長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年6月9日日曜日
希望を持って、今を生きよう。必要としている人が居るよ
今朝、思いました。「80になって、やっと、言い慣(な)れた、言葉が出て来る」と。聖コルベ館の玄関では、見学者に、コルベ少年の赤いカンムリ、白いカンムリの話から、けがれなき聖母マリアの話まで、スムーズに語れる。教会では、原爆と、母親との別れの話が語れる。また自分の病気の遍歴についても、語りは出来る。ルルドへ登れば、聖コルベのルルドと、永井博士の奇跡など、一連の話が出来るようになった。聖母の騎士の中だから、それで、いいんです。★それでも、思うんですよ。「オレは、汚れて、身は破れ、かぶれ、だけれども、必要としている人が、どこかに、居る」。一方では、「ああ、オレは誰からも、愛されていない。生きて、価値が、あるのかな」と思う時もあるのです。ゼイタクな悩みです。ニンゲンは常に、迷い、悩む者と思います。でも、こんな励ましも、あった。時々、ある人からメールが来て、「読んでいますよ」「励まされていますよ」と。分からないけど、「どこかで、必要としている人がいる」。確かに、リッパじゃ、ない。よか、ヒトとも思えないが、それでも必要として、くれている人がいる。ありがたいことだと、思います。人は、1人では、生きられない。★今度は、自分から、声かけてみては、どうだろう。「あなたは、必要な人ですよ」。きっと、その人は、喜ぶに違いない。うれしいに違いない。希望が開けるに違いない。孤独死のニュースを見ると、悲しくなる。★友よ、「オレは、ダメだ。居ても、居なくても、おんなじだ。むしろ、じゃまもの、かも知れない。死にたい」など、思わないように、しよう。ニンゲンは弱いから、落ち込んで、暗い気持ちに、なることは、ある。だが、希望を持てば、イノチをつなぐだろう。
06月04日、
返信削除「生かされて、祈る」
小崎修道士の言葉を携えて長崎立山黙想会にむかいました。
生かされているワタシ、生かされている