長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年6月15日日曜日
アジサイのそばで、少女への思い。声をかける人に。
開館まえに、庭で目についた。アジサイ。全体が、花かと思ったら、そうではない。真ん中に、小さなツブツブがある。色紙にアジサイも描いているので、よく見た。いろいろなアジサイがあるんだな。写真を撮っていると、向こうから、家族の1団が近づいてきた。★アジサイを離れ、ころ合いをみて、こちらから声をかけた。「おはよう。今からミサね。お祈りして、ね」。大人たちは、それぞれ返事をしたが、少女は黙っていた。恥ずかしかったのだろう。すれ違って、ふりむくと、母親らしい人が、なにやら少女に告げていた。内容は聞き取れないが、「返事をしなさい」と諭していたのだろう。少女は機嫌がよくなかった。その仕草が見えた。「おこられて、かわいそうやな。でも、挨拶は必要だし」。これから修道服を見れば、少女は一人のとき、どんな心境になるか。そう考えるのは、思い過ごしだろうか。幼い頃の体験は、長く尾をひくに違いない。今朝のちょっとした出会いが、心に小さなキズをつけた。自分が小さい頃を思い出した。母、1人。子、1人で育った自分。子供の頃は、母の後ろに隠れて、前に出なかった。人見知り、というのか。少女よ、積極的に、前向きに、声を自分から掛ける子になってください。今朝の祈りは、それだった。
この写真のガクアジサイはハート形ですね。(素敵!!)
返信削除私も今日いろいろのあじさいをみてきました。
長崎の花あじさい・・・雨の日ほうが美しさをます不思議な花です。
周辺の開いた花弁が教会の高齢者の祈り、真ん中の開いていないつぼみのようなごちゃごちゃとした集まりがその年齢に達していない若輩者のようです。
加齢や、病気を抱えて毎日をお捧げしてくれるハイシニアの方々の祈りと働きでまもられて、毎日ごちゃごちゃ私たちは過ごせています。
でもその全体で教会という共同体を形作って花咲いています~~って思いつつ見ています。
長崎のあじさい見てみたいです。
ひらめさんのコメント、ステキですね(*^^*)
返信削除このアジサイのような教会共同体になりたいものです。
私はパソコンいじれずにスマホデビューしてもうすぐ1年…というネット初心者で、いろいろと怖いな~と思うこともありました。しかし、小崎さんの日記を拝見したりひらめさんのようなコメントに共感できたり、このような繋がりを得られることは本当に素晴らしいお恵みだな~と思います。
神に感謝!