聖コルベ館に見学に来た若者が、「長崎のコルベ神父」を読みました、と言えば、気になりますよね。ブログも見ています、と言うし、ネットから、コルベ神父についての話(動画)も見ましたと言われれば、なお更、気になりますね。県外から、片道、3時間、高速で来たという若者がいた。「ああ、そうなの」と興味を示すと、彼は車から小型のパソコンを持ってきて、動画を見せてくれた。普通は、職業を聞くのは遠慮するのだが、ここまで踏み込んで来られると、ついつい「お仕事は?」と聞いてしまった。「臨床心理士です」。それで話易いんだ。当方の話を、スムーズに彼は理解してくれる。いろんな人の悩みを聞いているから、慣れている。彼との会話のやり取りから感じたことは、「苦しむ人と共に苦しみ、喜ぶ人と共に喜ぶ」、つまり「同伴者になる」という姿勢だった。オレは原爆の丘で、同伴者に成れなかった。コルベ神父は強制収容所のどん底で、同伴者に成り得た。そこが違う。しかし、本当に、「共に苦しみ、共に喜ぶ」ことは、いかに難しいことか。「いかにすれば同伴者に成れるか」と若者に問えば、彼は答えた。「愛でしょうね」。人間は孤独で生まれ、孤独で死んでいく。その中間に、いかなる同伴者を探すか、探し当てた者が幸せになる。「ツライ経験に、意味づけを、する。例えば、乗り越えると、強い人間になれる、とか、よろ神さまに近づける」。そう言って、聖コルベや、修道士の文庫本を数冊求めて、サイン帳に、名前だけを書いて、若者は、十分に時間を過ごして、午後から去った。
昨日はもっと愛が知りたくて、その実践者であるコルベ神父やゼノ修道士がおられた地にお邪魔しました。
返信削除あのような強さを自分では持てなくても、せめて憧れとして、理想として心に持っていたいです。
お話の途中でビデオを向けさせてもらいましたが、こんな感じに撮れていました。
http://youtu.be/CVXMGWL0P2g
トマさんの質問、素晴らしいです。きっと、トマさんは好奇心旺盛な温かなお人柄なんだと思いました。
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