長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年3月26日水曜日
来てみて、初めて距離感が分かる、とお母さん。
昨日の親子の、つづき。お母さんは、ブログを読んいる。「来てみて、初めて距離感が分かる」と、コルベ神父の額のところへ。すかさず「写真を撮るよ。日記に載せるからね」。JRに勤めている智之さん。27歳。車掌さんだから、大阪中心、環状線など、駅名、すべてを知っている。お母さんが言うには、「この子は生まれが、8月15日、聖母の被昇天の祭日です。出産入院は、14日。コルベ神父さまの日でした」と誇りに語っていた。このお母さんについて感心したのは、聖コルベの居室に案内した時です。「ここにベッドがあったんです」と言えば、お母さんが「セルギウスさんが、コルベ神父さまのベッドの敷きワラをほぐして、やわらかくしてあげた。コルベ神父さまは《しないでください。少しは犠牲をしたいから》と断る。セルギウス修道士は言うことを聞かず、いつもワラをほぐしていた」。こんな詳しい話をお母さんから聞かされて、びっくりしました。騎士誌を愛読している。「原爆、体験して、ゼノさんに助けられて、最近は度々入院して、それでもお元気そう」と、よく知っておられる。町のどこかで、こんなに見守ってくれる人が居るんですね。ありがたいです。2人は聖コルベ館でゆっくり過ごして、色紙を3枚買い求めて、ルルドへ上って行った。「色紙は、ブログで見ていました」。感心しました。親子の幸せを祈りました。「洗礼、受けてから、又イラッシャイ」
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