長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年6月7日日曜日
明子さんの亡きご主人の1周忌ミサで冥福を祈る
日曜日。キリストの聖体の祭日。いつもお世話になっている明子さん。ご主人・正則さんの1周忌を、ご家族が集まって、ミサで祈りました。ミサの後、主任神父さんと会話をするなかで、「写真を撮りましょう」と声をかけると、応じてくださった写真です。★正則先生とは、6年間、椿原の中学校で、いっしょに過ごし、子どもたちに向き合った教職員の仲間です。教職・初歩のわたしを助け、時には意見してくださった。信頼していた先生でした。★学校で学ぶ子どもたちの姿、悩み、生き方を見るとき、いちばん感じたのは、人生の基本になるのは「家庭であり家族」の現実的な体験でした。明子さんの話によると、この体験から、家では、「家庭」を最優先した父親でした。★学校では、さまざまな出来事が起こりましたが、正則先生は特に愛をもって子どもたちに接して、1つ、1つ、解決し、心の正しい人になるよう常に教え導いておられたのが印象に残っています。教職を共にしたのは、1985年から、1991年までの期間でした。24年が経過するのに、その熱意が心に浮かんできます。★「いつきしみ深い神よ、あなたの愛のために一生をささげた故パウロ正則さんが、信じる総ての人と共に復活し、永遠の喜びを味わう事が出来ますように」
今晩はトマさん。今日は私も本河内で、平川神父様他の方々のご冥福をお祈りさせていただきました。平川神父様を思わせるご親族の方にお会いして、涙が溢れる思いでした。限りある命を、尊び、感謝して、素晴らしいお写真です。キリストの体に結ばれて・・ルチア
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