長崎市から、白浜忠美さんが来た。月が終わった最後の日曜日に、日記をA4の紙に起こして持ってきて呉れる。聖母の騎士に勤めて7年になる。ルルドの清掃や木の剪定の仕事をしている。25日は、聖コルベ記念館でも「コルベ神父パネル展」が終わった。その日は、兵庫県の女子高校生たちが、修学旅行で長崎へ来て、パネル展を見て、ルルドへ上ってきた。白浜さんは、ルルドに居て、説明もしている。フランスのルルドのことや、永井隆博士の原爆後の奇跡など、正しい説明が必要だ。
★白浜さんは毎日、ルルドの清掃をしながら、巡礼者との会話も努めている。県外から、難病で、余命2年と言われた女性が、鼻に管をつけ、サンソの車を引いてルルド詣りに来た。一心に祈っていた。次は、もうルルドまで登るチカラがなく、下で待っていた。お母さんと兄がルルドへ来て祈った。それから毎月、お母さんと兄が祈りに来て、ルルドの水を汲んで帰った。女性は、13年生きて、昨年の8月15日、聖母被昇天の祭日に亡くなった。9月に、お母さんと兄が、お礼詣りに来た。「マリアまさの所へ帰って行きました」。お母さんは、もう高齢になっていた。五島の玉之浦出身で、そこには日本で一番古いルルドがある。ルルドの聖母の信心は、そこから始まった家族だった。
★聖母の騎士のルルドには、登る坂道には、ロザリオ玄義のレリーフが5基ある。アンネのバラも咲いている。原爆かよこ桜が2本、そめよしの桜が3本、八重桜が2本、ピンクの桜が3本、今が花の見どころだそうです。
★トマにとっても、聖母の騎士のルルドは懐かしい。原爆前に、母に連れられて、ここで祈った。ちょうど学生服の小神学生(中学生)たちが一団となって、ラテン語で「聖母マリアの連祷」を歌っていた。その姿に憧れたのが、この道に入るきっかけとなった。