長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年5月9日土曜日
明子さんが来た。「これが最後と言わないで」
昨日は金曜日なので、明子さんが来た。「ブログを読んできた」という。「小浜へ行ったのね」「また雲仙も行ったのね」。2日間にわたって日記を載せたので、2回出かけたと思ったらしい。「いいえ、オバマから雲仙に登ったのです」「最後、なんて書いてあったけど、これが最後なんて言わないでください」。制限された身の上なれば、そうも、いかないでしょう。それに、温泉に浸かって、疲れもあった。明子さんは「島原はふるさとで、あの辺は詳しいのよ」と誇りにしている。わたしに「あれだけ働いていたし、活動していた人が、いまホームに居る。大きな犠牲でしょう」と慰め、「まだ、まだ働けるのよ」と期待し、励ましてくれる。★「すこし、散歩しましょうか」と、庭に出た。高原修道士さんが、花に水をまいていた。陽ざしは、暑かった。歩きながら、いまは亡きご主人のことを聞かされた。6月4日に1周忌がくる。享年65歳。あまりにも若かった。「いのちの尊さは、愛する者の死に直面して、心身に沁みて、わかる」。悲しみの心を支えるのに、大きな苦しみ、悲しみがあったでしょう。いまは明るさを取り戻した。トマはお世話になっている。★去る日曜日のミサの後で、自室に、明子さんが(3人の子どもさんの1人)娘さん(医師)を連れて、紹介してくれた。瞬時の出会いだったが、娘さんを見た瞬間、身も心も整ったオーラがあるのを感じた。娘さんが言った。「ロザリオの祈り、を読みました」。子どもの頃の思い出だろうが、あの本のことを言われて、嬉しくなった。子どもたちは、沢山の本を読みながら育ったという。★長崎・聖母の騎士から連絡があった。ポーランドから、7月末頃に、(取材?)に来る。お会いできるだろうか。被爆70周年に向けての取材なのか、まだ先のことだよ。これも「ポーランド語版・焼けたロザリオ」のおかげなのか。
明子さんのおっしゃる通りです。
返信削除これが最後と言わないで下さいね。
明子さんと娘さんとの出会いお恵みですね。
ポーランドの取材楽しみにしております。