2021年2月28日日曜日

新聞に「小崎さん”最後”の語り部活動」。載って良かったよ。元気でるぞ

「語り部」の記事が、長崎新聞・日曜版に出た。やっぱり嬉しかったよ。4段の記事だった。オンライン設置に、院長先生やホスピス病棟の師長さんには大変お世話になっているからね。やっと肩の荷が下りました。
「焼け野原となった長崎を1人歩きながら『優越感というか、エリート意識が湧いてきた。自分でもなぜそんな気持ちになったか分からない。目の前でたくさんの人が死んでいるのに』と涙ながらに語った。「被爆者の心を研究する原爆心理学の必要性も指摘。よくぞ記者は書いてくれた。
最後には、研修職員の若い女性の感想コメントもあった。戦争が無いように、平和な世界であって欲しい、それが願いです。
★早朝、浦上天主堂の日曜ミサ後、継承課の女性から電話があった。「今朝の新聞に載っていますよ」。コロナ禍のなか、オンラインの設置も大変だった。女性職員は、よくぞ頑張った。若い人のチカラは、宝モノだよ。
夜勤明けの看護師さんに頼んで、売店が開くと同時に新聞を買ってもらった。
後ろのテレビ番組のページから開くと、中々出て来ない。「ナアーんだ」。最初の、2ページに大きく載っているではないか。
★昨日は、ホームの事務長さんと高原修道士さんが見えた。フランスのジャムさんに、トマの病人姿を撮って、メールで送った。またジャムさん宛に、昨年・放送の「こころの時代・弱さを希望に」のDVDを送ってくれるよう頼んでいた。「送りましたよ」
ホームが懐かしい。もう帰れないだろう。ホームの事が書けない、写真も撮れないのも寂しい。ホームに6年3か月、お世話になった。人は、どこで幕を引くのか、じょじょに分かってきたよ。
★昨夜も、8時に寝て、一気に、夜中の1時半まで眠った。楽のみの水を飲んだ。普通なら又、眠るのに、やっぱり夢は見なかった。4時から「深夜便」を聞くようになる。
★【ベッドの上で考える=オンライン】便利な電波が出来たものだ。今度は、知り合いのシスター5人ほどに、「信仰とは、なにか」「修道士のブッチャケ体験」を語りたいな、そんな「のぼせた」ことを眠れぬ夜に思った。
★明日は、いよいよ誕生日。「93歳の日記」に書き換えないとイカンね。早朝、ご聖体の拝領後「病者の秘跡」を受けます。お祈りください。
★【昨日の閲覧者数=統計】1405。

2021年2月27日土曜日

家々は段々、道は狭い。袖すり会う長崎人は、情が細やか、ですばい

ホスピス病棟に入って、心も落ち着きました。 毎朝、主治医の先生と、2人の医師先生が、気持ちや、カラダの具合を聴診してくれます。最近は、夜、夜中に目が覚めて、眠れない。その事を告げると、「その場合、クスリを飲みましょう」と看護師さんに指示をした。今朝は、2時半まで眠っていた。カラダに異変は感じなかった。起きて、水は飲んだが、クスリは飲まなかった。ラジオで、3時の「平成初期の歌謡曲」を聞き、4時からインタビユーを聞いた。
その頃から、カラダの背中が、「チカラが抜けた」というか「寝返りしても、落ち着かない」というか、何と表現していいのか、そんな状態になる。傍に、クスリはあったが、手をつけなかった。時折、大のトイレに行くと、水が、シャーッと流れる時がある。びっくりするよ。なぜ、こんなに「みず」が出るのか。「スイ(水)臓」だからか。ヘンな思いも、よぎる。「すい臓がん」と言われても、すい臓の働きも良くは知らない。
ここでは、注射も、点滴もなく、クスリのみで対応する。食欲がないのが、苦しい。懸命に、詰め込んで、栄養士さんを安心させたい。
★いま、「カラダを拭きますが、いつがいいでしょうか」と女性スタッフが来た。「今が、いいです」。こんな時は絶対に「後で」とは言わない。即座に対応する。背中、腕、腹部は自分で、拭きながら、チラ、チラッと、パソコンを見て、「パソコン、打ちなさるとですか。90代でパソコン、脳みそのヨカですね。向学心があります」「いや、ボケないためです」「それでも初めて見ました。びっくりですよ。若く見られるでしょう」とホメて、誉めまくった。カラダ、拭かれて、すっきりする。
★昨日の「語り部」は成功だったと電話があった。1つ、言い忘れたね。「当時の家賃は、月額10円、三菱兵器少年工員の給料は、70円から80円だった。充分に暮らしていける。母は家に居て、着物の縫物を楽しんでいた。母は、いつも着物を愛していた。「かあちゃん、あと2日で誕生日だよ」。この日、誕生日に、病院の関口神父さんに、早朝のご聖体拝領の後で「病者の秘跡」を受ける予定です。
★【ベッドの上で考える=寂しいね】コロナの関係で、病室には面会人、見舞い人が全く入れない。やっぱり寂しいね。長崎県は、緊急事態宣言から解除になった。だが「3蜜」は避けよう。
★【昨日の閲覧者数=統計】1508。

2021年2月26日金曜日

ガンを病みつつ、最後の出番。原爆体験を語る。話しながら2度泣いたよ

昨日の「語り部」は、「ガンを病む・最後の語り部」でした。これまで沢山の語り部を務めてきましたが、「これが最後でしょう」の気持ちで望んだ。聞く皆さんは、語り部や一般の人ではなく、平和推進協会の継承課の職員さん達でした。だから引き受けて、熱意をもって語りました。午後2時から、3時30分まで話つづけた。最初は、舞い上がっていたが、後半は、落ち着いて、心の内を語った。初めて話す内容で、自分でも満足した。
★「なぜ17歳の自分は、原爆当日、8月9日に行動しながら、『優越感』『今でいうエリート感覚』になったのか」。その背景には、13歳から15歳まで、脊椎カリエスを病み、病床に釘付けにされた過去。快癒して、歩ける。戦争は激化し、少年工員として働く。当時の考え、思想は「人命軽視」です。人間よりも、精工な四尺旋盤が大事だ。トンネル工場の中で、被爆後、銃に着剣した海軍監視兵に追い出される。それから一人、原爆の丘を歩く自分があった。
★一瞬にして世界が変わった。緑の風景が、燃える黒い木々に変化する。浦島太郎の「玉手箱」から噴き出た「けむり」と一緒だ。
自分が取った行動は、「助けたくない」。私を叩いた先輩工員に、出会った。叩かれた事で仲間が助っ人して、決闘が行なわれる予定だった。その彼が、重傷を受けて、転がっている。「オレの勝ちだ、ざまーみろ」
そこから優越感がふしぎと湧いた。それは語ってはならぬ「心理」だった。ああ、いう体験は、本当に悲しい。語りながら2度泣いた。
★無事に、最後の語り部の務めは終わった。継承課の皆さんは、喜んでくれた。トマの気持ちは、ラクになった。
★いま、主治医と、もう1人の女医さん、看護師さん、記録の看護師さん、4人がかりで回診があった。8時半から寝て、グーッと、夜中の1時半まで、眠る。楽のみの水を飲む。普通ならば、また眠るが、背中が痛んで、何とも言えぬ疲労感に四苦八苦する。主治医に、その旨、伝えた。食欲は無いが、出された食事は食べている。
★【ベッドの上で考える=語り部バンザイ】良かったと思うよ。語り部は、平均年齢、85歳という。もう、しばらく歳月が経てば、居なくなるだろう。継承課の出番がくる。そのお手伝いが出来たのは、嬉しい。
★【昨日の閲覧者数=統計】1553。

2021年2月25日木曜日

ホスピスの第一日。明るい朝が、重なる家々の上から広がった。語り部を

今月の5日に入院。昨日、24日に、やっと「ホスピス病棟」に入った。
「ああ、ここが、オレの、落ち着き場所か」。窓からはサン、サンと陽が差し、山に重なり合った家々、マンション、病院が迫って見えた。聖母の騎士の山口院長神父さんが、移転に立ち会い、見守ってくれた。
「湯江より、長崎が、近かうーゥ、なった、ばい」。どこで生まれて、どこで幕引くか、神さまの、なさること、たい。「何も、心配すること、なか」。
★高原修道士さんが、髪にバリカンを入れる。看護師さんから借りたバリカン。「明日は、いよいよ語り部の出番。いい男に仕上げてくれよ」「任せない。セルギウスさんの髪の毛もよく切ってやったから」。高原さんは、3年程、入院中のセルギウス修道士さんを見守った。「帰ろうと、離れると、『どこ、行くの?』『修道院へ帰る』『帰りたか』そんな会話を交わしたよ」。セルギウスさんも、この病院へお世話になった。ご縁の深い病院です。聖堂もある。ミサもある。
★今朝の、病室の夜明けです。太陽が上がる。最初の朝です。ここは4階だから、チリン、チリンのご聖体は、15分遅かった。看護師さんに「明日は、6時に、熱いタオルを」と願った。
★いよいよ語り部の日。平和推進協会・継承部の職員さんたちの「研修会」の感じ。題は「十七歳の少年が、8月9日に感じた、原爆心理」。原爆、当日に「こだわる」。それは降下されたままで、誰も手をつけなかった。その地を歩く、17歳少年の心理に迫る。
★【ベッドの上で考える=生きよう】なにも、ホスピスに入ったからとて、落ち込むことなんか、ないよ。イノチは神さまのことだからね。今日は、午後から、忙しくなる。
★【昨日の閲覧者数=統計】1268。

2021年2月24日水曜日

木は茂る。歴史を知る者は、いない。神学校から病院へ。岩永ヨゼフさん

病院の最初の建物は、浦上・神学校でした。病院の廊下に、その写真が飾られている。戦争中は、各家庭に、子供が多く、神学校は司祭を夢見る男子が学んでいた。浦上・神学校は、フランシスコ会で、市内には4つの神学校があった。聖母の騎士も、その1つだった。秋の運動会は、4つの神学生たちが競い、賑やかに盛り上がった。聖コルベ館に、当時の日記が残っている。神学校は、軍部によって休校となり、神学生たちの賑やかな声は消えた。
★神学校は、浦上第一病院となる。結核治療の専門病院だった。原爆によって、多大の損傷を受ける。原爆の月の最後の日曜日に、この廃墟になった病院で、ミサが行なわれた。トマは、祈りに参加した。病院に残ったのは、1本の木、タイサンボクの木だった。原爆の生き残りである。確か、トマの思いに記憶されている実話は、この木を植えたのは、神学校時代の修道士・ヨゼフ岩永さんである。トマは、このヨゼフ岩永修道士を今でも顔も姿も覚えている。
★戦後、浦上第一病院は、聖フランシスコ病院となる。そこから、この病院の歴史は始まる。
修道士・ヨゼフ岩永さんは、病院で働き、布教活動に専念した。『聖母の騎士』誌を愛読し、自費で、100冊程購入して、配布・宣教した。その熱意を、トマはよく知っている。その活動は、長年、つづいた。
タイサンボクは、見事な木に成長している。
★人間の生涯も、そうだ、よね。タネを蒔くもの、水をそそぐ愛、それによって成長し、年輪を重ねて行く。
昔になった岩永ヨゼフ修道士のことを、今も覚えて、感心しているトマがいる。木は、それを知っているのか。トマの病室から、タイサンボクの木は見える。いとしいと思う。
★今日の3枚の写真を撮ったのは、看護師主任さんだった。頼んで、撮った。
★昨夜は、8時から、夜中の1時まで、一気に、キューッと眠った。その後、背中の痛みで、眠れない。起きて、背中をさすり、血行をよくする。水を飲み、休んだが、眠れずに朝を迎えた。
★【ベッドの上で考える=今日は、何かが、起こりそう?】病棟の看護師長さんから、部屋を変わります、と言われた。ホスピス病棟に入れるらしい。よかった、と内心、喜んでいる。いよいよ、十字架、カルワリオへの道に入れるのか。主よ、御身と共に歩みます。聖母マリアよ、トマにも、寄り添い給え。
★【昨日の閲覧者数=統計】1605。

2021年2月23日火曜日

まだ、まだ生きる。生きる事に価値はある。人生の幕引き、もう少し待て

奇妙な「絵はがき」が届いた。北海道の知人からだった。「自分は、病を得て、間もなく逝く。このカードを持って、先にお知らせしたい」。彼は、間もなく亡くなった。思い出の深い知人だった。
★私たちは、生かされている。自分で生きているのでは、ない。生かされている以上、誰の人生にも意味がある。例え遠まわりの道を歩んでも、その人の人生、輝く時も来る。逝った彼が、そうだった。
★軍人に憧れ、陸軍の学校を受験し、合格する。「よし、やるぞ」と気合を入れたことろに終戦。「中国へ渡って『匪賊』になろう」。ドン行列車で長崎へ。食料事情も悪く、着いた時には、チカラも抜けた。
★見渡せば、教会の十字架。神父と交渉し、送られた先が、ゼノ修道士、ミロハナ神父が開いた戦災孤児・男子の施設だった。『匪賊』は諦め、洗礼を受ける。3年が経って、修道士を志願した。その時、トマと友好を交わした。修道生活に勤めていたが、体調を崩して、地元・北海道へ帰る。長い放浪の旅だった。自動車販売会社に勤務して、売れに売れた車のおかげで、生活は安定し、結婚もした。長崎で培った信心も忘れず、地元の教会に奉仕・尽力した。遠まわりした人生だったが、稔りはあった。晩年は、夫妻で、ホームに入居する。温泉町だったので、トマも何度か、温泉に入りにおじゃました。その彼からの悲しい知らせ。もう何年が経つだろう。
★トマは、まだ「ススキ」も絵は早い。これからも生きる希望は持つ。まだ、まだ、必要としてくれる人も居るだろう。
★私たちは、生かされている以上、誰の人生にも、意味があり、価値がある。生きている自分を大事にしようでは、ないか。
★夜中に、腹部が、ジグ、ジグ、痛む。食欲が全くないのが、ツライ。でも、食べる事は、生きる事。精いっぱい、がんばろう。生きていれば、いい事も、あるさ。【写真・哲&ミキ】
★【ベッドの上で考える=幸せモンよ、トマは】なんの心配は、ない。悠々暮らしている。感謝の気持ち、あるだけ。
★【昨日の閲覧者数=統計】1310。

2021年2月22日月曜日

フランス・ジャムさんから電話。1パイの水は、愛と、イノチに、広がる

昨夜、8時。寝る準備中に、フランスのジャムさんからの電話。「元気に、しています。ただ食欲がない」。ジャムさんは、毎日、トマの日記を読んでいるので、状況は分かる。コメントも寄せている。ありがとう、ジャムさん。
【ジャムさんとの出会い】10年程前、まだ聖コルベ館に居た、ある夏。からだの大きなジャムさんが、汗だくで、見学に来た。コップ1パイの水を飲ませる。コルベ神父が開いたルルドのお水。この1パイの水が、大きな広がりを持つなんて、誰が想像できよう。
その後、トマはホームに入る。ジャムさんが面会にやってきた。再会を喜ぶ。ちょうど「トマさんのことば」を出版した時だったので、1冊、差し上げた。フランスに帰ったジャムさんは、それを「フランス語版」に変えて、フランス人に見てもらった。その熱意に、トマは感動した。
【続編の話】ジャムさんは、イタリア・バチカンへ行き、教皇さまの一般謁見に参加した。大群衆の中で、日本語が耳に入る。日本人のシスターだった。親睦になる。実は、このシスターは留学中で、両親は、ホームで働いている。父は、事務長。母は、同じホームの介護士。シスターとの出会いの後、両親は、娘が居る間に、巡礼を実施した。
フランス・ルルドや、その周辺は、ジャムさんの親切な案内を受ける。両親は、感動して、すばらしい巡礼を果たしたと喜ぶ。
【続々編の話】「トマさんのことば」を手にしたフランス・パリのカトリック新聞の女性記者が、トマを取材にホームへ来た。通訳は、長崎外語大学の先生だった。取材の後で、女性記者は、バッグから「トマさんのことば」を見せて、ほほ笑んだ。
教皇さまが日本・長崎へ巡礼された日、フランスの新聞に記事は掲載された。これもジャムさんとの出会いの広がりだった。フランスの記事になるなんて、嬉しい。
【ジャムさんとの電話はつづく】「ジャムさん、3月1日は、トマの誕生日だよ」「そうですか。実は、逝った妻・『マリアりか』の誕生日も、3月1日でした。『マリアりか』さんは、2人の子供を残して逝った。
ジャムさんは深い悲しみの後、人生の生き方を変えた。社会貢献、信仰生活に力を注ぐようになる。ジャムさんの熱意。度々ホームにも訪ねて、事務長や介護の母親など、取り巻く人も増えた。
『マリアりか』さんのお母さんは、日本に、92歳で健在と言った。
電話の声は、近かった。ジャムさん、ありがとう、トマは、また泣いたよ。「ジャムさん、いま、そちらは何時?」「昼の12時です」。ああ、ランチ・タイムか。トマは食欲は無いけど、フランス・パンと、ワン・カップのワインを飲みたいね。
★【ベッドの上で考える=水の先は、愛と命】1パイの水が砂場に落ちると、茶色く水は広がるだろう。水の先に、何が有るのか。主イエスは、カナで最初の奇跡を行ない、水をブドウ酒に変えられた。そのブドウ酒は、最後の晩餐の時、主の御血に変えられた。兵士がヤリで突くと、水と血が流れた。私たちは、誰もが、神の愛と『いのち』に生かされている。愛と、『いのち』を受け止めて、感謝することが、人の生きる道でしょう。
★【昨日の閲覧者数=統計】1243。

2021年2月21日日曜日

苦しみ、悲しみ、痛みがあるのは、生きている証拠。気力と希望で超える

【写真は、聖フランシスコ病院の玄関の庭にあるアシジの聖フランシスコとオオカミ=撮影は病棟看護師主任さん】
★少年は、フランシスコ修道会に入り、晩年は聖フランシスコのホームで暮らし、今は聖フランシスコ病院に入院中です。「おもしろか、ばいね、フランシスコ詰めで」。ゼノ修道士さんは私たちを「坊ーや」と呼んだ。貧困者の寄付のため外出すると、誰でも「親方(かた)」と呼んだ。呼ばれた人は喜んで寄付した。
★父なる聖フランシスコは、修道士たちを「フラテル=兄弟」と親しんだ。星や花や小鳥は「姉妹」。動物やオオカミは「兄弟」。ある村に、危害を加えるオオカミがいた。聖フランシスコが近寄り、「兄弟オオカミよ」と呼び掛けた。するとオオカミは「親かた」と頭を上げて、承知し、それからは危害を加える事がなくなった。「要するに、こころだよ。『こころ』が通じれば、平和がくる」
★昨日は、東京の「元日のエリザベット」さんと、ダンナさんと、パソコンのレンズで、姿を見ながら会話ができた。初めて、ダンナさんに出会った。操作のやり取りをしてくれたのは、看護師主任さんだった。「便利な、モンな」と、トマは感心した。
【写真は梅の花=撮影哲&ミキ】
★夜は、ゆっくり眠った。1時頃に目がさめる。深夜は、静かだから、おなかに神経が集中して、ググっと痛む。また4時過ぎまで眠った。食欲は、ない。
★生きるとは、苦しみとは、孤独の悲しみ、出会いの喜び、声をかける力強さ、これまで生かされた感謝がある。幸い、不自由がない病院生活。ひとりで生きる。「よく生きてこられたね。苦しかったろう」。故人となった人を想い、声も聞こえる。「支えられて、生きているよ」
★鎌倉の男性から、これまで日記で、「トマさんの言葉」で、心に残る文章をプリントして、送ってくれた。「ああ、こんな言葉も、書いたんだ」
★沢山の皆さんに支えられて、トマは幸せモンだよ。「トマさん、トマさん」「ハイ、ハイ」「祈っとる、ばい」「ありがとう」「急がずとも、よい。ゆっくり歩みなさい」
★【ベッドの上で考える=サンデイ毎日】今日は日曜日。ご聖体拝領。ベッドの日々に、曜日はない。あと1週間後、いい事、あるよ。タン・ジョウ・ビ。
★【昨日の閲覧者=統計】1375。

2021年2月20日土曜日

入院、半月は過ぎる。病院生活にも慣れる。残る気合いで、最後の語り部

入院して、早いもので、15日。半月が過ぎた。朝、一番に、高木先生から電話。「どうしている?欲しいモノは、ないか。何でも言いなさい」「落ち着きました。日に3,4回、トイレで、水の流れる便が出る。痛みは、ない。昨夜は、ゆっくり眠った。入院生活にも、慣れました」。ホスピス病棟の加藤周子先生が聴診。体調を報告。半月も寝ていると、腰も痛くなる。体力を落としたくないが、食欲が、ない。どうしても「食べたい」気持ちにならない。
★原爆資料館・平和推進協の継承課から、スマホの借用。課長さんから、スマホに映像が入る。「小崎さんの語り部を、職員に聞かせたい。お願い出来ますか」。ありがたいお知らせ。ぜひ応えたい。何百回と語ったが、おそらく最後の語りになるだろう。コロナの時代、事はそう簡単には運べない。でも、元気のあるうちに、早いうちに、望みたい。見た事、行動は語ってきたが、17歳の少年が、何を感じ、心情を抱いたか、語れぬ話を、真実に語りたい。
★【ベッドの上で考える=語るも恵み】入院しても、がんになっても、語る場が与えられる。幸いなことです。どこにでもチャンスはある。生きている限り、希望は、ある。
★【昨日の閲覧者数=統計】1186。

2021年2月19日金曜日

食べないと元気が出ないよ。ありがとう、広島・見舞客。1パイの水の話

全く、食欲が、出ない。すい臓がんの症状の1つか。食べたい気持ちに、ならない。どうして、こんなに成ったのだろう。
病院の栄養士さんは、トマと打ち合わせをして、細かい配慮の、愛情こもったメニューを出してくれる。でも、サカナは、どうしてもダメ。「主になるオカズ」は、手がつかない。牛肉が、出た。これは全部、食べた。
★(土)(日)は気力も体力も失せた。(水)(木)は、元気が回復した。痛みは、ない。ハラも、まあ、まあ。ホスピス病棟の加藤周子先生の聴診。
★【神の島の教会=写真は哲&ミキ(先日の2枚の写真も)】広島から来た母と、息子さんと一緒に、かつて、この教会に巡礼した。夕方、母、八智子さんに電話する。「もう、広島、着いた?」「いや、まだなのよ。雪で、九州道が使えない。まだ車の中」「ありがとう、ね。ありがとう」。トマは泣いたよ。「でも、よかった。息子と、久しぶりに、ゆっくり話しが出来てよかった」。夜、8時、電話、「いま、着いた」
★夜中、1時過ぎに、目がさめた。水が飲みたい。楽のみに、手が届かない。しばらく考えたあげく、起き上がって、楽のみを引き寄せた。無呼吸のCPAPを装着しているので、口元はテープで止めてある。唇を少しあけて、水を飲んだ。「1パイの水」。どれほど、ドラマがあるだろう。数日前のコメントにも、「リンゴ・ジュースを頂いた」とあった。フランスのジャムさんとの出会いとご縁も「1パイの水」だった。無言の水は、愛を語る。
★昨夜、湯江修道院の濱田盛雄神父さんから電話。「トマさんのため、ミサを捧げるからね」「ありがとう、心して、神さまの導きに委ねます」
★毎朝、ご聖体を拝領できて、ありがとう。カンテラ持ったシスターが、今朝、言った。「ブログ、読みましたよ」
★【ベッドの上で考える=知識の広がり】テレビは全く見ない。白浜さんが差し入れた999円のラジオを聞いている。昨日、今日と、初めて「深夜便」を聞いた。聖コルベ館に居たときは、毎朝、聞いていた。ベッドに居ても、知識は広がる。
★【昨日の閲覧者数=統計】1276。 

2021年2月18日木曜日

長崎に、めずらしく雪がふる。見舞いに来た広島の車は、寂しくも去った

広島から八智子さんが見舞いに来る。コロナで、面会は禁止。トマの病室は、二階。窓を開けると姿は見える。声も、届く。
わざわざ、広島から、来て下さるなんて。想像も、しない。広島から、車の運転は、息子さん。八智子さんのお母さんも、すい臓がんで、91歳で逝かれた。自宅で療養。看病・介護したのが、隣で杖をつくツネ子さんだった。トマは、ツネ子さんの看病姿も見てしっている。喜びの出会いとなった。
★翌日は、長崎にも、珍しく雪が降った。昨夜、長崎に泊まった親子は、雪の朝に、会いに来た。これから広島へ帰るという。
八智子さんは、しっかりとトマを見詰め、励ました。その心情が伝わる。お母さんを、すい臓がんで亡くしているからね。祖母と、母と、息子の3代は、息子が幼い頃にオラショの旅に参加したご縁に始まる。長い付き合いがあった。最後まで、心配してくれるのは、ありがたい。「これで、お別れに、ならんよね」
★昨夜は、安心して、ゆっくり眠れた。今朝は、湯江修道院の濱田神父さんに電話で報告をした。「とにかく、ふしぎに食欲が全くないんです」「サシミを食べれば」と濱田神父さん。釣スキの濱田神父さんに言わせれば、「サシミ」が元気のモト。「食べさせて、やりたい」気持ちが分かる。
★おなかの痛みは、ない。ハラも、スッキリ。歯茎のハレは、癒えた。白藤先生、加藤先生。歯科衛生士、栄養士の主任さんが来る。主任さんは、ホームの栄養士さんと大学で同期で、よく知っている仲ですよ、と言った。身近に、こんな縁が有るのが嬉しい。まだ押し車で歩ける。元気は、出る。
★雪の中、広島の車は、遠ざかった。駐車場から、黒い車が消えるまで、眺めていた。
★【ベッドの上で考えた=遠来の客】広島から、長崎まで、面会に。禁止と分かって、訪ねてくれる。深い心の「つながり」を強く感じる。八智子さんとダンナさんと、2人で、広島・繁華街の牛肉専門料理店で、「ホンモノの、テール・スープ」をご馳走になった。あの味だけは、忘れない。店主が言った。「予約しないと食べられない食材ですよ」。ああ、今なら、食欲が出るかな。
★【昨日の閲覧者数】1276。

2021年2月17日水曜日

眠る夜、眠れぬ夜も、あり。逝った親友を思う夜。彼の思い、いま生きる

昨日は、歯の前歯の歯茎がはれて、痛む。院内の歯科衛生士さんに来てもらって、診察。主治医の先生に連絡して、クスリを処方。
夜は、横腹からの痛みはないが、腹部が張って、苦しい。寝られぬ夜もある。尿は、出ている。
★いつか読んだ「死に行く心理」の本。いま思い出す。➀がんの告知の「おどろき」。②なぜ自分が、の「怒り」。③死んでたまるか、の「反抗」。④受諾する「あきらめ」。⑤苦しみに耐える「辛抱」。最後は、ありがとう、の「かんしゃ」。
★終戦の年、小神学校で、同級生として知り合った彼が居た。トマも彼も、修道士の道を歩いた。トマが結核で倒れた時、修道院の病室で、彼は看護し、背中の横から出る膿(ウミ)のガーゼ交換を毎日、勤めた。ある日、その彼が、部屋をピカ、ピカに拭き、磨いた。「今日で、修道士に別れを告げる」。
★社会に出た彼は、修道者で学んだ信仰を大事に、教会の為に尽くした。浦上教会の信徒会長を務め、天主堂を改装して、教皇さまを迎えた。市民としては文才があり、地方文学の同人となり、数々のキリシタン小説を書いた。
★トマは言った。「お前は、エライな。オレは、そこまで、やりきらん。負けるばい」。彼は、言い返した。「病気を病んでも、がんばる。お前には、アタマが、あがらん」。その彼が、ある日、トマを訪ねた。「かん臓がん、なったよ。1枚、色紙に、お前の字で、言葉を書いてくれ」。彼が選んだ言葉が、「みむねの、ままに、我に、成れかし」。そして、いま、トマは、ベッドで、同じ思いで過ごしている。
★【ベッドの上での思い=人生の友】あなたに出会ったおかげで、友情、兄弟愛、励まし合う心を知った。お前の存在は、トマが生きる限り、生きている。親友とは、そういう事だ。
★【昨日の閲覧者数=統計】1344。 

2021年2月16日火曜日

病状は、浮いたり、沈んだり。助ける人だったミロハナ神父の命日。祈る

昨夜は、腹部の痛みもなく、安らかに、良く眠った。尿も沢山、出る。「夜中の見回りに、何度も来たが、良く寝ていたよ」と男性看護師さん。朝食も全部、食べる。昨日は、栄養士さんが来て、メニューを話し合った。食事に効果も出ている。充分の尽くし、あり。
★入院以来、テレビは全く見ない。白浜さんが小さなラジオを差し入れした。
★昨日、山の修道女院から、シスターの電話。「ミロハナ神父さまの命日よ。シスター全員で、お墓参り、祈りました」。忘れてならぬミロハナ神父さん。原爆後、抱きしめてくれたのが、ミロハナ神父さん。トマ、修道士人生の始まりだった。
★ミロハナ神父さんとは、どんな人?「とにかく、困った人が居ると、無性に助けたくなる神父さん」
★戦争が終わると、山林80ヘクタールの広大な土地を寄付してもらい、福祉のための建物を次々建てた。戦争孤児、少年たちの施設、学校。身寄りのない大人、老人たちの別々の家。「困った人は、誰でも、助ける」。最後は、心身障碍者の巨大な施設を幾つも建てた。
結核を病むトマも、施設の傍の修道院で、11年間、助けられた。その時の会話。「フラテル(兄弟)トマス、どうですか?」「苦しみばかりで、少しは楽があると、いいですが」「いや、いや、苦しみだけでですよ。苦しみ、苦しみ、喜びがある」
健康を回復したトマ修道士は、施設の中にある私立の小・中学校の校長を6年、勤めた。秋の運動会には、来賓テントにミロハナ神父は姿を見せて、応援した。最後の運動会には、神父さんは疲れ、痩せていた。笑い、拍手で応援した。
★その数か月後、ミロハナ神父さんは、コルベ神父の所へ旅立った。その日が、昨日だった。
★【ベッドの上で考える=人助けの裏】この世にも、こんなに助ける人がいる。無性に助ける人がいる。ポーランドからコルベ神父と長崎に来て、戦争中は、憲兵隊や特高警察から監視・迫害された。戦争が終わって、彼らは謝りに来た。「笑い、温かい握手」で、「赦し」から、ミロハナ神父の戦後は始まった。「助ける心」の先に、何が、あるのか。「人を愛し、神を愛する心がある」。ミロハナ神父さんは、それを実体験していた。だからミロハナ神父は、病めるトマに言った。「苦しみは、喜び、だよ」。いま、トマは、病院で、苦しみつづけている。
★【昨日の閲覧者数=統計】1479。

2021年2月15日月曜日

修道士の人生で良かったよ。恵まれていた。沢山の出会い、ご縁があった

トマの足を洗ってくれる看護師さん。
ありがとう。お世話になっています。

★少年の頃、トマは司祭になりたかった。
病気・結核を病み、健康になった時、修道士になりなさい、と勧められた。そのまま受ける。いま考えれば、司祭にならずに、修道士になって、よかったよ。オラショの旅や、語り部で、カトリックでない人との沢山の出会いがあった。ご縁もできた。神は、トマを、修道士の道へと、導いた。
★修道士の背の高さも、あなたの背の高さも、同じだよ。トマが、あなたの背をポン、ポンと叩いてあげる。さすってあげる。あなたはトマの背中をポン、ポンと叩く。おなかを叩いちゃダメだよ。そうした人間的な交わりが有る。それが、いいんだよ、ね。 
★昨日は、午後から、腹部が腫れた感じで痛く、苦しかった。7度5分の熱もある。血圧は、108、55。少し低め。夕食は食べない。食べたい気持ちにならない。高木先生が持ってこられたアイスを食べた。尿の出方が少ない。「すい臓」さんに、「腎ゾー」さんも病んでいる。複雑な、予感もする。今は、手当は、しない。見守るだけ。お任せの気持ちで生きる。今朝は、熱も6度2分に下がる。血圧は低めだった。何とか、朝食は食べた。
★【ベッドの上で考える=ウサギと亀】トマは若い頃から病み勝ちだった。周りには、みな、元気な修道士、司祭がいた。彼らは、泳ぎがウマイ。走るマラソンに強い。いわば、ウサギのように、ピョン、ピョン跳ねていた。トマは羨ましく眺めた。トマの歩みは亀のよう。ゆっくり、ゴソ、ゴソ歩いた。何十年が経って、いま元気だった彼らは、トマの周りには居ない。ゴソ、ゴソ歩いていたトマは、いつしか修道会日本管区で、最高齢者になった。カメは歩く、いつまで歩けるか。この先、イノチは神さまのことです。
★【昨日の閲覧者数=統計】1356。

2021年2月14日日曜日

祈りと愛と清さ。人に語れぬ『業(ごう)』。原爆少年には清さがあった

毎朝、早朝、定刻、「チリン、チリン」の鈴の音が近づいてくる。ベッドに座って待つ。「キリストのからだ」。拝領する。しばらく黙して祈る。長い人生、振り返れば、人には言えない、神に反する破戒の時期もあった。その時は深く痛悔もした。しかし今、心の何処かで、「あれも人間、体験の一つだった」と受諾する『業(ごう)』の深さに悩む。
今日の福音。主は言われる。「清くあれ」。清さと『業』の狭間の中で、まだ悩む。
★「小柄で、丸顔、気合いの看護師、日記に書かれたよ」と元気よく入ってきた。「調子は、どう?」「いや、腹が痛い。おなかも張る」「ガマンは禁物よ、入浴もあるし、痛みを無くしておこう。坐薬を入れよう」。ほんと。坐薬を入れると、腹部がジワーッと安らかになり、落ち着いた。この看護師さん、勤続22年。入った頃は10人程のシスターが働いていた。シスターの本部。アメリカ・シカゴの5つの病院を視察・研修した旅の思い出もある。
★ホームの瀧神父さんから電話。「トマ、おらんから、さびしいよ」
★ヨゼフ・クリニック高木先生から電話。「どうね調子は?」「痛みと、食欲がありません」「アイスクリーム、食べられる?」「はい、なんとか」「アイス、持ってくる」
★昨夜は、痛みもなく、一晩中、眠った。だが、じょじょに迫るモノを感じる。
【ベッドの上で考える=ただ今、浦上】ホームから入院。浦上に戻って来た。浦上は、母の故郷。朝鮮から療養で伯母(母の姉)の家で旅装を解いたのも、浦上。原爆前、母と暮らした4年間は、浦上。原爆で廃墟と化したのも、浦上。
原爆が落ちた月の最後の日曜日。ここ聖フランシスコ病院の建物(当時は結核病院、建物の外郭は残った)で、ミサが行なわれた。ミサで祈る。負傷者たちが床に寝たまま、祈りを捧げた。何を祈ったか。行方不明の母のためか、自分のこれからの生き方か、戦争のない平和か、その時は、「清い」少年だった。
【昨日の閲覧者数=統計】1240。

2021年2月13日土曜日

「すい臓がん」の症状が、体験的に分かる。徐々に、押し寄せる荒波か

食欲が、全く、ない。
食べようとする、気持ちに、ならない。
栄養士さんが、調査に来て、小1時間ほど話した。
すると、その日の昼食から、メニューが、すっかり変わった。食べやすいソーメン。大好きな牛肉が、初めて出た。ゆっくり噛みしめて食べた。残りの汁まで、すすった。必ず、小箱のカロリー・ドリンクも付けてくれる。有り難いと、心して食べた。まず食欲が無くなり、体力が減少していく。
★寝るときは、「おしめ」を使用。2人が来て、着装してくれる。1度は寝たが、どうも腹がふくらみ、苦しい。コールを押して、呼んだ。「ごめんね、はめた、のに」「いいよ」。トイレで、腹のモノを出す。すっきりして、眠りについた。
★2時間ほど眠ると、痛さで、目覚めた。腹の左側、脇腹から、ジュっクリ痛みが起こる。痛みは、腹の中央へと移行する。これが「すい臓」の痛みか。ちょうど、暗やみの中に看護師さんが見えた。「ちょっと、ちょっと」と声かけたが、「スーッ」と消えた。(ああ、見捨てたか。逃げたのか)。悪い方へ解釈する。1時間、悶々として、コールを押す。先の看護師は仮眠らしく、別の看護師さんだった。「イタイ、痛い」と訴えると、トイレへ連れて行った。
出る物は出すと、気持ち的にスッキリする。また2時間ほど眠った。とにかく昨夜は、悶々の夜だった。これが「すい臓がん」の痛みの始まりか。少し体験的に理解した気になった。これから荒波に襲われるのか。これからの現実は、厳しい。耐えて行くしか、ない。
★【ベッドで考えたこと・思いやり】朝、6時。逃げた看護師さんが温かいタオルを持って来た。「声、かけたのに、逃げたね」「え?そうじゃないわよ。声、聞こえなかった。起こしちゃ悪いと、思ったのよ。ごめんね」「いや、いいんだ」。理由を聞けば、問題は解決する。こうした日常の現実で、思い尽くしても、ある時は、嫌がられ、また、ある時は、喜ばれる。ニンゲンの気持ち、誤解しやすい社会は安全歩行が難しい。看護師さんは、帽子を被る式で、病者に誠意で尽くすのを決意する。「逃げた」なんて、思うお前が最低だよ。看護師はイヤな作業でも真っ向から向かい合っているでしょう。その心があってこそ、我々病者は救われる。ある時は、病者も、ガマン、せにゃ、ならんわいね。
★【昨日の閲覧者=統計数】1283。

2021年2月12日金曜日

いま思えば入院は神の導き。西坂の丘に着いた。生者と死者は、つながる

看護師さんが持っている「尿の式別表」。
この度のトマの場合、一番下の「クロ」だった。こんな色の尿が出たら、さすがにトマ修道士でも、おどろくわね。
早朝、病院でも、この色。即、入院となった。2月5日の「日本二十六聖人・殉教者」の日でした。今、思えば、これは突如、手を引かれた神さまの導きであったと、感謝しています。入院になって、安心する。
入院は、西坂の丘に着いた所です。
★これから十字架に磔(はりつけ)になる。
泌尿器科の先生のお陰で、50㏄の点滴を、朝6時、昼12時、夕方6時、夜の11時に続けて4日間受けて、尿は黄色くなった。
ボウコウにカメラを入れて、調べてもらう。「がん」は、ない。ボウコウの壁が微秒に薄く、カメラを入れても血がにじむ。「大きな穴は、ないですか?」「ありません」。いま尚、謎の、ふしぎな血液尿でした。
★入院しても、食欲はない。痛みが少しある。昨夜は、初めて良く眠った。
★昨夜、電話で広島の女性と40分間、話をする。「母が、91歳で『すい臓がん』で逝かれた。告知されて、6ヶ月生きた。殆ど、自宅で静養した。痛みは、なかった。亡くなる1か月前に、ホスピスに入院。それからが早かった。楽しい思い出が一杯ある。オラショの旅にも何回も参加し、ポーランドへの連れて行ってもらった」。ああ、やっぱり、すい臓がんは、死ぬのだな。
★【ベッドで考える=死者と生者】死んだら、会いたい人がいる。父に、母。伯母さんや従弟の幸雄修道士、ミロハナ神父に、シスター。コルベ神父やポーランドの修道士たち。これらの人に会いたいと思うのは、実は、いま生者の私の心身に、彼らの痕跡が残っているからでは、ないだろうか。そう、そう、原爆の丘で、見捨てたタンカの女性にも会いたい。死者は生者に『つながり』、生者は死者に、つながる。人生には、分からぬ事が多くある。だから人間は、おもしろい。
★【昨日の閲覧者=統計】1435。

2021年2月11日木曜日

がんばれ、トマさん。東京から女性の見舞客。昨夜は、腹部の痛み苦しみ

東京近郊から1人の女性が、お見舞い、面会に来た。病院は、現在、厳しい面会禁止。(受付で、どういうやり取りがあったか、知らないが)、トマは車椅子で、看護師さんに押されて、人通りの少ない玄関へ。(その時の写真)。屋外に見舞いの女性と案内の女性職員さん。
2、3年前に、水浦神父さんの案内で、ホームに訪ねてきた女性だった。以来、時々「とらや」のヨウカンが送られてきた。
外の女性は、両手を振り、廊下のトマは合掌する。マスクと二重の扉にさえぎられて、声は聞けない。
案内の職員さんが、小さい紙袋を言付かって、渡しに来る。それだけで車椅子は廻された。両手を振って、別れた。わざわざ来てくれるなんて、深く、熱心な愛情を感じた。ありがたい。温かい、こころが伝わってくる。
★20分後、公衆電話から女性の声。「朝、6時に東京駅を新幹線で出て、午後2時に長崎駅に着いた。直ぐ聖母の騎士へ。水浦神父さんに会い、ひとりルルドへ、トマさんがテレビに出ていた思いを新たに、マリアさまに祈った」
(時計を見ると4時)「今日、どうするの?」「疲れたから、ホテルに泊まります」
★この女性は、中国人。祖母は、上海のカトリック天主堂で洗礼をうけた熱心な信者。その影響で、自分もカトリックになった。東京のカトリック教会に通い、神の愛に生きるチカラを祈っている。
★今夜の夜勤は、小柄で、丸顔の、気合いの入った看護師さんだった。「日記、見たよ。私が撮った写真、載っていたね」「撮り写りが良かったからね」。夜8時、その看護師さんが寝る前の薬を持ってくる。8時半には眠りについた。12時半頃、痛みで、目が覚める。左側の横腹から、中央へ、ジーワッと、痛みが広がる。日中は、周囲の雑音で気がまぎれる。夜中には、腹部に神経が集中する。だから痛みを強く意識する。おなかが、大きく、ふくらみ、膨張して苦しい。(ヤバイぞ、これなら早く逝くかも?)
★ちょうど、その時、あの看護師さんが見回りに来た。「ハラが痛い。おなかが、苦しい」「先生に診てもらおうか」(夜中の1時だよ)「だいじょうぶ」と返事。「ムリは禁物。楽になった方がいい」。しばらくて、「『ざやく』をしようか」。トマの頭の中では、『ざやく』も『浣腸やく』も一緒。こんがらがっている。「下痢、するでしょ」。ヘンに思いながら看護師さんは『ざやく』を入れた。やっと楽になった。2時間程、眠った。ガスも出る。
★朝、6時。あの看護師さんから「おはよう」と、熱いガーゼ・タオルを3枚渡された。起きて、おしめを外す。自分で、周辺を拭き、更に手持ちのウエット・タオルで拭う。「今夜の出来事、日記に書いて、よかね」「バン、バン、書きなさい」「えー、書いて、よかとか」。すると看護師さん、「マゴ、マゴせんと、早く歯を磨きなさい。ご聖体が、来るよ」
★定刻、白い姿のシスターが『かんてら』を下げて、鈴を鳴らし、祭服姿の病院司祭がご聖体器を奉持して、にこやかに「キリストのからだ」「アーメン」。今日の1日が、始まる。多分、ハラの中でも、悪と、善のイクサが始まっているかも。
★【昨日の閲覧者数=統計】1352。

2021年2月10日水曜日

思わぬ血液の尿が出て、心身が混乱する。いつ、なにが起こるか分からぬ

突然、どす黒い血液そのままの尿が、紙コップ一杯に「ごくッ」と出た。これには、びっくり。朝の4時半。これまで度々血尿は経験しているが、初めての状態だった。5時、高木先生へ報告。高原修道士さんにも連絡。5時40分、高原さんの運転で、ホームを出発した。1時間で、聖フランシスコ病院へ着いた。(写真)。当直の先生に診てもらって、入院した。ちょうど、日本二十六聖人殉教の日、トマの修道名の祝日にあたり、自分も殉教に倣う道行となった。
★午前中、泌尿器科で、ボウコウの診察を受ける。ホームに入る前、お世話になっていたお医者さん、7年目の再会をお互いに喜んだ。ボウコウの内部を洗ってもらって、安心した。病室に戻ったが、また尿が血液のカタマリで詰まる。尿が出ない。再度、泌尿器科へ。ボウコウ内を洗ってもらい、クダを付けて、袋を下げた。殉教の日は、赤い尿だけが出る思い出となった。
★なぜ、こんなに苦しむのだろう。ベッドに横になって、悶々とする。殉教の心境には、届かない。2日目も、赤い尿。3日目頃から、やっと黄色くなった。点滴を、6時間於きに4日間つづけた。突然、起こった思わぬ出来事で、心身ともに混乱する。やがて尿は、普通に納まった。こころも落ち着いた。
★「ハラ時計」は、刻々と、人生の幕引きを刻んでいる。食欲が全くない。腹部の痛みが有る。ホームに帰っても、心配に悩むだろう。このまま、ここに入院をつづけたい。ホスピス病棟へお世話になりたい。その願いで病室のベッドに横になっている。
★支えて下さる日記の読者がいる。普段は、600人前後の数字だが、この度の入院時には、2300人に及んだ。ありがたい。分からない所で、温かく見守って下さる人たちが居られる。

2021年2月9日火曜日

パソコン、使って、いいですよ。ええ、そうなの。うれしかばい。書こう

病院の婦長さんのおかげで、パソコン使用の許可がおりました。
病室の窓辺に座って、静かにパソコンのフタを開ける。しばらく瞑目する。「何を、感じましたか?」自問。
そうね。1艘の舟だね。パソコン開けるのは、帆を張る事だよ。舟には、人生の苦労や、喜び、悲しみの荷物が置いてある。
それを、風に吹かれて、日記を読む1人、1人の港へ、我が「こころ」を届けたい。
喜びの気持ちだよ。みんな幸せになると、いいね。
★沢山のコメント、ありがとう。コメント書かない人も、ありがとう。まだ、イノチは有ります。生かされているのは、恵みです。
★「人のイノチは、草のよう
  朝に、花を開くが
  夕べには、しおれて、枯れる」(聖書の詩篇の言葉)
★だが、花は枯れても、秘かにタネを残し、イノチとなって、また花ひらく。
人も、枯れても、(見えない)タネを残し、やがて神のイノチに復活する。それを信じたい。

2021年2月8日月曜日

本日、膀胱カメラ。

  特に変化は無いそう。どこから血液の尿が出たのか分からない。ヘンや、な。

2021年2月7日日曜日

静かな日曜日でした。

  おかげ様で尿も綺麗になりました。日曜日なので静かです。私も静かに過ごしております。

2021年2月6日土曜日

感謝しながら強く生きよう。

  昨日、入院に際し、抗体検査とPCR検査を受ける。ともに陰性。赤色と黄色の尿が続く。泌尿器科の先生が病室に来られる。生かされている事、支えられている事、強く感じる。
今朝シスターの付き添いで、聖フランシスコ病院担当の司祭から、聖体拝領が出来ました。感謝しながら強く生きよう。
苺と緑色のブドウの差し入れがあった。看護師さん「一日に、ひと粒か、三粒だけですよ」。日記の皆さんに、見守りありがとう。

2021年2月5日金曜日

早朝、緊急入院する。殉教者の道を歩む。

  早朝4時半、血液のような尿が出た。5時半に高木先生に連絡。すぐ聖フランシスコ病院へ。高原修道士が運転して病院へ向かう。6時半に着く。今日は殉教者の日、私も殉教者の道を歩む。

2021年2月4日木曜日

ホスピス病棟の病院へ。道筋は、ついた。余力の有るうちに希望の実現を

(きのう)長崎・聖フランシスコ病院、ホスピス病棟のお医者さんの診察を受ける。ホームの事務長さん、聖母に騎士院長・山口神父さん、高原修道士さんの3人が同席する。お医者さんは、トマの『こころの時代』を見ておられた。親切、丁寧に、説明して下さり、「入院は、出来ますよ」と、これで行先の線路はつながった。安心する。痛み止めのため、消化器科のお医者さんの診察を受けて、クスリをもらう。聖フラは、ホーム以前に通っていた病院です。
★当時からの病院のシスターに出会った。「がんばって、いるね。いずれお世話になりますよ」と言うと、「いらっしゃい。待っているわ」の表情。
ホームに帰ったのは、夕食前だった。結局、午後1時に出発して、帰るまで4時間かかった。2時間は車の中。2時間が、病院。結構、疲れる異動だった。食欲が全くないのは、すい炎のためらしい。
(昨夜)自分にとっては、最近には無いほどの『爆睡』でした。さわやかな朝。神さま、きょうも感謝。
(きょう)朝食が終わって、ヨゼフ・クリニックの高木先生に電話をする。昨日の経過を報告した。
その後で、介護の入浴。毎月の血圧、体重測定の日。体重が少し落ちたかな。カラダについて、くよ、くよ、するのは、やめよう。明るい気持ちで、受け止める。
「イノチは、神さまの、ことです」。日々を感謝の心で、過ごそう。いま考えているのは、それだけです。
★昼食の前、濱田神父さんが自室に見えた。「あしたは、日本二十六聖人の祝日。トマの修道士名のお祝い日だね。一緒に、食事でもしたいが、どうかね?」「ありがたい。でも、ちょっと、ムリかな。残念だな。お祈りだけ頼みます」。二十六聖人の1人、聖トマス小崎。15歳で、父親と共に、長崎・西坂で殉教した。そこからの名前、小崎トマス=登明。(昔のキリシタンは、トマスを登明と書いた)。お祈りください。

2021年2月3日水曜日

オニは飛んで行け。フクは来てよ。痛みも、飛んで行け。昼食後・長崎へ

(きのう)ホームの節分。鬼は、怖いよ。福は、優しい。出演者は、男子職員。気合が入っている。老人たちは、待ち構えて、「来い、来い」と、新聞紙を丸めて、投げつける。誰が、どうなって、いるのか、ワカランよ」。気晴らしも、あるね。老人といえども、こんな時は、チカラも出る。
鬼は、こころの邪心だね。
福は、支える心、癒す心。福祉の心情。
オイ、オイ、そんなにリキンで投げるなよ。
(昨夜)夜になると、疲れがでる。電話が、4本も掛かってくる。応対している内に、アタマも混乱する。
就寝時。ベッドに横になって、腹部が痛み出した。左側の横が、痛む。両肺の裏側というか、肺をめくった場所が、ジワ、ジワ、痛む。「これじゃ、眠れるかな」
オナカを、さする。いつしか眠っていた。
(きょう)昼食後、ホームを出発。長崎・聖フランシスコ病院へ出かけます。これからの未透視など、じょじょに分かるでしょう。

2021年2月2日火曜日

節分の日。恒例の行事。鬼も出るよ。福も出る。トマは、シンボウだね

節分は、2月3日なのに、2日の『きょう』が節分だそうです。124年ぶりに、暦に調整があるとか、朝食の話題となった。
ホームでは、午後から、恒例の「豆まき」が行なわれる。鬼も出ますよ。新聞紙を丸めて、鬼に向かって投げるんです。「福は、うち」「鬼は、そと」。食堂に集まって、職員が、鬼になり、福になる。楽しいですよ。
「トマには、シンボウ」
思えば、食欲がなくなったり、腹部が痛み出したのは、いつからだろう。
正月は、平常に、雑煮も食べた。カズノコ、黒豆、サシミも食べた。
9日(土曜日)は誕生会と新年会。牛肉のすき焼きも正常に食べた。ここまでは良かった。
★12日(火曜日)の日記。「何となく調子が出ない。胃の周辺が、モヤ、モヤ、『ツメル』感じで、痛む。食欲がない。昼間なのに、眠気がくる」。この辺りから怪しくなる。
★あれから、約半月。検査、検査で、徐々に分かってきた。すい臓がんです。手術は出来ない。抗がん剤も出来ない。見守るだけです。すい臓だんは進行が早い。
★➀食欲が全くない。②痛みが徐々に増してくる。この2つ。辛抱だね。これから、どのように推移して行くのか、今のところ、皆目、理解がつかない。
★かつて聖母に騎士で、一緒の食卓で、飲食を共にし、聖堂で一緒に祈っていた若い神父さんが、すい臓がんになった。気がついた時は末期状態だった。その神父さんは、毎日、短いブログを書いていた。神父さんは、がんと分かって、1か月で逝かれた。その最後を、どのような心境だったのか、誰からか、神父さんが書いた内容を聞いたことがある。トマは、ブログは読んでいない。「あの神父さんが、何を書いたのか、知りたいな」。いま検索しても、2014年のことなので、神父さんの記事は出て来ない。残念やな、が気持ち。
★あしたは、午後から、ホームを高原修道士さんの運転で、長崎・聖フランシスコ病院へ向かいます。緩和ケア専門医の予約診察を受けます。

2021年2月1日月曜日

ご聖体を拝領。「トマよ、立ち上がれ」。高木先生ご夫妻がホームへ

(きのう)日曜日の出来事です。
ミサを休みました。
瀧神父さんが、車を押しながら自室へ。
ご聖体を戴きました。「元気を出しなさい、トマよ、立ち上がれ」
祈りました。我が身に起こることは、すべて受け入れます。不安や、不満を取り除き給え。素直な心に成りますように。
昼頃、ヨゼフ・クリニックの高木正剛先生から電話。「栄養剤を持って、来ますからね」
え、高木先生が、わざわざ。びっくり。
★午後、高木正剛先生と、時子先生ご夫妻が、心配されて、訪問される。濱田盛雄神父さん、高原修道士さんも同席。
高木先生は、この度の検査内容について、説明された。栄養剤も、2抱え頂いた。高木先生ご夫妻にお世話になってから、20年が経っている。トマが、この歳まで長生きできたのも、高木先生のお陰です。この度の身体異変に就いても、いろいろと配慮して下さっている。出会いの恵みは、こんな所にも有るんだな、と感謝です。
★「毎日、日記を書かれて、すばらしいわね」と時子先生。「カナダの人も、見ているからね」と高木先生。「え、そんな所まで」。高木先生ご夫妻の訪問は、トマに強力なチカラと喜び、希望を与えた。負けちゃ、イカンね。
★(きょう)入浴する。もう1人で、大きな風呂には入らない。危ない。介護の風呂にお世話になった。とにかく、食欲が全くない。食べたい気持ちが湧かない。それと、腹部の痛み。この2つで苦しんでいる。
★高木先生から、電話があった。心配してのお話だった。「トマよ、立ち上がれ」。そんな声が、どこからか聞こえて来る。