長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年4月8日水曜日
昔の手も、今の手も変わらない。しっかりアクシュ
車で、片道、1時間、内科クリニックの定期の診察へ、朝から出かけた。患者さんが多く、診察が終わるまで、2時間かかった。足がよろめくのを感じる。クリニックを出たのは、昼前だった。「聖母の騎士へ行こう。昼食のごちそうに預かろう」。電話をかけてお願いして、いま、車から、前方、奥に、教会の塔が見えたところです。食堂には、5人の司祭がいた。喜んで、受けてくださった。その後、久しぶりに聖コルベ館へ入った。「ああ、なんか、ふつうに、はいったような感じです。すーっと、はいれた。でも、なにか、少し、さびしそうだなァ」。ここで、沢山のいろんな恵み、ドラマがあったことを忘れません。いま、ホームへ戻ってきて、夜になって、自分の手を見る。「この手、聖コルベ館と、同じ手だったんだなァ」。じーっと、見る。手のシワが気になる。一直線、ひゃく・にぎり、の手です。この手は、誰かのために、働いた手だろうか。パワーは、もう失せたのだろうか。ホームに帰ったのは、午後2時でしたが、ロザリオのあと、明子さんがきた。いっしょに少し、屋外の空気にふれ、歩いて語り合いました。「ハイ、最後は、アクシュ」。ひゃく・にぎりの手で、しっかりとアクシュをしました。「あかるい、あしたが、あるように」。いまも、かわらぬ手です。
小崎さんの手です。変わらない手です。
返信削除神様から沢山の賜物を頂いている手です。
その手を通し私達はどれ程のお恵みを頂いてることか。
感謝のうちに