長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年4月19日金曜日
平成25年度、最初の修学旅行。大阪の小学生だった
「やあ、大阪の小学生がやてきたよ。ゲンキだね。「シャシン、撮って、撮って」「先生も、入ってよ」★午後から、あわただしかった。ヘルパー・介護男性が来て、入浴させてくれる。ゆっくり湯につかって、休んでいると、来客があった。★学園の卒業生が、神奈川から来ている。奥さんも一緒。ダンナさんは「日記」の毎日・読者。奥さんは「騎士誌」の愛読者。「お会いしたい」と。あわてて、自室を出る。「やあ、変わっていないね」と大喜び。お互いが、満足の出会いとなった。★すると電話で呼び出される。「大阪の小学生たちが、100人あまり、10分後に到着です」「ええ、なんて?」。午後4時から、長崎県内で働く修道者たち(司祭・修道士)の集会もある。「どうしよう?」。教会へ降りて行こうとすると、「エレベーターは点検中」「ええ、なんで」「小学生たちが到着しました」「聖コルベ館で、ビデオを見てもらい、ルルド、買い物の後、教会に集まってください」と指示。★教会で待っていると、小学生たちが、みな、揃った。皆さん、聖歌を唄う。心が引き締まる。次いで、お祈り。平和学習の話しが始まった。小学生たち、みな熱心に聞いている。「平和の原点は、人間の痛みが分かること」「助けてあげる。許してあげる。困難が来ても逃げない人」。明るい小学生たちだった。「お名前は何と言うの?」「小崎登明です」「ここにお名前、書いてください」「よし、書いたよ。写真を撮ろう。あなた、何んと言う名前?」「ゆみ、です」「ゆみ、って?」「唯未、と書きます」「さあ、入って、ブログに載せるからね」(上の写真)。「ボクたちも、撮って」(下の写真)。皆さんは、今朝、大阪を出て、長崎空港に到着。昼食後、浦上天主堂から聖母の騎士に回ってきた。ゲンキな、いい子ばかりだったよ。★とうとう、修道者の集まりは、前半は不参加となる。共同の祈りと、会食には参加した。「ああ、あわただしい日だったよ」
人が訪ねてくるっていいね~~
返信削除また会いたいって言ってもらえるっていいね~~
写真一緒に撮ってもいいね~~
コルベ館の中に居ながら多くの出会いがある。
高齢になったとき、元気な誰かが喜んで来てくれるそんな場所とそんな人になっていることが私の目標。
父も幼稚園のためのサツマイモをうえる準備を今年もしています。自慢のさつまいもをもって、秋に子供たちにまたあえるのを楽しみにしながら畑にむかっています。