きのうは、シスターが来て、フランシスコ中村安五郎修道士さんの大切な形見のロザリオを持って行かれた。惜しむわけではないが、寂しさを感じる。写真の右下の年代は、2010年10月、わたしが撮った1枚が手元に残っている。長年、聖母の騎士の受付係として活躍していたから、知っている人も多いだろう。
★中村修道士さんを偲べば、15、6歳頃のわたしの貧困を思い出す。母と2人暮らしだった。朝鮮から帰ってきて、長年、わたしの結核の病いの看護・付き添いをしながら、やっと病気から立ち直ったとき、どのように生活するか、母と子は貧しさに苦しんでいた。母は、収入のため、わたしの付き添いの経験を生かして、その頃は、大学病院で患者さんの付き添い婦として、病院に泊り込んで働く職業があった。
★一方、わたしは大学病院の裏門の近くに、1人で部屋を借りて、寝泊りだけをしていた。食事は戦争中でもあり、配給だったので、米は1人分決まっており、3度の食事は病院の患者の横で母の手料理を食べていた。お米の配給は玄米で、母は、玄米を一升瓶に入れて、棒で突くのである。すると、ヌカが外れて、白米になった。母を思うとき、その棒で、しきりに突いている姿を思い出す。忘れない。
★裏門の家は、環境がよくなく、聖母の騎士のポーランド人ミロハナ神父さんに相談すると、家を探してあげなさいと、フランシスコ中村修道士さんに任せたのだった。中村修道士さんが探してくれた家が、浦上天主堂のすく近くにあったカトリック信者の仕立て屋さんだった。その頃から、聖母の騎士とのつながりが出来てくる。
★だから人生とは、クサリのように、こうなって、ああなって、つながって、今がある、そう思えてならない。今があるのは、偶然ではない。
おっしゃる通り繋がっているのですね。不思議なことです。聖母の騎士でずいぶん前にちらっと見た「フランシスコさん」は若く見えました。だいたいにおいて修道士さまは若く見えます。きっと理由がありますね。寒くなりました。風邪にお気をつけくださいね。
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