長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年1月29日木曜日
今年にきた年賀ハガキ。喜びの1枚だった
もう、数日で、1月も終わろうとしている。1枚の年賀ハガキが届いた。「10年程、前に、小崎さんのお話を聞いた元・中学校の生徒です」と、ある。修学旅行で、長崎へきて、原爆資料館で、平和学習をして、当時、語り部をしていたので、たまたま話を聞いたのだろう。あの頃は、毎度、活躍していた。「今年、成人式をむかえることになりました」。ああ、よかった。おめでとう。「いまでも小崎さんのお話を思い出します」。よくぞ、思い出して、思い切って、年賀を書いてくれたね。うれしいよ。こういうご縁というものも、あるんですね。「平和を願い、行動できる大人になれるよう努めてまいります」。短い文章のなかに、成人式を今年むかえた若々しい青年を思い浮かべるのでした。「いつまでも、お元気で」。よくぞ、10年前を思い出して、勇気をもって、1枚のハガキを書いてくれた。若者の心が嬉しくてならない。いま戦争体験の継承が話題になっているが、知らないところで、心はつながっていると思う。「平和の原点は、人の痛みをわかるこころ」と、よく話のしめくくりに結んでいた。人の痛みをわかるのは、ほんとうに難しいと、いま思います。それでも、やっぱり大切なんですね。1枚の,突然の年賀ハガキは、きょうの心を温かくしました。
2015年1月18日日曜日
ゆっくり話せば、出会いの喜びもあったろう。くやまれる
午後の3時過ぎになると、ホーム(写真・左)を出て、教会(右側)へ、ロザリオを唱えにいく。この狭い庭で、ぱったり、思いがけない人に出会うことがある。きのう、外に出ると、青い車が1台、とまっていた。若い男女が2人。立派なカメラが目をひいた。小さく「いらっしゃい」。声をかけると、「見学にきました」「小崎さんですか」「会えるかも、と思っていた」「ブログを読んでいます」「え?ブログ、読んでくれているの」と思い、会えてうれしいね。「ハイ、あくしゅ」と女性の手。次いで男性の手。2人は、満足そうに喜んでいた。教会へ入ったから、あっと、いう間の一瞬の出会いだった。ロザリオが始まる。10人ほどが居た。祈りの間、「どこから来たのだろう」「なぜ、ここに」など興味が浮かんできて、席をたって教会の外に出てみると、車はあったが、人がいない。どこへ行ったか、わからない。もう少し話せばよかった、一瞬のすれ違いは惜しかったと、悔やんだ。「流れがあって、早めに別れてしまう。もう少し落ち着いて、ゆっくり話せば、出会いの喜びもあったろう」。もう一押し、それが無かったのを反省した。祈りにもどり、若い男女のために、祈った。祈りの間、考えつづけた。祈りが終わって、外へ出ると、青い車はなかった。なぜか、こころに残る出会いだった。★「あなたの、おかげで、いまの、わたしが、あります。そんな言葉をいえる人に、出会いなさい。あなたの人生は、幸せになる」
2015年1月16日金曜日
この世に1人だけの存在。かけがいのない命だよ
自室から撮った今朝の日の出です。手前から、農村。有明海。棚引くのは島原半島。雲仙岳です。有明海の右手に、いま問題になっている諫早干拓の、7kmにおよぶ堤防があります。静かな空気のなかに、太陽が上がるんですね。おお、今日も生きるぞ。支えられて生きている人生です。★ホームに居ると、自由に写真が撮れないんですね。花とか、珍しいものとか、撮った集積がないので、写真を入れるのに苦労します。個人情報の時代ですから、ホームの人のこと、写真など、取れませんしね。それで苦労するわけです。つまり材料が書けない。今朝は、介護つきで、入浴しました。若い人のお世話になって、さっぱり、させてもらった。気持ちが、やわらいだ。ホームでの生活者は、それこそ人生のベテラン揃いが多い。酸っぱいも、辛いも、人生を、かみ締めて体験してきている。いまは平和な生活です。★2日前は、都市へ出かけたが、寒かった。昨日は、起きるなり足元が進まない。インフルエンザか、疑いがあると、ホームに広まると困ります。部屋から出ないでください。気を使うんですね。お医者さんがきて、鼻から綿棒を入れて、検査したら陰性だった。ああ、よかったね。それで今朝の太陽が輝くのが嬉しいんです。同じような写真ですが載せました。★生きていて、意味は、あったのか。その人ならではの、生きた証(あかし)がある。生まれたからには、生きるしかない。あなたは、この世に存在した、50億人居っても、あなたは、あなただけ。この世に1人しか、いない。かけがいのない命だよ。
2015年1月10日土曜日
何とか、生きていく、孤独であっても、苦しみあっても
「人間、なんとか、いきていかなきゃ、ならない。孤独で、あっても、苦しみ、あっても」。自分の人生だから耐えるしかないのです。これは聖コルベ館に居たとき、そう思って描いた色紙です。書いたときは、まだ、本当の意味の孤独や苦しみのツラサを、わかっていなかった気がする。ホームに入って、寂しさや、無意味さを知るようになる。ホームは、生活の場は安心では、あるが、一方では、心情的に寂しさも、あり、孤独でも、ある。それでも、現実だから、耐えていくしか、ない。そのうち慣れてくるでしょう。昨日、新聞で、黒柳徹子さんの記事が目についた。「どんな人でも、話したいことがある。それを聞く場をつくりたいと、仕事をしてきた」「3・11の後、ふるさとを離れたお年寄りが、転居先で1人寂しく暮らしていると聞くと心が痛みます」。似たような心境をいま、味わっている。ただ、人生には、どうしようにも、ならないことも、あり、心のうちを打ち明けて、素直に話ができない事情も、ある。そういうときが、つらいですね。いまの気持ちが、そうです。★昨日は、書道の女性先生が来て、久しぶりに書道の練習をした。「睦月」「大寒」「和」などの墨字を書いた。我流だから、よく書けないが、気持ちは晴れ晴れとなった。
2015年1月5日月曜日
カラオケで「長崎の鐘」を歌って永井先生を思い出す
以前に描いた「永井博士」の絵です。永井先生から、中学のとき、理科を教えられた。永井先生の思い出がある。軍医として、戦場にも出た。現地の人と、怪我や病気を治してあげた話など、夜の時間に聞いた。この絵をのせて、永井先生のことを書いたのは、ホームで、カラオケの日が昨日あって、「歌いなさい」といわれて、「そう、いわれても、慣れていないから」。持ち歌も、少ない。「長崎の鐘」が幸いにもあったので、これなら歌えると、1曲披露したからです。「召されて、妻は天国へ」「心の罪をうちあけて」。歌のせりふに、ほれぼれします。永井先生の絵がパソコンに入っているのを見つけて、のせた。永井先生から、被爆した浦上天主堂の墨絵、横長に描いた作品をみせてもらったことがある。被爆直後の永井先生は、われわれ中学生の本当に傍に居られた先生だった。
2015年1月4日日曜日
3人の博士・賢者の贈り物は何だったのだろうか
日曜日。湯江教会の祭壇です。ミサで祈る。今日は「主の御公現」のお祝い日。幼子イエスのもとに、星に導かれて、3人の博士たちが、拝みに来た。博士の名前を覚えている。「メルキオール(若者の賢者)、バルタザール(中年の賢者)、ガスパール(老年の賢者)」。むかし、修道院には、ポーランド式の信心が残っていて、この日、司祭が各部屋を清めて、鴨居に、3人の博士の頭文字をチョークで記すのだった。なつかしい思い出でもある。賢者の贈り物は何だったのか。貧しいものでも、いいから、心をささげよう。★主にささげよう。人にささげよう。マザーテレサは祈った。「平和の道具として、お使いください」。助けた人を数えない。1人、また1人に触れ合うだけ。小さな存在だが、1人、1人の意識が変われば、かならず平和につながる。
2015年1月3日土曜日
3日目の朝日です。戦後70年を迎える。1つの時代
元日の初日の出では、ないが、けさ、3日目、自室の窓にあがった太陽です。有明海にのぼる朝日です。温かい朝になりそうです。正月には分厚い新聞がとどいた。長崎新聞の第一面は、被爆者の、空をみあげる写真が載っており、長崎に原爆が投下されて70年の節目の年を迎える、とあった。やっぱり長崎は、原爆を意識している。「核兵器廃絶を」「戦争のない平和な世界」につながる。今朝の長崎新聞をみると、被爆者の女性が93歳でなくなった、と載っていた。23歳のわかい年齢のときに、被爆して、からだじゅうが、ケロイドとなって苦しんだ。度々お話して慰めあったとこもある。「原爆は神の摂理」は受け入れられなかった。苦しみはあまりにも酷であった。教皇ヨハネ・パウロ2世が浦上に巡礼されて、「戦争は人間の仕業です」と訴えられた。女性はパパさまの言葉をきいて、受け入れたという。苦しみを神の摂理と受け入れるには、困難があろう。女性の安息を祈ります。
2015年1月2日金曜日
2日目。お遊び会。ホームでも、にぎわった。笑い
2015年1月1日木曜日
新年を迎えて、生かされたお恵みに感謝します
新年あけましておめでとうございます。ブログを見て、いつも支えてくださって、心から感謝もうします。元気で、ホームの玄関で、1枚写真を撮ってもらいました。新年の感想ですか?生かされてきたお恵みに感謝するだけです。昭和3年生まれ。生かされた、感謝のほか、ありません。しかし、5,6年ぐらい前までは、こんなことを考えていた。「80数年、生きてきて、こんな体験をして、こんなことを学んだ。それを語るのです。それだけ、です」と、簡単に考えていた。「人生、甘く、みるな。人間の一生、甘く、みるな」。いまは、そんな気持ちでおります。人は誰しも、外見には、わからない「芸」を背負っていると思います。その人ならではの「芸」です。気がつかないこともある。新しい年を迎えて、生かされた恵みに感謝しながら、海岸の砂浜の、まっさらな砂の上に、これから足を置こうか、置きますよ、そんな気持ちでおります。長崎は暖かい正月を迎えました。