長崎の、陽あたりのイイ場所。それは、今から、40年ほど前に、外海で撮った、このスナップです。忘れ得ない1枚です。まだ時代は純朴だった。村の娘さんたちは、大人もそうですが、胸に、マリアや、イエスのメダイを大切に掛けていました。信仰の「あかし」ですよ。「カトリック信者です」。信者の家に生まれ、これ以外の教えしか知らない。このシャシンを撮ったのは、ドロさまの小聖堂、大野の教会でした。後ろの赤い壁は、ドロさまの壁(べい)です。ドロさまは、外海では有名ですよ。村人たちは、ドロ神父から、人を愛すること、生きる意味、神さまのため働くことを教えられた。貧しかったけれど、一本道で、幸せでした。ヒトには、それぞれ、生きる役目が、ある。この娘さん、どこを見詰めていたのか、いま思います。未来でしょうね。歳は若いが、家庭で、何らかの役割があって、せっせと果たしていたに違いない。やがて、役割は、成長して、あるいは村を出て、結婚して、家庭を持って、などなど想像すれば、その役割は、無限に広がったわけです。形だけの役割に捕らわれることなく、信じた教えも、純朴な心も、正直に、生きたいと思います。
素敵な写真、立派なご説明です。ご説明は短いけど感動させるご記憶です。もう一度、勉強になりました。
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