しましたよ。久しぶりの背広に、ネクタイ姿。ネクタイの締め方を忘れてね。時間がかかった。6年間、お勤めをして、自慢できることは、1日も休まなかった。風邪も引かなかった。皆勤賞ものです。空気は良いし、子ども達の声は賑やかだし、草花に囲まれて、楽しい日々でした。心身に合っていたんですね。子ども達に教えたことは、踏まれても、踏まれても、雑草は、たくましく芽生える。まじめに、生きれば、必ず、花は咲きます。見回して、校舎を見つめる。学校が消えゆく、寂しいですよ。この校舎は壊され、平地になるそうです。ふるさとは、いつまでも、あったほうが、いい。思い出だけを残そうと、空気を、風を、イッパイ、吸って、山を下りました。
2014年3月17日月曜日
施設の中に、小・中学校。今日が閉校式。悲しき参加。
もう、山の学校から、聖コルベ館へ降りてきて、23年になります。6年間勤めました。今日が閉校式。1つの時代の役割を終えました。朝から、山の学校へ。多くの関係者が集まって、儀式がありました。ミサがあり、卒業生たちや、恩人の皆さん、職員、後援会の方々のため、感謝と、幸福を祈りました。最後に、学園歌が、大きな声で唄われました。「ああ、歌があって、よかったな」と思うと共に、もう唄われない、惜しいなあ、の気持ちもありました。この歌は、自分が勤めていた時に出来たからです。「多良の山なみ、ツバキ原」。ツバキの木も校舎の周りに沢山植えました。ツバキが一杯、咲いていました。「わが学びやよ、わが友よ」。歴史は60数年です。沢山の少年、少女が学び、育っていきました。「聖母の騎士に、ヒカリみち」。マリアの優しさを、神さまの愛を忘れないでほしい。願いは、イッパイです。カンシャも、イッパイです。久しぶりに、知り合いの顔、恩人たちの顔に出会って、嬉しいでした。
2014年3月16日日曜日
痛むとき、苦しいとき、意味づけ、するのは、むずかしい。
今朝、起きると、少々、カゼ気味だった。生きるには、いろいろ有るんですね。痛みもあれば、息苦しさもある。生きていて、辛くなる日もあります。それでも生きたいですよ。幸せになるために。生きるのに、意味を見つけたい。意義があるものに、したい。★苦しみがあっても、そこに生きる意味を見い出せば、幸せになれるでしょう。「この苦しみを捧げますから、あの人を幸せにしてください。あの人に長生きを与えてくだい」。そう願って、見事、願いが叶えられれば、「ああ、苦しみにも、チカラがあったんだ。意義があったんだ」と思うでしょう。生きる意味を感じる原型は、このことかも知れません。生きる意味は大切でしょうか。フンパツ・リョクのため、必要です。前向きに、「よし、やるぞ」。今朝、熱を計ると、6度6分でした。平常通り、バンドを締めて、聖堂へ行きました。★聞こえてきます。「主において、喜べ。常に、よろこべ」。よろこんで、いたいです。孤独でも、寂しくても、足腰が痛くても、いつも、喜んでいたい。でも、ニンゲンって、弱いです。
2014年3月15日土曜日
16年ぶりに、やって来た若者。お嫁さんを連れてきた。
琢磨さんが来る。もう何10年前か、1人の若者が、毎年、毎年、聖コルベ館に来ていた。タクマさんと言って、体格のリッパな青年だった。彼について気に入っていたことは、横浜で、道路工事の働く工事人をしている、というタクマしい頼りになる若者のイメージだった。感心やなあ、と1つの憧れもあった。ところが、ある年からパッタリ来なくなった。★ただ毎年、2回、復活祭と、クリスマスにお祝いのカードが届いていた。そのカードがユニークで、ラテン語で、お祝いが書かれている。「感心な青年やな」。そんな思いで、忘れることなく、見守っていた。いつか来ないか。その思いもあった。★突然、朝から、「ピン、ポン」と鳴って、見学者が入ってきた。「琢磨です」「ええ?、タクマ?」。ビックリした。「いやーァ、ひさしぶり」「16年ぶりです」。琢磨さんは嫁さんを連れてきた。それが、この写真です。再会を喜んだ。「どうして、来なかったんや」「いろいろ、あったんです」。あの頑丈だったカラダは、交通事故にあって、いま杖をついている。お嫁さんが支えていた。痛みや、苦労は沢山あったが、お恵みもイッパイあった。幸せなタクマさんだった。それで、いいのだ。お互いに語らいを楽しんだ。
2014年3月14日金曜日
あの人は今どうしているのか?記事に書いた。心の財産。
自分にも、築いてきたものが、ある。それは大事にする。自分の心の財産でも、ある。そのため時間もかけた。労力もかけた。記事にも書いた。あの人はどうして居るかな?北海道から、沖縄まで、書いてきました。心残る人をピック・アップしてみよう。先ず★北海道の最北端の町、ノシャップ岬に住んでいた3人のシスターから。出会ったのは、1985年、昭和60年ですよ。だから31年前になる。小さな家に住んでいた。「何しているの?」。ロシアに一番近いところで「ロシア(共産)の改心のため祈っている」。フランス人のアルメールさん、ロザリア光枝さん、アスンタ記恵子さんが居た。青色の修道服を着て、皮のベルト、胸に木の十字架、職場でも、この姿です。上に立つ職場にはつかない。工場で働く。病院の助手など、一般の人と違和感のない生活をしている。感心しましたよ。祈り、働き、明るさ、共同のサイフ。軽快に自転車に乗る姿が、ホント、明るかった。魅せられてしまった。ごらん、祈りの効果があって、共産ロシアは解体した。忘れませんよ、あのシスターたちを、偉いなァ。★「モシ、モシ」。今朝、電話をかけてみた。ロザリア光枝さんと話した。「覚えている?」「覚えていますよ。小崎サンが帰ってから手紙がきた」「覚えていないな」「玄関もなかった。ローカもなかった。生活があった、フ、フ、フ」。3人とも、頑張っている。アルメールさんは、まだ稚内に居る。住所が変わった。ロザリア光枝さんは茨城の本部へ。アスンタ記恵子さんは東北・震災の場で頑張る。ロザリア光枝さんが言った。4、5日前に、小崎サンの噂をしていたばかりでした。「ええ、そうなの?奇遇だな」。ゲンキで召し出しを頑張ってね、と励ましあいました。シスターたちの会の名前は、イエズスの小さい姉妹の友愛会といいます。祈ってください。
2014年3月13日木曜日
メガネは、どこだ?あるんだね、老人には。ゴメン。
屋外を歩く時には、メガネがいる。新聞を読むときは、メガネを外す。外したメガネを、ポケットへ入れれば良かったのに、胸のスキマへ、ちょっと、挟んでおいたのが、いけなかった。忘れてしまって、トイレへ行った。しばらくして、メガネを探すと、無い。あれ、どこだ?まわりに人が数人いた。キョロキョロするので、当方を見ている。「メガネが、ない」。探して、見つけた。トイレの戸に引っかかって、哀れ、メガネはダウンしていた。「おお、ゴメンな」。ひろい上げたら、メガネが泣いていたよ。残念、レンズに大きくキズが入っていた。一瞬の忘れが、この通り。メガネ屋さんへ持っていくと、「ハイ、レンズは交換します」。8.500円を取られた。ちょっとの、失敗が、大きな損失を与えたのです。
2014年3月12日水曜日
幸せの手紙。「ああ、よかったね」と、ゲンキが出る。嬉シ。
午前中は、原稿を書きました。誰も、聖コルベ館には来ません。何とか原稿は書き上げました。もう、お昼ですよ。食事をすませて、しばらく自室で休んでいた。「さあ、出かけよう」。まだ、日記を書いていない。「何を書くべきか」。少々迷っていた。そこへ1通の手紙が届いた。写真が入っていた。「私と妻は、昨年の秋に、長崎の旅、一般のツアーに参加しました。待望の教会めぐりは、自由行動の時間のみに限られていたが、小崎サンの『長崎オラショの旅』『西九州キリシタンの旅』の案内書が頼りで、平戸、大浦、コルベ館、浦上、被爆マリアで、ご聖体訪問がかないました」とある。よかったですね。そして次のページに、おかげで「神さまのお恵みは、この旅行を機に、妻の洗礼への決意につながりました」とあるのです。それを読んだ時、又また、よかったね、と叫びました。「妻の洗礼は、4月19日、聖土曜日です。お礼の手紙とさせていただきます」。そして更に、「聖母の騎士、3月号のお話しも読みました」。ありがたいじゃ、ないですか。わかりませんよ。誰が読んでいるのか。誰が恵みをもらって幸せになっているのか。こんな話しが有るでしょう。夫婦が道に迷って、森の中をさまよった。暗い道を林のなかを、さ迷った。ここは、どこだ?迷い、心配しているうちに、林のなかに小さな灯を見つけた。ああ、救われた。夫婦は、人家の方向へ希望を見い出して、チカラ強く歩いて行った。灯の家の者は、何にも知らなかった。ただ、灯を点しているだけだった。聖コルベ館へ行って、この日記を書いて、祈りました。
2014年3月11日火曜日
3月11日。悲しみの日。再生の日。祈りの日。天国を思う日。
午後、自室に居た時間でした。テレビをつけると、「あッ、津波だ。押し寄せてくる。タイヘンだ。あれ、クルマが走っているじゃないか。歩いている人が居る。どうして逃げないんだ。逃げろ、逃げて」。あの時のショックを忘れない。思わず、自室で叫んでいた。あれから3年が過ぎ去った。だが、心は癒されない。多くの人が家族を失い、親しい人を失い、大きな悲嘆に沈んだ。★津波が去った後の荒野をテレビで見て、正直に思った。「まったく原爆の廃墟と、同じだな」。愛する人を失ったよ。残った者は、生きる判断を責められ、耐えていかねばならぬ。救いは、あの人に出会った、この人にも出会った、その喜びを、しっかり忘れないで、残して行こうじゃないか。今日は、亡くなった人を想い、生き残ったことを思い、祈る日です。★死んだ愛する人は、いつも、そばに居るよ。
2014年3月10日月曜日
3月にもらった花々。心がなごむ。マリアさまに飾った。
誕生日があったからか、ですか。沢山の花をもらいました。ありがとう。うれしいです。マリアさまに飾りました。こうして日々、つつがなく生活できるのも、自分のチカラじゃない。素直に、お恵みがある、と思います。★毎日、日記を書いています。毎日、日記を書くのは、「自己顕示だ」という人も居ます。「自分が弱い存在だから、見せようとする」そう評論するのです。それでも、いいですよ。書きますよ。自分のために書いている。1つの記録と思っています。★自分は、次から次に、新しい話題が入ってくるので、古い話題は忘れている。それで記憶力が、わるいんだな。そう思っています。すると知り合いの真理さんが言った。「トマさんには、沢山の引き出しが、ある。その都度、その都度、引き出して、びっくりしますよ。忘れていても、何かのヒョウシに、カギが外れて、思い出している。知識が旺盛ですよ」と言うのです。「そうか、な?わかりません」★仙台の「たつみ」さんからお便りがきた。「毎月、聖母の騎士誌を読ませていただいている。お目にかかるような想いです。1度は、お目にかかりたいと思いますが、主人は、93歳、私も、85歳と老齢で、動けなくて残念です。これから、ご復活祭をお迎えするまで、よい準備をしていきたいと思っております。次はどんな記事を読ませていただけるか、楽しみに待っています。「こんなに目をかけて下さる方もいらしゃるのですね。ありがたいです。いつまでも、お健やかに」
2014年3月9日日曜日
誓願式のお祝い。1人の若者が、奉仕の道に入った。喜び。
いい写真。左から2人め、胸に赤い大きな花をつけているでしょう。彼、若者が、この日、神に奉献し、3つの誓願を立てました。喜びの顔です。1年間、昨年の3月から、修練の道に入りました。祈りと、沈黙と、修業の日々を過ごしたわけです。「自分は神さまに仕えるために、召されているか」。修道会からは「この青年は、我々の会で奉仕できる能力を持っているか」。お互いが確かめ合って、「合格」が出たのです。仲間の者たちも、この日を待っていました。コルベ神父の修道院・修練院で修業したから、卒業して、こんどは東京へ登って、修学院で、司祭になる勉強と、修業をさらに重ねて、5、6年後には、晴れて司祭へ上げられるでしょう。がだ、その道は険しいのです。周りの人たちのお祈り、援助、導きが必要です。お祈りください。3つの誓願とは、清貧、貞潔、従順です。むかし、自分も、このように誓願を立てた日を思い出しました。自分を捨てて、本当に、神さまに仕える、弱い人間にできることではない。無力を知って、助けを求めて、謙遜になって、前へ進むことが出来るでしょう。希望を持とう。「いま、いちばん、さわやかで、オトコらしい顔をしているよ」
2014年3月8日土曜日
チカラ強い祈り。みんなで唱える、道行。清さと真理を。
夕方、修道者たちが、祈りました。『十字架の道行』という祈りです。金曜日に唱えています。このときは、ひじょうに人数が多いでした。先唱者を務めました。みんな一体となって、声を揃えて祈りを捧げます。大きな声が、心が、神さまへ届くのです。チカラ強さを感じました。ふしぎと、なんと表現したらいいのか、オトコらしさというか、道行は悲しい受難の祈りなのに、声のたくましさを感じたのです。みんなで祈るって、いいですね。祈りは、約30分ほど、かかりました。★いまは四旬節といって、悲しみの季節です。罪を悔やみ、改心のときです。人間は誰しも、完全じゃないです。清さ、真理、喜びに近づくために、努力したと願う日々です。悪には負けない、人生を歩みたいです。
2014年3月7日金曜日
赤ちゃん、洗礼を受ける。手紙が届いた。幸せになってね。
1月19日に、かわいい赤ちゃんの写真を載せた。ダンナさんは、ポーランド人。奥さんは、日本人。赤ちゃんの名前?1度、聞いたけど、忘れた。日記に書いていない。手紙が来ましたよ。「赤ちゃんの名前は、真彩(まや)です。7ヶ月です」。写真も送られてきた。日付は、あのあとで、2月18日になっている。「教会で、洗礼を受けました。4月には、1ヶ月ほど、2年ぶりに、ポーランドに行きます。娘は、初めてのポーランドです。ポーランドでも、コルベ神父さまについて、見学したいと思います。本当に、ありがとうございました」。洗礼の写真を見て、喜びました。よかったね。神さまのお恵みがイッパイですね。家族の愛が、いちばんの幸せです。愛の深い、信頼し合う家庭を築いてください。そう願いました。聖コルベ館に来たことも、忘れないでね。「夫(ポーランド人)は、修道士さんと、コルベ神父さまやポーランドについて話せたこと、とても喜んでいました。すばらしい長崎旅行でした」と、締めくくってあった。ポーランドから帰ったら、また報告に来てください。待っているよ。
2014年3月6日木曜日
やあ、おはよう。新しい修練者。爽やかな若者の顔。
始まった。来年の3月まで、1年間。よし、ボクも、彼らに、くっついて、これからの1年間、前向きに進んで行こう。ボクにも、課題がある。仲よく、やろうね。若者の顔って、いいね。表情も、いいね。ウイウイシイよ。彼らに、聞いてみた。「君たち、何が動機になって、この道に入ろうと、思ったの?」。「ウーム」と、彼らは、ちょっと考えていた。ある者は言う。「聖フランシスコに憧れていた。小2、小3の頃から。生き方を学びたい、そんな気持ちになった」「そーですね。ウーン。自分を追い込ませるって、言うかな、そこから入る気になった」「早く、長崎へ行きたい。コルベ神父さまの修道院で、生活したい。それで、ここに来ました」。理由は、いろいろ有るね。とにかく若者が身近に居るのが、うれしい。頼もしい。ありがたい。こちらもゲンキが出るからね。★皆さん、3人の若者の前途のために、お祈りください。お祈りは大切です。お祈りは、彼らの背中を押してくれるでしょう。大切な召命の芽は、安全に伸ばしてやりたいです。若者が増えて、楽しみも増えた。
2014年3月5日水曜日
四旬節が始まる。自分の進む道、外れていないか考えよう。
キリストの受難の日に向かって、悲しみの季節が始まります。昔キリシタンたちは「入り」と言いました。四旬節(し・じゅん・せつ)です。今日は最初の日で、「灰の水曜日」と言います。今朝、ミサのあいだに、灰をアタマにかけてもらいました。「汝は、チリなれば、チリに戻るのを覚えよ」。ニンゲンって、小さな存在ですね。どんなにイバッテいても、誰でも滅びる。キリスト信者は、今日は、大斎、小斎といって、食事を減らす、肉を食べない、祈りと犠牲のうちに過ごします。我が母は、浦上のキリシタン子孫でした。北朝鮮に出稼ぎに行っても、祈りと、大斎、小斎は必ず守っていました。子供には、その印象が、深く刻まれている。「さすがは、浦上・信者だ」と思いましたよ。母は言っていた。「祈り、信心ば、せろ。善業ば、せろ。犠牲ば、せろ」。簡単な教えだが、当を得ている。「入り」の時期に求められるのは、回心です。自分の進むべき道から、外れていないか。気づいて、また元に戻ることですね。生きるためには、いろいろな課題があります。失望しないで、希望を持とう。
2014年3月4日火曜日
若者の着衣式。さわやかな風が吹く。よし、新たな出発。
春は、近い。春には、若芽のような希望の色がある。3人の若者たちが、今の世の華やかさに、背をむけて、これからは「この古い衣服を脱ぎ捨てて、神さまへと向かう衣服をください。希望します」と、新たに出発する式があった。春を感じますよ。老いたる修道者たちは、若い人たちを歓迎し、受け入れ、喜びあいました。いまどき、3人も、着衣式を行なうのは、めずらしいです。彼らを見ながら、「ああ、自分にも、そういう時期があったね」と、遠い昔を振り返りました。そして祈りました。「これらの若者たちが、これからは、いろんな試練や、苦悩に出会うでしょう。それが真実の愛の道なんです。いくら困難があっても、信頼のうちに乗り越えて、神への完全な喜びに、入魂できますように」と思わず、一心に祈りました。修道院の創立者、聖コルベも、喜んでおられるでしょう。彼らから、さわやかな風が吹いてくるのを感じる。修道院の平均年齢が、グンと、若くなりました。若者たちと、いっしょになって、チカラ強く、祈る、語る、笑う、ああ、いいですね。楽しみです。★どうぞ彼らのために、お祈りください。祈りをもって助けてください。
2014年3月3日月曜日
亡くなった古川さんの冥福を祈ります。女性の訪問客。
3年前、いっしょに暮らしていた古川神父さんが、室内の階段で倒れて亡くなった。2月の16日であった。先日、命日を迎えて、その朝は、ミサで祈っていた。その古川神父さんを偲んで、1人の女性が聖コルベ館へ来た。女性はカトリック信者でないが、古川さんとは、茶道、華道で、面識があるといった。古川神父さんも幅広いお方で、茶道、華道の免許を持っていた。教会外にも、仲間がいたわけだ。「古川さんが亡くなられたと聞いた。茨城からです」。女性は、佛壇に、お線香をあげて、お参りをしたい、そんな感じだった。聖コルベ館には祭壇はない。お花料や、お菓子までも下さった。どのように接待すれば、いいのか。なんとか、女性を喜ばせたい。せっかく、お出でくださった。「ちょっと、待っていて、ください」。事務室で、葬儀のときのカードを1枚探して、差し上げた。ひじょうに喜ばれた。次に、写真を捜した。大きな遺影があった。「ああ、この方よ」と、懐かしげに、見つめておられた。「年賀状を差し上げたら、戻ってきた。電話で問い合わせると、急に亡くなった、とお知らせがあった」。こんなにして訪ねて偲んでくれるなんて、古川神父さん、幸せよ、と、この日は懐かしく過ごした。
2014年3月2日日曜日
誕生日に花束を。長生きしてね。ポーランドから祝いの電話。
誕生日にもらった花束です。「長生きしてね」「ありがとう」。きれいなお花をいただいた。「やっぱり、うれしいよ」。いろいろ、カラダの痛みはあるけれど、我が身じゃモン、耐えて行くしかない。前向きとは、生きて、耐えて、価値を作るんですね。★花束をもらって帰った夕方、聖堂で、共同のロザリオを唱えているとき、ポーランド・クラクフの、コンラードさんから「トマさん、おめでとう」と国際電話があった。「トマさん、去年から、カラダに問題があった。お医者さんのじょうずな治療で、助かりましたね。楽しい毎日を送ってください」「いま、そちらは何時?」「朝の9時30分です」。そしてコンラードさんは次の知らせを教えた。「ポーランドで、聖コルベの文章集「Pisma」大きな本、2冊が出版された。上巻は、1140ページ。下巻は、863ページ。いま、上巻の470ページまで読んだが、聖コルベの長崎での生活が書いてある。当時の修道士たちの生活はタイヘンでしたね。貧しい生活に、言語や、健康の問題もあった」。★昨日の誕生日の日記を読んで、8つのコメントが寄せられた。見守ってくれて、ありがとう。
2014年3月1日土曜日
誕生日です。86歳になった。1日1日、大事に生きる。
86歳の誕生日を迎えた。この歳まで生かされて、ありがたい気持ちになる。今日のお昼ご飯は、5人の仲間が、マンションの1室で、祝ってくれる手はずになっている。1日、1日を大事に、これからも、しっかり生きて行こう。★予定通り、仲間が集まった。リッパなケーキだね。「トマさん、おめでとう」とチョコの板に文字。大きなロウソク、8本。小さなロウソク、6本。「さあ、今から、消すよ」。お年寄りの女性たちの「ハースバースデイツーュ」の拍手。★これからの1年が、新たに始まる。そんな気持ちです。なぜなら、来年、2015年3月に、修道誓願・50周年、金祝を迎えるからです。病気のために、遅れに、遅れました。やっと、来年が祝いに届きます。だから、心の奥の心境では、何としても、あと1年、生き抜こう。これは、心に秘めたことで、あまり、はしゃぎ過ぎないように、1年を、普通に、平常心で過ごして生きたい。★「これからの1年、心はアスリート。金メダルが待っている」