長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年6月30日日曜日
2013年の半分は、これで終わった。時代の流れは早い
2013年6月29日土曜日
ネコのライモンド、健在なり。時々、キズを負うが、ゲンキ
2013年6月28日金曜日
50年ぶりのAクン、メールをくれた。ヒトは独りじゃ、ないよ
今朝の祈り。「今日の、1日の出来事ななかに、神の導きを知り、カンシャすることが、できますように」。単純な祈りを捧げた。すると、1通のメールが入った。Aさんからです。「フェース・ブックで見ました。むかし、トマさんに、お世話になった」。住所と電話が記してあった。ああ、このAさん、覚えている。電話をかける。あの頃の思い出が、よみがえってきた。50年前になるよ。チャンバラ、やったね。算数や理科も教えた。Aさんは覚えていた。「理科の教材を見つけて、山をよく周りました」。なつかしいね。「ゲンキ、している?」。山の学校を卒業しても、単身、苦労をされたらしい。いまは、介護ヘルパーさんの世話になっているとか。もう、そんな歳か。覚えていて、連絡してくれる心が、うれしい。むかしのことは過去のこと、というが、イヤ、やっぱり、つながりがある。「Aさん、孤独じゃ、ないよ。ジンセイ、いつまでも、つながりがある。今度、東京へ行くので、会いたいね。うれしいだろうね。お互いに、笑った」。当時のアルバムを開くと、Aさんの集合写真を見つけた。「ああ、このカオ、忘れないよ」。山にいるとき、洗礼を受けた。ヨゼフ、という。ジンセイ、苦しみにも、苦労にも、すべて意味は、ある。それは神さまの導きだと知るから、意味があるのです。当時の、トマ手づくり新聞を開いて、Aクンの名前がないかな、と調べてみたら、あった。昭和38年、春。中3に、いろいろな係りが発足した。学習や衛生、事件係など。ほかの係に、クツしらべ係がある。それが「Aクン」の役だった。クツを失う下級生が多かったからね。覚えているかい2013年6月27日木曜日
朝、黙想のときに、メモした。老いても、迷いは、ある
2013年6月26日水曜日
小さな事でも、1つの楽しみは、その日を明るく、できる
ジンセイって、なんだ。営々とした、小さな、いとなみ。これが人生。迷いも、ある。悲しみも、ある。その中でも、助け合って、ヒカリを見つけたら、それが幸せ。ジンセイじゃ、ないでしょうか。出逢いが、大きな恵みに、なります。★日々、平凡に、暮らしていて、楽しいこと、ありますか。毎月、騎士誌の原稿を書き上げた日、文章が刷り上って、校正するとき、その時が、イチバン、胸が、ワクワクします。活字になるのが、うれしいです。そういう気持ちで、何年も毎月、重ねてきました。先月の、5月号は韓国旅行の記事を載せましたが、今月も、つづきの韓国旅行の記事にしました。いい思い出があるからです。もったいないので、使いました。6年前に、お世話になった、李文煕・大司教さまの写真を載せた。大司教さまは、トマ修道士を、こう呼んだ。「小さなお年寄りの修道士。何度も、この修道士を見た。なぜなら、何度も聖コルベ館を訪ねたから。ちょっと無愛想な表情の奉公人の感じ。でも少しずつ心が通じ、1度招待したいと思っていた。お会いできて、うれしい」。この言葉が、うれしい。親愛の情すら、感じます。歳は、ほぼ、同じですよ。今年の5月、あれから、又、2度目、訪問をしました。★修道士にも、夏休みがある。東京へ行きたいです。7月の終わりの週に、出かけたい。東京で、会いましょう。2013年6月25日火曜日
親切への有り難さ。見守る愛に、励ます愛、神の愛がわかる
歳のセイか、ナミダが、もろくなる。いつも、日記を読んで、励ましのメールを送ってくれる人がいる。「トマさん、退院して、おめでとう」「お疲れさま」「お帰りなさい」「家に居ても、トマさんと、いっしょ。カンシャ」「毎日の日記、楽しみにしています」「励まされています」「沢山の人が喜んでくれているでしょう」などなど。まめに、コツコツと送ってくれます。ろくに返事のメールも出さず、ごめんなさい。うれしいですよ。★「このサイトに参加する」、メンバーも、100人になりました。メンバーの皆さん、見守ってくれて、ありがとう。★日記を書き始めたのは、2009年4月24日でした。いろいろ苦労がありました。歳を取ったら、縁側で、陽に当たりながら、お茶でも、ススる。とんでも、ない。痛みの連続だった。それでも優しく見守ってくれる人たちが居た。時々、思うことが、あります。「ニンゲンって、こんなに優しいんだから、神さまって、どれほど、やさしんだろう、って」。人の親切さから、神さまの愛が、少しでも、分かる気がするんです。宣教師からは、厳しく教えられた。若かったから、それは、それで、いいんです。この歳になって、その思いから、やっと、解き放たれる。「大きく、息を、しよう」
2013年6月24日月曜日
93歳、シスター来る。「カッ」入れの、生活・先輩者の弁
2013年6月23日日曜日
明るい朝を迎えた。生活のワクは決まっている。前にススメ
「ジンセイを、なめたら、いけません。あなたのジンセイ、とても、すばらしい、ものです。それは、苦しみ、痛みが、あるから、すばらしいのです」。そう、言われてもね。痛いとき、苦しいときは、ツライし、キツイよ。「先生、時々、血のカタマリが、尿から出るんです」。ボウコウの中へ、カメラを入れて、診てもらった。これが「痛ターィ」。そりゃ、痛いですよ。「ガマンだ、がまん、や」と、ぶつぶつ。先生、いわく、「ボウコウは、すっかり、よくなっている」そうです。ステント、クダを抜くとき、入れるとき、又また、痛い。「ステントが、入っているから、ある部分で、こすって、血が出るらしい。どこから出るか、わからない。「やっと、終わって、生きかえる」。今度も、イノチを、つないだ、感じです。もう、何回目かな。この度は、ちょっと、きつかった。大丈夫かな。落ち込んだら、いけない。「ゲンキ、出せ。カラ元気でも、よい。声を大きく出すんだよ」。よし、これで、行こうと、今朝は、決めました。ナマケるなよ。原稿のつづきを書かなければ、ね。2013年6月22日土曜日
4月入院のときと、全く同じベッドだった。カオ、むくみ
2013年6月21日金曜日
苦難でも、笑顔は欲しい。人生は、浮かぶ日も、沈む日もあり
夕方から夜にかけて、長崎地区、4箇所で働く修道者たちの集まりがあった。20人が揃って、近況を交換し、祈り、会食し、楽しい時を過ごした。「ああ、明日は、ステント入れ替えか」と思うと、「なぜ、自分だけが、こんなに苦しむのか」と、ちょっぴり、悩みも起こった。ヒト、それぞれに、与えられた十字架がある。今日は、いよいよ予約の病院へ。2人部屋の病室に入院する。午後から、点滴が始まり、手術室へ。もう、この部屋に、10何回来ただろう。挨拶しながら、大の字に、両手を広げる。まさに、十字架にかかったカッコウになった。今度の処置は早かった。30分ほどで終わった。熱が出なければ、明日、帰れるだろう。忍耐と、辛抱しかない。安静にしておこう。「自分でも、思うんです。60年、1つの腎臓で、平常に耐えてきた。頑張ってきた。そう簡単には、ダウンしないぞ。強さがある。だから少々の嵐でも、大丈夫。自信があった」★苦しいときは、楽しいことを、考えよう。「7月の最後の週に、東京へ、夏休みに、行くとしよう。会いたい人も居る。何年ぶりの、東京か、楽しみだなあ」★幸い、熱は上がらない。ああ、よかった。2013年6月20日木曜日
水浦久之さん、神に召される。81歳。文章書きの仲間
普通、長崎では、「信徒発見」という。水浦さんは、信徒が発見されたのでなく、信徒が「神父を発見した」のだと、「神父発見」という本を書いた。信者にとってみれば、それが確かだと思う。共感を覚える。200年間も、神父が居なかった。信者たちは、「神父は、ローマから来る」「独身である」「サンタ・マリアのご像を持ってくる」。この3つの印を、口づてに、子から孫へと伝えて、神父が来るのを待っていた。やっと来ました。喜びました。神父発見です。水浦久之さんは、仲のよい親友だった。物書きの仲間と言うかな。創作活動に熱心で、沢山の本を読み、作品を書き、文学グループに属して学んでいた。晩年はカラダを病んで、苦しい生活を耐えていた。小崎修道士に「色紙を描いてくれ」と頼んだ。「なんと、書くんだ?」「我に、成れ、かし」。どうぞワタシの身に成りますように、神のみ旨のままに。その心境だったのでしょう。水浦さんは、「新・神父発見」に、小崎修道士の病気の思い出を書いている。「彼の背中から出る膿(うみ)を、毎日、ぬぐってやった」と。その彼が、まだ生きている。ふしぎやな、と。2013年6月19日水曜日
2つ、重なったトマト。おいしい。めずらしい。いただきます
2013年6月18日火曜日
広島の旅でわかった、ふしぎなご縁。皆、つながっている
2013年6月17日月曜日
広島から、4日目。「桃の里」を見学した。その後で、長崎へ
2013年6月16日日曜日
広島へ。3日目。教会での祈り。分からない事が一杯ある
2013年6月15日土曜日
広島へ。2日目。変わらぬご縁、変わらぬ愛情がイチバン
2013年6月14日金曜日
広島へ。1日目。特急列車と新幹線を乗り継いで、出かける
2013年6月13日木曜日
今朝も健康で、生かされて、朝を迎えた恵みを、感謝します
最後の、活力を、燃やしましょう。大げさに、考えるなよ。「ガンバレ、ガンバレ」じゃなくて、自然体が、いいね。そう、思うでしょう。物は持たないけれど、幸せです。気楽に生きている。「病気も、カラダの不自由さも、神の恵みです」と言われることに、最初は、抵抗もあります、疑問もあります。ニンゲンは、そう単純では、ない。苦難を乗り越えて、体験するものでしょう。それでも、やっぱり「がんばるぞ」だね。個人の生き方だから、見過ごしてください。聖コルベ館に見学に来る人に、「あなたにとって、いちばん、大切なことは何ですか」と聞いている。そう、この間の女性は、「ドリョク、です」と言ったね。「コツ、コツ、と励む、積み重ね」。確かに、そうです。リッパな話を聞く。共感はするが、あんまり心に残らない。本当に、感動させるのは、1滴の、ナミダ。1滴の、アセ。真実だけが、心を、揺さぶるようです。
2013年6月12日水曜日
長崎市内の古い地図。思い出は、ふくらむ。当時、要塞地帯
古本屋で、長崎市内の古い地図を見つけた。横、55cm。縦、40cm。昭和15年7月29日とある。1940年で、太平洋戦争が始まる前の地図だった。値段は、1万円だった。少々、高価だが、参考になるので、購入した。当時、長崎は陸軍の要塞地帯だったので、この後、地図や写真は厳しくなる。この地図の頃に、長崎へ来ているので、懐かしく、場所を、いろいろと見つけた。思い出す楽しみも、ある。現在、港は埋め立てられているが、長崎湾の原型はこの通りだった。浦上より北部が、町は伸びていない。右側に、囲みで、僅かに載っている。市内に白い部分があるが、これは墓地で、長崎の人は墓地を大事にしていた風習がわかる。現在のような大きな通りが、ない。原爆は、どの辺まで、燃やし尽くしたのか、終戦後の長崎地図は、大きく変貌する。★右側の「このサイトに参加する」「メンバー」が「99」になった。これだけの人が見守ってくれて、ありがたい。感謝の気持ちが湧いてくる。あと、1人で、「100」になる。2013年6月11日火曜日
1日に来た大阪の女性。載せるのが遅くなって、ゴメンなさい
2013年6月10日月曜日
隠れた場所に、愛読者が居る。ありがたい。励ましになります
2013年6月9日日曜日
希望を持って、今を生きよう。必要としている人が居るよ
今朝、思いました。「80になって、やっと、言い慣(な)れた、言葉が出て来る」と。聖コルベ館の玄関では、見学者に、コルベ少年の赤いカンムリ、白いカンムリの話から、けがれなき聖母マリアの話まで、スムーズに語れる。教会では、原爆と、母親との別れの話が語れる。また自分の病気の遍歴についても、語りは出来る。ルルドへ登れば、聖コルベのルルドと、永井博士の奇跡など、一連の話が出来るようになった。聖母の騎士の中だから、それで、いいんです。★それでも、思うんですよ。「オレは、汚れて、身は破れ、かぶれ、だけれども、必要としている人が、どこかに、居る」。一方では、「ああ、オレは誰からも、愛されていない。生きて、価値が、あるのかな」と思う時もあるのです。ゼイタクな悩みです。ニンゲンは常に、迷い、悩む者と思います。でも、こんな励ましも、あった。時々、ある人からメールが来て、「読んでいますよ」「励まされていますよ」と。分からないけど、「どこかで、必要としている人がいる」。確かに、リッパじゃ、ない。よか、ヒトとも思えないが、それでも必要として、くれている人がいる。ありがたいことだと、思います。人は、1人では、生きられない。★今度は、自分から、声かけてみては、どうだろう。「あなたは、必要な人ですよ」。きっと、その人は、喜ぶに違いない。うれしいに違いない。希望が開けるに違いない。孤独死のニュースを見ると、悲しくなる。★友よ、「オレは、ダメだ。居ても、居なくても、おんなじだ。むしろ、じゃまもの、かも知れない。死にたい」など、思わないように、しよう。ニンゲンは弱いから、落ち込んで、暗い気持ちに、なることは、ある。だが、希望を持てば、イノチをつなぐだろう。
2013年6月8日土曜日
赤ちゃんのヒタイに十字架の祝福をする。愛と平和を
原稿を1つ、書き上げた。5月に、韓国の大邱(テグ)へ行った時の記事です。いまだに印象に強く残っています。教会イッパイの信者さんたちが、大きな声で、祈る。歌う。すばらしいですね。昔は浦上にも、その風景があった。なつかしいですよ。★韓国で、忘れない思い出がある。日曜日の夜、ルルドの聖母堂に多くの信者さんが集まって、ロザリオ、ミサ、説教があった。説教の途中から、退場しようとした時に、ちょうど話の内容が「小崎修道士」「永井隆博士」「コルベ神父」の事に及んでいた。すると赤ちゃんを抱いた若い母親が、クルマの所へ来て、「この子を祝福してください」とアタマを差し出すでは、ないか。「ええ、オレが、祝福?」。瞬間、ちゅうちょしたが、父の心を持って、赤ちゃんのヒタイに、十字架の印をしてあげた。「この子がキリスト信者として、愛と平和の生涯を送れますように」。母親は非常に喜んで、ほほえんでいた。「ああ、ほんとうに、いい事をしたな」と感謝した。この思い出は忘れない。
2013年6月7日金曜日
尿から血が出ると、尋常でない。やはり心配しますよ
2013年6月6日木曜日
オバマ温泉、3日目。長崎へ帰る。突然、血尿あり。ショック
2013年6月5日水曜日
オバマ温泉。2日目。宿の部屋から見る夕日。幸せに暮れる
2013年6月4日火曜日
島原半島・オバマ温泉へ出かけます。1日目。反省の夜
2013年6月3日月曜日
あんなに清純な時代もあった。ヒトは必ず、そう思うだろう
2013年6月2日日曜日
40年まえの北海道の風、紙芝居の神父さん、忘れない
40年まえ、1つの記事を書いた。草原を、1人の神父さんが、黄色い、大きなカバンをさげて行く。赤い屋根の家から、北海道と分かる。クルマでない。足で、回る。途中、牛さんにも挨拶する。幼稚園に着くと、神父さんの得意の紙芝居が始まる。特徴は、人物や、馬や、ヘビが飛び出して、動く。テーマは聖書。「聖書は、人間生活の根本」が信念。熱心に、絵を描く神父さん。あの北海道の風というか、神父さんの匂いというか、今でも忘れない。なつかしく思う。40年前だから、視聴覚に先駆けというか、昔・紙芝居の名残というか、めずらしかった。神父さんの、この絵を参考にして、原爆の語りべにも使った。絵で、かなりの印象を与えた。神父さんも手ごたえがあったのだろう。記事に書いておくと、忘れない。ただ名前は思い出せない。外国人の神父さんだから、名前が難しい。★今朝、カトリック新聞を開くと、1人の神父さんの訃報が載っていた。ロバート・ジュイニエ神父、フランス生まれ。老衰で亡くなった。92歳。北海道で、22年、手づくり人形や紙芝居など、視覚に訴える要理の授業や講話で評判、とある。ああ、あの神父さんだ。40年の思い出が、よみがえった。紙芝居・神父さんの冥福を祈ります。
2013年6月1日土曜日
聖コルベ館のお勤め、22年。過ぎ去った恵みの歴史を考える
6月が始まりました。もう、1年の半分に達したのですね。月日の流れるのは早いです。毎日、ブログを読んでくださり、ありがたい。感謝です。皆さんのご支援で、支えられて生きています。ブログを書き始めたのは、2009年4月からでした。5年目を迎える。日々の生活は何事もない感じですが、ブログを読めば、日々、さまざまな出来事や、思いが起こっている。苦楽の積み重ねが人生です。過去は過ぎ去ったと言いますが、やはり現在につながる。聖コルベ館の勤めに入ったのが、1991年4月でした。22年が過ぎ去った。22年は、我が人生の4分の1に当たります。当時のアルバムから写真を見つけました。これが若い頃の、トマさんです。ボケた写真ですが、今より、スリムです。60代だから、そりゃゲンキがありました。痛さ知らずでしたが、実は、これからが多くの苦労が待ち受けていたのです。今、考えると、もう、繰り返す気持ちには、なりません。覚悟は、しなければ、でしょう。「どんなに苦しくても、これは我が人生だ。自分で耐えていくしか、ない。甘えては、ならぬ」そう言い聞かせて、6月を始めよう。